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徹底的

 言い切ってからなんだが、俺は今自分が言った説に対して、本当にあっているのかは半信半疑だった。ただ言い切ってしまった手前からなのか、徐々にそれが正しいような気もしてきていた。


「ちょ、ちょっと待って」


 どうやら橘さんも俺と同じらしい。

 そうだと思うが、本当にそうなのか、自信がない。取り乱す様からはそんな風に見えた。


「……もし、もし香織さんの旦那さんが亡くなられた時期が去年の三月末だとしたら、大切なものがこの家計簿には書かれていないことになる」


「葬式代」


 橘さんは頷いた。

 

 現時点での俺の説がもし正しい場合、恐らく香織の旦那と伊織が何かしらの事件に巻き込まれたのは三月末になるだろう。

 何故なら、四月に入ってからの事件であれば伊織が今の高校に一度は通ったことになるからだ。退院した日に、香織が俺に一ヶ月くらい使われることのなかった制服を手渡してきた日のことは、昨日のことのように覚えている。


 そして、制服を着たことがないということは、イコール、伊織が高校に行ったことはない、との裏付けにもなる。


 よって俺は、伊織達が巻き込まれた事件があるとすれば三月末だと考察した。


 ただそうであれば、普通であればこの家計簿アプリに葬式代は記帳されることになる。記帳されるとなれば、この頃の香織の傾向から見て、その項目はきっと……『その他』になるだろう。

 三月末から四月上旬にかけて、一番のその他の支出は五万円。

 さすがにこの額では、葬式なんて行うことは叶わないだろう。


 でも……。


「もう一つ大切なことが、この家計簿には書かれていないだろう?」


 俺には、葬式代がここに記帳されていない理由に宛があった。


「何?」


「伊織の、入院費だ」


 この家計簿アプリを見ている中で、俺は橘さんのフォローをもらう今日まで結局、伊織の身に何が起きたかの宛の一つも見つけることは出来なかった。

 手っ取り早いヒントが、このアプリには記載されていなかったからだ。


 橘さんも、まもなく俺と同じ思考に行き着いたらしい。


「……意図的に、省いてる?」


「そうだろうね」


 恐らく、香織はこの家計簿アプリに意図的に支出を記載していない内容がある。

 本来、家計簿アプリを使うなら、お金を使った内容はきっちりここに書くべきだ。でも、香織はそれをしなかった。


 一体、どうしてか。


 橘さんは思いついたことがあったのか、暗い顔で俯いていた。もしかしたら自分が香織の立場になった時のことを連想したのかもしれない。


「……無理もないかもね」


 気落ちした声で、橘さんは言った。


「もしあたしが香織さんの立場なら……やっぱりそうしたかもしれない。こんな形で、夫の死と息子が傷ついたことを思い出すなんて、つらすぎるよ」


 橘さんは優しい人だ。

 そして、他人の気持ちを慮れる人だ。

 そんな彼女が、香織の立場になったのなら……きっと、同じことをしたかもしれない。




「いや、多分そうじゃない」




 でも、俺は橘さんの説を否定した。

 香織は最愛の夫を失い、最愛の息子を失いかけた一件を思い出したくなくて、家計簿アプリにそれらの項目を記入しなかったわけではないんだ。


 根拠は……。


『菊の花(白) 二基』


 俺は、スマホに表示された文字列を指さした。

 橘さんは納得したようだ。


「もし夫と息子の過去を思い出したくないなら、これを書くはずがない」


 供花に捧げられただろうこれは、間違いなく二人のことを思い出す苦い項目。

 意図的に省かれてもおかしくないはずなのだ。


 なのに、これは残っていた。


「……それじゃああんたは、どうして香織さんが意図的にそれを省いたと思っているの? 何か、宛はあるの?」


「ある」


「それは?」




「俺に、何があったのかを隠すためだ」


 思い至ることはいくつもあった。


「高校入学の時、菅生先生には箝口令が敷かれていた。そして、俺に何があったのか、クラスメイト全員には伏せられていた。それだけ香織は、俺に何があったのかを気付かれたくなかったんだ。最初は思ったよ。その辺、何があったかだけでもクラスメイトに伝えてくれていたら話が楽だったのにって」


「……根拠は、それだけ?」


「いいやそれだけじゃない。そもそも香織は、高校生の息子に過干渉になりすぎだった。高校生のお小遣いがちょっと困窮したくらいで、普通の親なら家計簿アプリのインストールを強要したりするはずがない。でも香織は、俺にそれを強いた。多分、管理下に起きたかったんだ。俺のお財布事情を把握し、俺が事実を知ることがないように、下手な行動を打たないように、悟られることなく影で暗躍していたんだ」


「そ、そんなに……」


「……香織は、伊織が生まれるより前に一人、お子さんを流産したと言っていた。だから多分、伊織に二人分の愛情を注いでいたんだろう。そしてそんな子が昏睡状態になった。だから、傷ついてほしくなくて過干渉になっているんだ」


 言い切ってから、内心に宿っていた疑心が確信に変わっていった。

 

「……そして、最大の根拠は、俺が約十ヶ月もの間、伊織の身に何があったのか。一切のヒントも得られなかったことだ」


 橘さんは、目を丸くして黙っていた。


「普通、十ヶ月もあればヒントの一つくらい……誰かが口を漏らして気付きそうなものだろう。俺の第一優先が、自分の身の安否だったことも影響があるだろうけど、それでも十ヶ月もの間、手応えが一切ないだなんて普通じゃない。意図的に……徹底的に、箝口令が敷かれていたんだろう。多分、菅生先生だけじゃない。俺の近しい人には全員、香織の息がかかっていたんだ」


 そしてそれは裏を返せば、それだけ二人の身に巻き起こった事件は凄惨なものであったということ。


「きっと香織は、このアプリを俺と同期させると決めた時に、家計簿アプリからそれらの情報を削除したんだ。入院費や葬式代はその他で計上はしていたんだろうけど、高額の支出は目を引きやすい。俺からの詰問を避けるためにそうしたんだ。そして花の購入費は……本来、それだけでは事実には至れないから香織の検閲から免れたんだ。俺も真っ先に花を購入していたことが気になったけど、それ以上の情報を得ることは結局出来なかった。それだけじゃ、真実には至れなかった」


 食費も、きっとそれだけでは真実に至れないと判断されそのままにされたのだろう。事実、俺達はまだ、きっかけを掴めただけで真実には至れていない。


 橘さんは、呆気に取られた顔をしていた。

 まだそれが正しいとは、にわかには信じられないようだった。

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