極寒
お墓参りも終わり、キチンと自分の体とのお別れを告げた俺達は、短いようで長かった地元帰省の帰路についた。
俺はまだ生きている。でも、体は死んだからお別れを告げる。滅多にしないそんな体験に、俺は少しふわふわとした気分でバスに揺られていた。
橘さんは、俺の隣で寝ていた。
昨日と今日、彼女にはかなりの苦労をかけた。恐らく疲れが一気に出たのだろう。
俺の肩を借りて眠る橘さんを起こさないように細心の注意を払いながら、俺はのんびり駅に着くのを待った。
「あ、あたしよだれとか垂らさなかったよね? ね?」
バスを下車した後、取り乱した橘さんに俺は苦笑した。
「大丈夫だったよ」
「嘘。嘘言わないで……。ああもう。ああもうっ」
橘さんは昨日、今日で一番、気が立っていた。
「そ、そんな怒ることないよ。大体、心労をかけた俺のせいなんだから」
「そ、そうよ。あんたのせいで……うぅ」
「ごめんね。本当、ごめん」
「……謝らないでよ。他人の所為にしてるあたしが、滑稽じゃん」
ぶつくさと橘さんに文句を言われた。
中々、女心と言うものは難しい。
それからは無駄口も叩くことなく、俺達は券売機で帰りの新幹線の切符を購入した。今から一時間後の新幹線の切符を買ったのは、さすがにそろそろ小腹が空いてきたから。
昨日の夜から色々あって、俺達はずっと何も食べていない状態だった。
駅構内にある昨日と同じファミリーレストランに入店した。
お昼を過ぎた今の時間は昨日同様、店の中も静かなものだった。
「今度は、ちゃんと上等なお店に行こう」
「……また、次があるってこと?」
ようやくいつもの調子を取り戻したいつも通りの橘さんに、鋭い目つきで俺は尋ねられた。
「うん。そうだね。君が、嫌じゃなかったら……是非」
「……嫌、じゃない」
頬を染めて、橘さんはそっぽを向いた。
そう言ってくるなら、嬉しい限りだ。綻びそうになる頬を抑えながら、俺は運ばれてきた料理を食した。
数十分。運ばれてきた料理を平らげて、会計を済ませて俺達は外に出た。
「何とかギリギリ足りたね」
「ごめん。借りた分は今度返す」
橘さんが急ごしらえしたお金は底を尽き、俺は彼女の昼食代も払っていた。
「いいよ。今日は……いや、今日も、君には凄いお世話になった」
「駄目。そういうことはきっちりとしないと。駄目!」
「……まあ、また今度ゆっくり話そう?」
「……わかった」
今、手持ちのない中で意固地になられても話は始まらないし、お金を賄えた頃にどうするか決めよう。俺は思った。
まあ、金を受け取る気はない。
その頃には橘さんが今回のことをすっかり忘れていることに期待していた。
ただ新幹線のホームに上がった頃に、きっと彼女はそういうの、すっぽかすタイプじゃないなと気がついた。
「そう言えば、あなたの勤めていた会社の名前はなんていうの?」
俺の気も知らず、橘さんは尋ねてきた。
「ん? 〇〇製作所っていうところだよ」
「そっか」
再び、俺達は無言になった。
「……それで、あなたは今後、何をしていくの?」
橘さんの質問は意図が汲み取りにくく、俺は首を傾げていた。
「ごめん。えぇと……今日、あんたは自分の身がどうなったかを知れたわけじゃない? まあ、最悪の結果だったけど。……ただとにかく、それを知れた。そんな中あんたはこれから、何を調べていくのかなって。これまではずっと自分の身がどうなったのかを調べたわけでしょ? そして、まだまだあんたは知らないことがいっぱいある。だから、どうするのかなって」
橘さんの言いたいことがわかって、俺は俯いた。
俺がまだ知らないこと。この体になって、知らないこと。
橘さんの言う通り、俺はまだまだ知らなければならないことがたくさんある。
俺の体が死んでしまったことはわかったが、死因まではわかっていないことだったり。
俺がどうして、伊織の身に乗り移ってしまったのか、だったり。
……ただ、次に調べようと思っていることはもう、決まっていた。
「伊織の身に、何があったのか」
俺は言った。
「……それは、今日手がかりを見つけたから?」
「いや、そうじゃなくてもそうするつもりだった」
「……どうして?」
「君も言っていたけれど……俺はもう、君以外の前では伊織なんだ。俺の目の前に広がる世界は、伊織の世界なんだ」
「……うん」
「だから俺も、伊織にならないといけない。彼に何があったのか、向き合わないといけない」
何故ならそれはきっと……最終的には香織を安心させることにも繋がるからだ。
香織はまだ、俺が記憶障害を患っていると思っている。そんな彼女に少しでも記憶が戻った様子を見せれば、それが仮に偽りでも喜んでくれるに違いない。
「今、香織さんのこと考えてるでしょ」
隣で、寂しそうな声がした。
振り向くと橘さんは、今にも泣きそうな顔で、俯いていた。
「……あたし、いつか聞いたよね。あなたは今、好きな人がいるの?」
……ああ、そういうことか。
「あなたの好きな人は、昔の恋人なんだよね」
鋭い橘さんに、俺は目を逸していた。
「……あなた、香織さんのことは呼び捨てで呼ぶんだね」
「……そうだった、かな? ごめん、意識してなかった」
「あたしのことは、橘さんなのに」
まるで拗ねた子供のように、橘さんは唇を尖らせて呟いた。
「あなたと香織さんは、無関係ってわけじゃないんでしょ? ねえ、どんな関係だったの?」
責められている気分だった。
どうしてそんな風に受け取ったのかはわからない。ただ、素直に答えたくないと思ったのは、抵抗心からだろうか?
……でもまもなく俺は、橘さんには嘘をつきたくないと居直った。
「君も知っているかもしれないけれど、香織は……優しくて面倒見が良くて、頼りになる人だったんだ」
それはいつか、俺が橘さんに答えた、俺の想い人に関する情報。
行き当たったのか、橘さんは一層辛そうに俯いた。
しばらく俺達は黙っていた。
途中、新幹線が通過することを駅構内のアナウンスが告げた。
でもそんなことに気を留めることもなく、俺達は黙っていた。
「あたしはーーっ」
橘さんは飛び上がって驚いた。
三車線の真ん中を爆音轟かせて過ぎ去る新幹線に、恐怖を抱いたようだった。
胸が温かかった。
この寒い日に。
ドクンドクン、と、自分の心臓の音が聞こえた。
橘さんは、新幹線の爆音に驚き俺の胸めがけてダイブしてきたのだ。
橘さんの顔は、俺からはどれだけ見下げても見えなかった。
橘さんは、俺から離れようとしなかった。
「寒くない?」
「……少し、熱い」
橘さんの声は、震えていた。