部屋
タイトルを変えました。短くしすぎた感はある!
そんな会話をしている内に、三人は夕食を食べ終えていた。
俺は率先して食器洗いをして、橘さんを一人部屋に戻らせた。熱があるのだから、と頑なな態度を示したら、いつになくシュンとした態度で部屋に戻っていった。
「悪いわね、洗い物やってもらっちゃって」
「いえそんな。これくらいのことしか、俺は出来ませんが」
少しでも手助けになれたのなら、幸いだ。
洗い物を終えて、俺は手を拭った。
「そろそろ俺、お暇しようかと想います」
橘さんの見舞いは済んだ。夕飯までごちそうになった。
今日の成果は、上々だ。
だから、俺は言った。
「あらそう? ……あー、でももうちょっといてくれない?」
「え、どうしてです?」
「あたし、優香を連れてお風呂に入るつもりなの。その間に泥棒がこの家に来たら大変じゃない? 美玲も行っちゃったし」
「はあ。まあ、そうですね」
「だから、美玲の部屋で三十分くらい、あの子と話してから帰ってもらえる?」
橘さんのお母さんは無邪気な子供のような笑みを浮かべていた。
俺は、あまり気乗りしなかった。
「病気の彼女が寝るのを邪魔するのはちょっと」
「いいのよ。あの子の一番の薬は、あなた」
「一体どんなやぶ医者が俺を処方したんです」
「あら、あたしはことあの子に関してだけは世界一の名医よ?」
なんだそれ。
呆れた俺だったが、もし彼女のお母さんの言うことが本当で、俺が橘さんの寝ることを邪魔することが一番の薬なら、三十分くらいはやぶさかではなかった。
「わかりました」
今日一日、橘さんとロクに会話出来ず、喉の筋肉が衰えた気さえしていた。筋トレと思えば、悪い話ではなかった。
「じゃ、ごゆっくりー」
橘さんのお母さんは、優香ちゃんを連れて風呂場へ向かった。
俺は、橘さんの部屋に歩いた。
何度かお邪魔した部屋の前、俺は扉を軽く数度ノックした。
「橘さん、起きてる?」
返事はなかった。
ゆっくりと、俺は扉を開けた。
橘さんはベッドに座って、スマホをいじっていた。
「何よ」
俺を睨みながら、橘さんは握っていたスマホを背中に隠した。
「……いかがわしいものでも見てたの?」
「は?」
「いやごめん。なんでもない」
さすがに今のはない。
俺は平謝りだった。
「……座ったら?」
「あ、うん」
扉の前で立ちぼうけていたら、橘さんに指摘された。
俺は室内に歩き出した。
どこに座ろうか。迷っていると、橘さんは自分の寝ているベッドをポンポンと軽く叩いていた。まるで、そこに座れと言っているようだ。
上半身を起こした橘さんの丁度膝の傍に、俺は腰を落とした。
……そう言えば、さっき随分と長い時間片付けをしていた割に、部屋の中は前回見た時とそこまで大きな変化がないことに俺は気付いた。
いや別に、室内が汚いといいたいわけではない。生真面目な橘さんの部屋は、いつだって整理整頓されていて清潔感に溢れている。
「ちょっと、勝手に人の部屋をジロジロ見ないでくれる?」
「あ、ごめん」
「まったく。今日のあんた、ずっとそんな感じね。変に緊張しないでよ。こっちまで恥ずかしくなる」
思ったよりもガチの説教だった。
俺はアハハ、と乾いた笑みを浮かべた。
「……お母さん、あんたのこと気に入ったよ。良かったね」
「そう? それはまあ、良かったのかな」
「言っとくけど、お母さんは四十歳であんたより年上な挙げ句、既婚者だからね」
「あ、はい」
それは別に気にしていなかったが、何故今そんなことを?
「……それより橘さん。体調はもう大丈夫?」
このまま橘さんのペースで喋られると、ずっと愚痴っぽい話を聞かされると思って、露骨に俺は話を変えた。
ただ色々な思惑はあったが、今言った言葉が今日一番知りたいことであったことは間違いなかった。
「大丈夫。明日はちゃんと、学校行く」
「それなら良かった」
「……今日、どうだった? 合唱練習」
「大丈夫。皆君への心配はしてても、合唱へのやる気はなかったから怒ったりはしてなかった」
「皆のことなんてどうでも良い」
橘さんは、微妙な顔で俺を見ていた。
「……あんたは、大丈夫だった?」
「……あー」
わざわざ俺に特別練習を課したのに、初日を終えて早々に病欠。思えば、責任感の強い橘さんであれば気を病みそうな事柄だった。
「俺も大丈夫だった。昨日よりほんの……極、ほんの僅かだけど、良くなった……気がする」
「何だか煮えきらない」
「一日そこらでそこまで劇的な変化を遂げられたら、音痴なんてとっくに卒業してるからね」
「確かに」
クスクス、と橘さんは笑った。
「……でも、今日一日は教室がいつもより広く感じたよ」
「え?」
「たった一人、友達が休んだだけだった。でもそれだけで俺、今日一日ほとんど誰とも会話をしなかった。俺がどれだけその人に助けられていたか、よくわかった」
「……ぅん」
「……明日は、学校に来てくれよ。そしたら快復祝いに、一緒に食堂でお昼ごはんを食べよう」
「うん」
……本当は、昨日から。
そして、今日も。
橘さんには色々聞きたいこと。話したいことがあった。
近所の神社で起きた死傷事件のこと。
そして、一昨日あの古書店で何を買ったのか。
話して、一緒に考えて……そうして真相に近づけたらと思っていた。
もう俺は、俺の現状にまつわる経緯を一人で解明させる気をすっかり失くしていた。
最初は、一人だった。
他人を巻き込むのはエゴだと思ったし、こんな荒唐無稽な話誰も信じないとも思った。だから一人で解き明かすつもりだった。
……でも、少しずつ胸中に広がる不安と恐怖に、俺は取り乱した。
だから、隣にいてくれた彼女を頼った。
今、この部屋でいつも通りの橘さんを見て酷く安心を覚えた。
不安だった。
三が日から始まり、地元帰省、そうしてこの発熱。
思えば俺は、最近ではずっと橘さんに頼りっきりだった。
一人で絶望と向き合う勇気がなく、俺は若干十五歳の少女に、一体どれだけの負担を強いてきたんだ。
橘さんは強い。
いつか彼女は自分なんかより俺の方が強いと謙遜したが、あんなの誤りだ。
十五歳にして、同級生の男の正体を知り、その中身の人間の生死を一緒に確認し……そして、取り乱さずに、俺を励ましてくれた。
そんなことが出来る十五歳が、この世に一体どれだけいるんだ。
……きっと、俺が無理をさせてしまったんだ。
それが災いして橘さんは、体を壊した。熱を出した。
こんなことを言ったら橘さんはそんなことはないと怒るだろう。
でも俺は、そうとしか思えなくて、顔には出さないように努めたが罪悪感に駆られていた。
これからはしばらく、橘さんを巻き込むのはやめよう。
橘さんに今回のように体を壊してほしくなかったから。
橘さんにもっと年相応の青春を味わってほしかったから。
そして、一番は……。
……弱った橘さんの顔を見るのが、辛いから。