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お行儀

 カチカチと時計が鳴る音が聞こえる。

 優香ちゃんは楽しそうに絵本を読んでいる。

 橘さんのお母さんは、せっせと夕飯を作っている。


「あの、手伝いましょうか?」


「あらあ、伊織君はご飯も作れるんだ。でも大丈夫。今日はおばさんに任せて」


「あ、はい」


 優香ちゃんが遊び相手になってくれないから、部外者の俺は居た堪れない気持ちになってしまっていた。なんで今日に限ってこの子は、絵本に夢中なのだろう。

 こんなことならボコボコにしてくれてもいいから、マリ○ーしたい気分だ。


「優香ちゃん、マリ○ーはしないの? あ、それとも最近発売された○プラトゥーン?」


「え、どっちもしないよ?」


「どうして?」


「お母さんに負けるから」


 未だに勝てる見込みがない優香ちゃんをも負けを認めさせる橘さんのお母さん。どうやら只者ではないようだ。

 しかし、なんだ。落ち着かない。

 優香ちゃんにボコボコにしてもらって気でも紛らわせようと思ったがそれも叶わないし、橘さんは依然二階で掃除中。


 元々、橘さんのご両親にはいつかご挨拶をしないといけないと思っていた。あれだけお世話になったのだから当然だ。

 しかし……何だか今の気分は、恋人の実家に赴き、娘さんを僕にください、と叫ぶ的なやつを連想させるくらいの緊張感だ。


「何ソワソワしてるの? あんた」


 そんな俺に助け舟が訪れた。

 橘さんがリビングに戻ってきたのだ。


「あ……もう、熱は大丈夫?」


「……ん。お昼には引いた。解熱剤が効いたのかもね」


「そっか。それは良かった」


 チクタクと時計の針が動く。


「……高山さんがさっき言ってたよ。君が熱を出すだなんてびっくりだって」


「あの人は、またそうやって余計なことを言う」


 熱がぶり返したのか、橘さんの頬は赤かった。


「……色々買っておいたから、今度食べてよ。ゼリーとかスポーツドリンクとか、だけどさ」


「え……そ、そんなの悪いよ」


「いいから。この前無理させちゃったお詫びだよ」


「無理だなんて。あれはあたしが自分の意思で付いていった。むしろ、あの日の昼食代だって返してないのに。……なのに」


「あんた達、さっきから物議を醸す発言を飛ばしすぎなんだけど」


 キッチンで料理をしていた橘さんのお母さんに、俺達の話は筒抜けだった。

 日頃は残業して家にいないから存在を忘れていた。そう顔に書いた橘さんは顔を真っ赤にして狼狽えていた。


 物議を醸す。

 確かに、昼食代のこととか。そもそも一緒にどこかに行ったこととか。


 橘さんのお母さんも、俺達の関係がここまで親密だとは思っていなかったのだろう。


 まあ親密と言っても、俺達の関係は現状、俺の秘密にまつわることを調査するために形成されていると言っても過言ではない。

 俺達は今、俺も知らない俺の秘密を探るため……。


 一緒に泊まりの旅行に行き。

 ホテルで一緒の部屋に泊まり。

 そうして慰めるためだと、過ちを起こしそうになった場面もあった。


 ……あれ、これ絶対言えない話ばかりじゃないか。


「も、もういいでしょ。とにかく夕飯作ろうよ。お腹空いた!」


 橘さんはキッチンに足早に向かった。

 お腹空いた、と言うが、彼女は端から見て心配になるくらい少食だ。それも熱が下がったばかりで本当にお腹は空いているのだろうか?


 ああ、照れ隠しか。


 俺はそう悟ると、再び居た堪れない気持ちで二人の調理を見守った。

 日頃、橘さん宅の家事全般をしているからか、調理の手際は既に橘さんの方が上回っているように端からは見えた。


「美玲。伊織君があたし達の手さばき比較している。いいとこ見せなさい」


「う、うっさい!」


 俺は目を逸した。

 橘家の人間は皆鋭くないといけないの?


 手早く調理は終わって、二人は机に夕飯を運んできた。さすがに、夕飯を運ぶのは俺も手伝った。

 そうして机の上に料理が並んだ。

 優香ちゃんの言った通り、俺達三人の前にはハンバーグ。橘さんの前には、雑炊。


「あなた、お腹空いてるんじゃなかったの?」


 ニヤニヤと笑う橘さんのお母さんが指摘した。


「うるさい。お行儀よく食べて」


「あいたた。娘に行儀を指摘されてしまった」


「もう。久しぶりの家族での食事だからって浮かれないでよ。一応、あ、あの人だっているんだから」


「はいはい。ごめんね」


 なるほど。

 橘さんのお母さんは随分テンションが高いと思っていたが、いつも残業ばかりで娘二人と一緒にご飯を食べる機会に恵まれなかったから……だから浮かれていたのか。


「ごめんなさい。家族水入らずの場なのに」


「何言ってるの。あなたも将来、ウチの子になるんだから」


「ちょっとお母さん!」


「冗談冗談!」


 ……本当に、浮かれているだけなのか?

 掴みどころのない橘さんのお母さんに、俺は苦笑した。


 というか、今日は橘さん宅に入らせてもらってからずっと居た堪れない気持ちだ。


 時計の音がやかましいくらい、落ち着かない。

 今だって、そうだ。

 カチコチと時計がやかましくて仕方がない。

 いつも、橘さん宅でご飯を食べる時、ここまで時計の音を気にしたことはなかったのに。


 そこで俺は気付いた。


 橘さんの家でご飯を食べる時は、自宅でご飯を食べる時と違いテレビが点いていた。なのに、今日はテレビが消されていた。


「優香ちゃん、テレビ見ないの?」


 俺は尋ねた。


「お姉ちゃんがお行儀が悪いから駄目だって」


 橘さんは目配せすることもなく、淡々とご飯を食べていた。

 まあ、確かに。

 我が家でも夕飯時のテレビは行儀が悪いから厳禁だと言われているが……何だか時代錯誤な考え方な気がしてしょうがない。


 その辺、香織も橘さんも柔軟な人だと思っていたのになあ。


「そう言えば、三が日夜遅くに帰って来た後から言い出したわよね、あなた」


「色々、考えることがあったの」


 三が日と言ったら、橘さんが我が家に遊びに来て、俺が取り乱した時ではないか。

 あれ以来、橘さんは夕飯時のテレビの視聴を禁じたのか。


「……今、気付いたんだけどさ」


 神妙な面持ちで、橘さんのお母さんは続けた。


「あの日、あんた着物して出掛けて……夕飯まで食べて帰って来たけど、まさか伊織君の家に行っていたわけじゃないよね?」


 ……そのまさかです。


 俺と橘さんは目を逸しながら、夕飯を食した。

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