取っ掛かり
合唱コンクールに関する説明がされた日の放課後、俺は誰もいなくなった教室で一人スマホをいじっていた。今日は古書店でのアルバイトもない日、こうして教室に一人でいるのも何ら問題はなかった。
大体いつも一緒にいる橘さんは、今日は一人、俺より先にそそくさと教室を後にした。残された俺は、こうして教室に留まってスマホで調べ物をしていた。
橘さんが俺に古書店のアルバイトを勧めた理由は、そこが情報の宝庫であるからだ。そんな場所で調べ物をしたら、知りたい情報を得られやすいのではと考えたわけだ。
ただ昨今の情報社会を鑑みると、古書店に行かずとも大抵のことはネット検索した方が当たりは付けやすい。
だから俺は、まずスマホでネット検索しある程度の当たりをつけてから、詳細をあの本屋で調べるようと考え今に至る。
まあここまでの言いぶりで大体予想はついたと思うが、今俺が教室に留まってまでしている調べ物は、伊織の身に巻き起こったことについてだ。
自宅ではなく教室で調べる理由は、徹底的な箝口令を敷く香織がいる家でそれを調べて、ボロを出すにはいかないから。まあ、自室内でスマホで調べるくらいであれば見つからなさそうなものだが、念には念を、というやつだ。
検索ワードをどうするか。
最初はそんなことで悩んだりもした。
でも、恐らく香織の夫と伊織、二人以上が巻き込まれた事件となれば、検索ワードも何となく頭に浮かんできていた。
二人以上巻き込まれた事件となれば、交通事故に巻き込まれた可能性が高いのではないか、というのが俺の所感だ。
街中を親子で歩いている際、後ろから老人の運転する車に突っ込まれて、なんて事件は今や珍しいものでもない。悲しいことだが。
そして、二人以上を巻き込んだ交通事故であれば、世間でも結構なインパクトを与えた事件として記事に残っている可能性は高いと思った。
結果、
『東京 二人以上 事故 ○年三月』
俺は検索エンジンにそう打ち込んだ。
東京に検索範囲を限定したのは、香織が事件に巻き込まれていないだろう点を考慮してだ。もし香織も事件に巻き込まれていたのなら、事件は旅行先で起きた可能性もあるだろうが、香織が無事であれば自宅周辺である可能性が高いだろうと思った。
端から客観的に見て、斎藤家は仲睦まじい家庭だ。だからこそ家族旅行に、香織一人だけを置いて出掛けることなんて、想像することは出来なかった。
……検索結果が表示された。
一番上に出たのは、度々橘宅にお邪魔する際、ニュースで流れる地方のバス事故事件。東京に限定したのに出てくるくらい、センセーショナルな事件なのだろう。
まあ俺もこの事件は、橘さん宅で国営ニュースをぼんやりと見ているから、全容は何となくだが知っている。
この事件は、旅行用バスが荒天の中、山中を走っている最中に、バスの前輪が脱輪し制御を失い、崖下に転落したというおぞましいものだった。
ただ、このバスが旅行用であることを考慮すると伊織達の事件とは無関係に思えた。
そうなると、他に候補はあるか。
……歩行者天国中に車が突っ込む。
……高速道路の逆走。
……子供の急な飛び出し。
時期や場所、人数を限定しているのに、意外に限定外の内容が検索に引っかかる。検索上位に出るのは、人々の注目を集める事件だから結局そうなってしまうのか。難儀なものだ。
意外と難航する調査に頭を抱えながら、俺はスマホをスワイプして次々とニュースのタイトルを眺めた。
「ん?」
一件、気になるニュースが目に止まった。
『有名神社にて親子死傷事件』
交通事故関連の内容を調べていたのに、思いもよらぬものが検索に引っかかった。
俺はリンクをタップし内容を読んでみた。
犯行現場となっていたのは、いつか橘さんと初詣に行った神社だった。
事件が起きたのは、去年の三月中旬。
神主が早朝に敷地内を見回り中、負傷した親子二人を発見したとのこと。賽銭箱が荒らされた様子から、賽銭泥棒中の犯人の犯行を見た二人が、口封じに暴行されたと見て警察は捜査をしている。
妻の話を聞くに、親子二人は丁度散歩に出掛けていたそうだ。向かった先はコンビニ。そして、そのコンビニから被害者宅の間には、丁度神社があった。二人は近道のためにそこを通り過ぎることはしょっちゅうだったそうで、その習慣が災いし、犯人と鉢合わしてしまったと考えられている。
大まかな内容は、こんなところだった。
……俺と橘さんが、伊織と香織の夫の事件が三月と断定したのは、家計簿アプリの食費から。三月から四月にかけてガクッと減った食費に、恐らくその月のどこかで何かがあったと考えたのだ。
三月中旬という犯行時期は、食費のことを鑑みても矛盾はない時期だろう。
「……これか?」
取っ掛かりらしきものを見つけたことに、俺はわかりやすく興奮を覚えていた。
「これか、じゃない」
「うわあっ」
調べ物をして集中している中、冷たい声が背後からして俺は飛び上がった。
慌てて振り返ると、そこには橘さんがいた。
「あれ……今日はもう、帰ったんじゃなかったんだ」
「はあ? あんたを置いて帰るわけないじゃない」
「え?」
心臓が高く跳ねた。
「わ、忘れて……」
橘さんは頬を染めてそっぽを向いた。
しばらくして、思い出したように俺を睨んだ。
「あんた、合唱コンクールの練習、どうしたのよ」
「……あ」
そう言えば、練習は早速今日からだ、と朝のショートホームルームでいきり立つ菅生先生が言っていた……気がする。
「そ、それより橘さん。一つ見つけたことがあるんだ」
「一つ見つけたこととっ! 皆への迷惑。あんたはどっちを優先するのよ!」
俺は呆気に取られていた。
いつもならなんだかんだ橘さんは最後まで話を聞いてくれるのに、今日に限って怒ってしまったからだ。
……まあ大概、今回の件は俺が悪い。
「ごめん。本当に、ごめん。音楽室に行ったら皆にも謝る。行こう」
「……ん」
気のいい橘さんは、俺の話を聞かなかったことに僅かに申し訳なさがあるのか、シュンとして俺の後ろを歩き出した。
まったく、迷惑をかけたのは俺なのに、彼女まで悲しませて酷い男だ。
俺は、一旦見つけたニュースを忘れてすべきことに集中することにした。