御朱印集め
香織とのデート先は、都内の神社。全部で合計十一箇所。ここは全て、去年くらい都内で多発した賽銭泥棒の被害に遭った神社だ。
移動には、香織の車ではなく電車で向かった。都内は、駐車場代も高いところも多いし、都合よくどこにでも駐車場があるわけではないからだ。
そして電車は、それはもう本当に色んなところに張り巡らされている。
本当に、都内を巡るなら車なんてきっと必要ない。そう思わざるを得ない。
「伊織、こっちよこっち」
「待ってー」
と、得意げに語っておいて、俺は香織に置いて行かれないように付いていくのがやっとだった。
こちとら三十五年間、電車の不便な田舎暮らしだった身。
十八歳で上京し、電車にも使い慣れただろう香織の方が土地感があるのは、当然の話なのだ。
「地下鉄、詳しいね」
地下鉄の陽が入らないホーム。
乗り換えの電車に飛び乗りながら、俺は香織に言った。
「この辺はねー。上京してからは結構歩き回ったし、最近でもちょくちょく使う」
「へー、この辺に出版社があるとか?」
「そんなところ」
扉が閉められて、電車は発車した。
俺は移動の間にスマホをいじりながら、向かう予定の神社の位置を調べていた。
今日はたくさんの神社を巡る予定だったから、事前に相当下調べをしてきた。まさかタイムスケジュールまで作るとは、我ながら気合の入り具合に驚いた。
「どの神社?」
「ん? ここだけど」
「あー、ここね。はいはい」
最初に向かう神社。どうやら香織はそこを知っているようだ。
「有名な神社なの?」
調べた感じ、この神社は大きな神社というイメージはなかった。
「んー。そんなことないよ。ただあたし、あることがあって……都内の安産祈願で有名な神社は全部制覇したからさっ」
快活にグーサインを作る香織とは対照的に、俺は俯いていた。
そう言えば香織は、伊織より前に一人子を流産した過去があった。恐らく、伊織を産む直前に、安産祈願の神社を全部制覇したのだろう。
「もう、凹まないの。色々あったけど、あたしはあなたと出会えて良かった。心からそう思っているんだから」
「……うん」
香織がそれで良いと言うのなら、そうするべきなんだろう。
気落ちして今日のお出掛けを心から楽しめない方が、彼女はきっと悲しむだろうから。
まもなく電車は、最初の目的地の神社の最寄り駅にたどり着いた。
「こっちよ。さっ、行きましょう」
「はーい」
間延びした返事をすると、香織は微笑んだ。
俺達は改札を出て、地上に出た。そこから件の神社までは、徒歩で五分くらいだった。
「うわー、懐かしい」
神社に到着すると、香織はかつてを思い出しているのか嬉しそうに言った。
当初下調べしていた通り、この神社はそこまで大きな神社ではなかった。鳥居の先の階段の先に、本殿が既に見えていた。
「あなたとの御縁がありますようにって、賽銭したよ。あれ、何だか賽銭箱が新しいね」
「そうだね」
古めかしい小さな本殿とは違い、明らかに新しい賽銭箱がそこには鎮座していた。
恐らく、例の賽銭泥棒の被害の後、鍵が壊されたから新しい賽銭箱に変えたのだろう。
「……そう言えば、ここで御朱印ってもらえるの?」
「抜かりはない」
俺は香織の疑問に答えるべく当たりをキョロキョロ見回した。
この小さな神社には社務所はないが、神職さんがいれば話して御朱印をもらうことは可能だそうだ。
「あっ、すいません」
キョロキョロしていると、丁度神職さんが階段を昇ってやってきた。
かくかくしかじか、俺は事情を説明した。
神職さんは、快く御朱印を記帳してくれた。二人分の記帳を済ませて、俺達はもう一度お礼を言って、神社を後にした。
階段を降りながら、俺はマジマジと御朱印を眺めていた。墨の匂いが仄かにするそれに、少し気分がよくなっていた。
「階段降りるの危ないから、仕舞いなさい」
「うん。そうする」
少し、神社から離れて……香織は意外そうに俺を見ていた。
「あなたも御朱印、始めたばかりだったのね」
「うん。……橘さんが結構やってて、ここで何とか追いつこうって、そんな魂胆だ」
「あーっ、他の女の子の話をしてくるー! 妬けちゃうなー!」
このこの、と香織はじゃれてきた。
よせやい、と俺は軽く抵抗した。でも、香織とこうしてじゃれ合っている時間は嫌ではなくて、頬は綻んでいた。
「そういうわけで、今日は有名どころの神社は控えようと思っています」
「有名どころは、美玲ちゃんと二人で行くために?」
「……あはは」
何だか惚気話みたいになっているが、そこまで考えては勿論いなかった。ただ照れながら同調した方が取り繕う必要がなくなって楽と思っただけだ。
ほ、本当にそれだけだ……。
「どこ行くか、ちょっと見せてもらえる?」
「え、はい」
俺は香織にスマホを見せた。
香織は、ふむふむと頷いていた。
「ここ以外にもちょっと増やしてもいいよね?」
「え、いいけど?」
「じゃあ、穴場の神社をいくつか教えてあげるよ。御朱印が可愛いってことで、一時期話題になってて……興味はないんだけど、ご利益が合ってたから通ってた場所がいくつかあるの」
「えっ、いいの?」
「可愛い息子のためですもの。当たり前じゃない。ほら、行きましょう」
いつになく元気な香織に手を引かれて、俺は進んだ。
こうして香織に手を引かれて歩くのは……かつてを思い出す。
まだ俺が、楽観的でマイペースだった時のこと。
俺が、一番嫌いだった俺の時のこと。
『バカにしないで』
でも香織は、あの時の俺のことでさえ好きでいてくれた。
今更気付いた。
俺は、香織ならきっと、俺を裏切らないと思っていた。だから俺は、香織のことを諦めきれなかった。
香織なら謝りながらなら、もう一度俺を見てくれるんじゃないかって思ったんだ。
だから諦めきれなかったんだ。
いつかも思った。
……本当に、あの時香織と別れておいて良かったと思う。
あれ以上香織に依存していたら俺は、何か人として大切なものを失っていたかもしれない。
この前まではそんなことを思ったこともなかった。
でも今俺は初めて……香織があの時別れを告げてくれたことに、感謝していた。
あの後、俺が自立出来たのも。
あの後、俺が生きてこれたのも。
香織があの時……俺から離れてくれたおかげなんだろう。
そうでなかった俺は、きっと香織に未だ甘えていた。
香織を……きっと潰していただろう。
そして、香織を潰した自責の念から、後追いしただろう。
……こうして、二人が別の世界を見ることになったこと。
それは、必然だったのかもしれない。
それが、一番幸せな世界だったのかもしれない。
本当に、前までなら……絶対にこんな考え方は出来なかった。
一体いつ、俺に心変わりが起きたのだろうか。
一体……いや。
わかっていた。
いつ、俺に心変わりが起きたかなんて……わかりきっていた。
『あたしがいる』
……あの一言があったから。
『……隣には、あたしがいる』
橘さんがいてくれたから。
俺はようやく、過去の気持ちに踏ん切りがつけられたのかもしれない。
香織と、親子になりつつあるのかもしれない。
「ねえ、伊織?」
香織は、優しく微笑んでいた。
「美玲ちゃんのこと、好き?」
今日中にこの章を終わらせるんだって固い意思が芽生えている。
昨日から、一体何話投稿するのか。
止まるんじゃねえぞ