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決行日

 学校にたどり着いて、しばらくの間授業に身を投じた。ただ俺は、家計簿アプリのせいで、今日はいつもより授業に集中出来ずにいた。

 何かヒントはないだろうか。まぶたを閉じて、さっきまで見ていた情報を頭の中で整理して、俺は藁にもすがる思いで物思いに耽っていた。


「伊織、寝るなー」


「……ごめんなさい」


 教室に笑い声が飛ぶ。

 菅生先生に注意された俺は別に寝ていたわけではない。ただ状況証拠は寝ているようにしか見えなかったし、頭ごなしに否定出来るほど、今の俺は模範生な態度で授業に取り組んでいなかった。

 やきもきしながら一つ、また一つと授業が終わっていく。


「ねえ」


 昼休み、俺を呼び止めたのは橘さんだった。


「……ご飯。行こ」


「あ、うん」


「今度のデートの予定、決めましょう」


 わかったと答えた途端、背筋に突き刺さる視線がいくつかあった。振り返ると、男子陣から今にも刺されんばかりに俺は睨まれていた。

 そう言えば橘さんは、クラス内、特に男子の中ではべらぼうの人気者だった。どうやら今の俺達の会話が、連中には聞こえてしまったらしい。


「いつか、本当に刺されるかもなあ」


「は? 何言ってるの?」


 首を傾げる橘さんに、俺は返事は出来なかった。

 食堂にて、俺は素うどんを一つ注文した。前よりも豪勢とは言えない料理を頼んだ理由は、遠征へ向けた費用を稼ぐために他ならなかった。


「あんた、最近いつもそれだけだけど……そんなんで足りるの?」


「夕飯たらふく食べるから大丈夫」


「夜は、昼よりご飯控えた方がいいの、知らないの?」


 知っているが、背に腹は代えられない。


「……お弁当、一応あんた用のも持ってきたんだけど、いる?」


「え?」


「か、勘違いしないで。……ただ、そんなんじゃ一日戦える体力が養えないと思っただけ」


「あ、ありがとう」


 俺は目に涙を蓄えながら、橘さんから俺用のお弁当を受け取った。


「余り物を詰め込んだだけだけど、文句言わないでよ」


「言うわけないよ。君の手料理の美味しさは、俺が保証する」


 バイトの日は、今でも橘さん宅にお邪魔し夕飯を頂く生活を続けている。仕方ない。あれは福利厚生の一つだし、自宅まで空腹を我慢出来ないし、今ならそのまま橘さん宅で遠征へ向けた話し合いも出来るのだから。

 一石二鳥どころか、三鳥なのだ。


「それで、地元への帰省はいつするつもりなの?」


「……あー、そうだね」


 俺の口は重くなった。

 遠征する日は、以前の橘さんとの会話で春休み中から今月中にも実施する方針で話が付いた。


「月末、かな?」


「それまでに何か用事あるの?」


「いやないけど……」


「え、ないのにそんなに後ろ倒しにするの?」


 口だけ上司の仕事遅延の説教のような言い方で、橘さんは俺の考えを一蹴してきた。


「もう少し早く出来ないか、考えてはいる。でも、何とか今月のアルバイト代をもらってから決行したいと思っている」


 二人分の移動費、食費を賄うことを考え、先日俺は二人の遠征費を算出してみた。結果、当然のように予算オーバーだった。だから、決行は給与日が過ぎる一月末で考えていた。


「……あんた、今朝だって家計簿アプリを見ながらニンマリしてたじゃない。お金貯まってきてるんじゃないの?」


「そうだけど、二人分となるとどうしても……何があるかもわからないし」


「二人分?」


 橘さんは首を傾げた。どうやら先日、俺が橘さんの費用まで払って遠征に付き合ってもらうと言う約束を忘れてたようだ。


「あたし、自分の分は自分で持つよ?」


「いや駄目だ。男が言い出した約束だから、絶対に俺が二人分費用を持つ」


「男が言い出したって、あたしが同意していないのに約束も何もないでしょ」


「でも、あの条件で君は一緒に来てくれるって約束してくれたわけでしょ?」


「誰もそんなこと言ってない。初めからあたしは、自分の費用は自分で持つつもりだった。……お小遣いなら、ちゃんとある」


「……でも」


「これ、で、で……デートなのよね?」


「うん」


 頬を染めて噛み噛みな橘さんの言葉に、俺は頷いた。


「これは遠征じゃない。デートなの。だからあたしもお金を持つのは当然。あんたは世の女子がデートの時は、全部の費用男に持たせてると思ってるの?」


「男のことをATMと思っている女子がいるってことは知ってる」


「はっ。そんな人、この世に一人だっているはずないでしょ?」


 橘さんは鼻で笑って断言した。

 ただ非情なことを俺は言うが……多分、それは絶対にない。


「……今週末に行きましょ」


 しばらくして、橘さんは言った。


「今週末?」


「成人式休みもあるし、丁度いいじゃない」


「いやでもそれは、随分と近すぎるような……」


「あんたは、あたしとデートしたくないの?」


 怒り満点の顔で詰め寄って、橘さんは俺に言った。

 橘さんの決死の表情は迫力満点だが、本当に……何だか邪推しそうになる。


「そんなことないよ。俺も、早く行きたい」


「じゃあ決まりね」


「……わかった」


 二人分の遠征費用が不要であれば、今のお財布事情でも何とかなりそうだ。

 ただ、まさかここまで橘さんが親身になって俺との遠征を後押ししてくれるとは思っていなかった。


 精神異常者かもしれないと勘ぐる俺に、橘さんはよくもそこまで熱量を持って後押し出来るものだ。


 俺とのデートが楽しみで仕方ないから、早く行きたい。

 それくらいの方がまだ納得出来る。


 ただ、これが十五歳の伊織相手ならまだしも、三十五歳の俺相手なんだから……そんなことは絶対ないのだろう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・「あんたは、あたしとデートしたくないの?」と圧力をかけてくる橘さん。すばらしきツンデレ(笑) [一言] 現実との対面が加速していく!
[良い点] >だからあたしもお金を持つのは当然。 失われた30年で生まれ育った世代は割とこういう考え方だけど それ以前の世代、特に年寄たちは男がお金を払って当たり前と考える人が多いと思う。
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