踏切
「美玲ちゃんに聞いた。あなた、気付いたんだね」
高速道路を走る車内。
香織は、静かに俺に言った。
「あの日、あたしが家を空けるし、事故から丁度一年だし。ニュース番組を見られたらバレると思ってさ。あたし、慌てて美玲ちゃんに、あなたの面倒見てあげてって頼んだの」
香織の語りだしたことは、俺に敷かれていた箝口令が事実だったことを意味していた。
俺は、内心で強い焦りを覚えていた。
もし橘さんが香織に俺の正体を告げていたら……。
そんな、自己保身染みた考えが脳内で埋め尽くされていた。
「……あの子、あなたのことになると本当に必死だから。だから多分ずっと家の中で気を張っていたのよ。それでふと、気を緩めた時に、あなたがテレビを点けちゃって、あたしがテレビに出ちゃったのね」
ただ、どうやら橘さんは香織に俺のことは話していないらしい。
苦笑しながら儚げに、香織は続けた。
「美玲ちゃんは責めないであげて。あたしが無理やり、頼み込んだの。三が日の日、あの子の家に送って行く時のことよ。……あたしがあの子にあなたのことを全て告げたら、あの子、最初凄い驚いた顔をしていたけど。……でも、すぐにそれでもあなたに真実を伝えるべきだって譲らなかった。まっすぐな瞳で、あたし怒られた」
橘さんなら、そういう姿も容易に想像出来た。
「……あの日、あたし達は本当は三人で旅行に行くはずだった。あなたの中学卒業に合わせて、温泉にでも出掛けようかって。きっと高校生になると中々時間も取れなくなるから、行くなら今しかないってね。……でも、あたしに急な仕事が入っちゃって。結局あなたとお父さんの二人で行くことになってね……。折角の家族旅行だったのに二人で行くことになったと知った時、あなた珍しく反抗的で、お父さんがあなたを宥めていたことを未だに覚えている。……そして、事故前、最後のあなたの言葉は、未だに忘れられない」
俺は、黙って話を聞くことしか出来なかった。
「……遅れてでも、来てくれよって。あなたにそう言われたの。……実際あたしは、遅れて現地に向かうことになったわ。場所は、旅館じゃなくて病院になったけど」
……息が苦しかった。
「あたし、凄い後悔した。……あたしのせいで家族旅行はパーになるし、夫を失って、あなたも昏睡状態。
……どうしてあたしは、日にちを変えることを提案しなかったんだろう。
どうしてあたしは、あの二人を傷つけて生きているんだろう。
どうしてあたしは、あのバスに乗って死ななかったんだろう。
そんなことばかり、考えていた」
違う。
香織が責任を感じる理由がどこにある。
……悪いのは。
悪いのは……っ!
「あたし、多分怖かったの。あなたに咎められることが。だから、知られたくなかった。あたしのせいであなた達が危険な目に遭っただなんて、知られたくなかったの」
……たくさんの人の生命を奪った。
たくさんの人から家族を奪った。
そして、俺は……かつて一番大切だった人さえ、傷つけた……。
震えが止まらなかった。
体が震えて、今すぐ……今すぐ、ここから消え去りたくて……っ!
どうにか、なってしまいそうだった……。
「……でも、知られちゃったのならもう……隠し事はしない。あたし、あなたに全てを伝えようと思う」
香織はそれだけ言って、運転に集中し始めた。
俺は、ただ震えていた。救えない自分の罪を自覚し、震えることしか出来なかった。
高速道路を降りた車は、車道を走り、まもなく線路の真横の細道を並走した。
そして、車は停止した。
「降りて」
香織がそう指示した場所を、俺は車窓から確認した。
そして、目を疑った。
ここは……。
香織が連れてきたここは……。
この、踏切は……。
踏切の端に置かれた甘酒の瓶と白い一輪の花は……!
ここは、いつか橘さんと一緒に地元に帰ってきた時に通った場所。
俺のかつての住まいから職場までの通勤路の、丁度真ん中ら辺にある電車の踏切。
俺は今、香織に地元に連れて来られていた……!
バンッ
呆気に取られた俺を他所に、香織は車のトランクを開け閉めしていた。
手にしていたのは……。
白い、菊の花。
……今更。
今更、俺は気付いた。
『菊の花(白) 二基』
いつか家計簿アプリで確認したあの花の使用用途は、香織の夫の供花用。そして、伊織の見舞い用とそう考えていた。
でも、そうじゃない。
目の前にぶら下がっていた釣り糸にわかりやすく噛み付いてしまったが……本来、白い菊の花は供花用の花。見舞い用に使うような花ではない。
一基は、香織の夫用。ただしそれも、遺族の会で行われたであろう合同葬用に使用された花だろう。
そして、もう一基は……ここで死んだ誰か用の供花。
一体誰が……、ここで死んだのか。
カンカンカン
踏切が鳴り、遮断棒が降りる。
まもなく、俺達の隣を電車が過ぎ去った。
香織の長髪をなびかせるその電車を見ながら俺は……。
俺は思い出した。
今までずっとモヤがかかったように思い出せなかった記憶が、蘇っていた。
ここは……。
この踏切は……。
俺の、自殺現場だ。
菊の花のくだり、もっと上手く隠せたのではと思ってしまう今日この頃