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死傷事件

 最近、忙しない毎日を送っている。

 この体になってから、取り乱したり、数十年ぶりの高校生活に四苦八苦したり、これまでも大概忙しかったものだが、その比ではない。


 俺は、約二週間ぶりにスマホで近所の神社の死傷事件を調べていた。


 俺の身の安否を知りたがった以前に比べれば、それは俺の中の優先事項が低いこともあるのだが……。


 日中は合唱コンクールも含めて学校。

 夜は、アルバイトか合唱コンクールの練習。

 隙間時間は、最近過干渉の橘さんに占領されるようになったし、家に帰れば最近仕事の納期に追われてヒイヒイ言っている香織に変わって家事全般をこなしている。


 単純に、物理的に時間が足りずに調べる時間が減衰しているというのが実情だ。

 徹底的に俺を管理下に置きたい香織がいる以上、夜更しでもして体調を崩すわけにもいかないし。

 そうすると、納期が随分先の仕事のように、俺の中で調べことの優先順位が下がり、棚上げになることも仕方のないことだった。


 隙間時間……具体的には通学時間や休み時間などに橘さんの隣で調べようと思ったことも時たまあるが、最近妙に俺の様子を気にする橘さんと、いつか橘さんを巻き込むことを控えようと思った心が邪魔をした。


 熱を出した翌日、橘さんはいつも通りに学校に来た。

 表面上はいつも通りだ。でも、短くない付き合いとなった俺から見て今の彼女は、何故だか少し苦しそうに見えた。

 それもまた、俺が自分の意思を曲げて、橘さんを巻き込もうと思えない一因であった。


 愚痴っぽい現状を語りを脳内で終えて、俺は時計を見た。

 結局、こんなことを考えている内に十分くらい時間を無駄にした。

 家事を終えて、風呂にも入り、後は寝るだけ。俺の就寝時間は十一時。それまでには、調べ物の成果を出せるように集中しよう。


 淹れていたココアを啜りながら、俺はスマホを操作した。


 近所の神社の死傷事件。

 それを調べるには、神社の名前を検索するだけで十分だった。一番上のURLは神社のホームページ。でもその次から先はもう全てニュース記事のURLが並んでいた。俺は、ニュース記事を上から片っ端に読み始めた。

 検索結果が上のニュース記事は、大衆の間でも注目を集めた記事ということになる。それらの記事は起きた事件の凄惨さ、悲劇さを伝えるべく、事件のあらましを掻い摘んで伝えるものだった。

 

「駄目だ」


 俺は頭を掻いた。

 俺が知りたいのはこの事件の詳細。概要はもう知っているし、そこから得られるものは薄い。


 俺は検索結果をどんどんどんどん深堀していった。

 でも、一年以上前の事件だったからか、この事件に対する詳細を語る記事は見つからない。被害者側に配慮してか、被害者となった親子二人の名前さえ、出てこない始末だった。

 そして、初動で調べ上げたであろうこと以上のニュースは、どれだけ記事を探しても出てこなかった。


 あれから数日後にバス前輪脱輪事故という大ニュースが沸いたから、国民も、報道機関も、この事件のことなんて忘れてしまったというのだろうか。

 だとしたら、遺族側はやるせない気持ちになっただろう。いやでも、起きた事件のショックを忘れるためにも、そっとしておいてくれた方がマシなのだろうか。


 俺はため息を一つ吐いた。

 遺族側の気持ちを汲み取ることも重要だが、今俺はそれ以上に知りたいことがあるのではないか。それ以外の思考は、一切省くべきなのではないか。

 誰のためでもない。

 俺の……いや、伊織のために。

 

「終わったあああぁ!」


 ただ、そんな俺の気を削ぐ声が家に響いた。

 近所迷惑だろ、と文句を言いたくなかったが、声の意味から察するに、ようやく終わったようだ。


 俺は部屋を出て書斎に向かった。


「終わったの?」


「うん。いやあ、ファンタジー小説の翻訳は造語も多いから手間取ったー!」


 お辞儀をするのだ、とか、モチのロンさ、とか。

 確かに、ファンタジー小説の翻訳は大変そうだ。


 香織は随分と長い間、今翻訳を手掛けていたファンタジー小説の翻訳の仕事をこなしていた。ページ数にして四百ページ。そして、海外で大人気の小説ということで、とにかく神経を研ぎ澄ませてその仕事にあたっていた。

 ただそんな仕事ぶりが災いして、最近では納期にずっと追われて辛そうだった。実は何度か翻訳した内容を出版社に送っていたそうだが、推敲された上で却下を食らっていたらしい。


 ぐおーっ! とか。 うぇーん! とか。

 そんな悲鳴に近い近所迷惑な声を深夜に響かせていた。


 ……ただとにかく、これでようやく少しは俺の家事の負担も減る。

 少し、俺も肩の荷が降りた気分だった。


「さすがにこれ以上、ダメ出し食らうことはないでしょ。そうと信じたい!」


「そうと信じよう。母さんはよくやったよ」


 俺は労いの言葉をかけた。だって香織は既に、ダメ出しを食らうこと前提で発言をしているんだもの。

 

「いやー、やっと終わったやっと終わった。……ぃよし! 伊織! 今度どっかに行こう!」


 仕事終わりだからか一層テンション高く、香織は言った。

 どっかに行こう。


 俺は、目を丸くした。


「……どっかって?」


「任せる!」


「任せるって……」


 唐突な提案に、俺は呆れた。彼女はこんな突拍子もないことを言う生き物だったか?


「いつ頃行くの?」


「今から! ……と言いたいけど、さすがに眠い」


「それは寝るべきだ」


「……まあ、もう一回細かいところの修正を指示されると考えたら、三月とかかな」


「凄い。さっきと言っていることが違う」


 やっぱりお前、修正させられると思ってるんじゃねえか。

 香織は立ち上がって、体をほぐしていた。

 息子の立場としては何も思わないが、元恋人の立場としては目のやり場に困った。香織の格好は、冬場にも関わらずTシャツとショートパンツという出で立ちだった。


「ふふっ、お母さんとデートだね」


「そうだね」


 香織の口から発せられたデートという言葉に、俺は微妙な顔をしてしまった。

 茶化したつもりで言ったのだろうが、茶化されたとは思いたくない気持ちがあった。


「……これまで負担をかけてごめん。これからは家事は分担に戻そうか。後は、デート。どこに行くか考えておいてね」


「うん。わかった」


 二十年ぶりに、どんな形であれ香織とのデートをする機会に恵まれた。

 俺は、それが嬉しくて即答していた。


 でもまもなく、デート場所を調べる時間を考慮したら、また一層自分の調べ物をする時間がなくなることに気付いた。

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