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 夢を見ていた。

 それは俺がまだ元の体で生活をしていた頃、高校生の時の話だ。

 学校に入学して、香織という彼女と付き合い始めてばかりの頃の夢。俺が、最も順風満帆だった頃の夢だ。


 あの日、俺は香織と一緒に水族館に出掛けようと画策していた。

 県をまたぐことはないものの、俺達がお出掛け先に選んだ水族館までのアクセスはあまり良くなかった。電車もなく、唯一の移動手段は三本のバスを乗り継いで行くことくらい。しかも、田舎のバスだなんて一時間に一本走ればいいもので、あの時乗ったバスは三時間は平気で空白時間があるような過疎線だった。


 入念な下準備をした香織のおかげで、俺達は行きは順調にバスを乗り継いで水族館にたどり着いた。水族館では色んな生き物を香織と一緒に眺めた。

 亀。ペンギン。イルカ。ちんあなご。


 とりわけ香織のお眼鏡に叶った生き物は、ウーパールーパーだった。


 白色のゆるキャラみたいな見た目の生き物に、可愛い可愛いとはしゃぐ香織は、当時知り始めた香織の人物像から少しかけ離れていて、俺はそんな新鮮な彼女にばかり目を奪われていた。

 その日の水族館は繁盛していた。

 県内、県外からたくさんのお客が押し寄せて、館内を巡る時間は予定よりも大幅に遅れてしまっていた。


『そろそろ時間、危ないよ?』


 香織は腕時計を見ながら、帰りのバス時間に迫っていたことを俺に告げた。


『大丈夫だよ。今日は休日ダイヤで、水族館からの駅までのバスは多くなっているみたいだし』


 俺は持ち前の楽観的な考えで香織にそう言った。

 ただ、移動が面倒だからという理由で俺は帰りのバスに乗り込みたかったわけではない。可愛らしい恋人の姿を、ただもっとじっくりと見ていたいと思っただけなんだ。


 香織に視線を奪われていた。

 でも、当時の俺は内心でうっすらと理解していることがあった。


 心の中で俺が、付き合いたての彼女に惹かれつつあることは事実。

 でも、あの時彼女に惹かれていたのは、彼女の顔であり、見た目であり、スタイルであり……そんな外面的な要素だけだった。

 心の底から彼女のことを、好きになったわけではなかったのだ。


 自分はなんて薄情な人間なんだと一瞬自罰的になったが、それと同時に何となく確信めいたものもあった。


 きっと俺はいつか、彼女を失いたくないと思うくらい、彼女に惹かれていくのだろうって。


 結局、俺達が水族館を後にしたのは、予定よりも四十分くらい遅れてのことだった。バスの中はごった返していた。田舎のくせに、一体どこにこんなに人がいたんだろうって笑い合いながら、俺は彼女を満員の人から庇いながらバスに揺られた。

 帰りの道中は、大渋滞だった。


 帰宅時間が遅れた上に、数キロに続いた大渋滞。


 乗り継ぎのバス停に到着する頃には、もう今日のバスは走らないそんな時間になってしまっていた。


『ごめん』


 俺は謝った。


『謝らないで。あんな大渋滞じゃあ、元々の計画でも乗り遅れていたよ』


 そう微笑む彼女に、俺は救われた。

 それから俺達は宛もなく家の方へと向けて歩きだしたが、当然徒歩なんかで帰宅出来る距離ではなく……最終的に素泊まり可能なホテルを見つけて、そこで一夜を過ごすことに決めたのだった。


 高鳴る心臓を抑えながら、俺は香織がシャワーを浴び終えるのを待っていた。

 休日の田舎にも関わらず、ホテルは大盛況で……結局俺達は、ダブルベッドの部屋を一つしか借りることが出来なかった。


 ソファで寝ると香織には告げた。

 でも香織は、


『風邪引いたら困るから、駄目』


 そう言って俺をかき乱した。

 それからの記憶は、今でも鮮明に思い出せる。

 俺はただ、夢中になっていた。香織の柔肌に。香織の声に。そして、香織の微笑みに。


 思えばあれが契機だったんだろう。

 それまで俺が香織に惹かれていた要素は外面だけだった。でもあの日の出来事をきっかけに、彼女の優しさ、生真面目さ、面倒見の良さ。


 ……そして時折見せる小悪魔な一面。


 全てをひっくるめて彼女に……惹かれていったんだ。


 あの時別れて、良かったのかもしれない。

 あの時、まだ引き返せる内に香織と別れて……良かったのかもしれない。

 あれ以上深みにハマっていたら、俺は香織を失ったショックで命を絶っていたかもしれない。自分でも気持ちの悪いことを言っている自覚はある。

 でも、それだけ彼女は……俺には不釣り合いなくらい、素晴らしい人だった。


 ……素晴らしい人だったんだ。


『いつか、また会おうね』


 正真正銘の俺達の最後の言葉。

 もう二度と、香織に会うことはないと思っていた。


 なのに俺は……また香織に会う日を空想して、度々ふと再会した時、香織になんて言おうかを考えていた。

 思いついた言葉は、当たり障りもない、照れ隠しのような些細な一言。


 ……結局その言葉は言う機会がないまま俺は……よりによって彼女の息子に乗り移り、彼女と再会を果たした。

 わかっていたことだ。


 今の現状を鑑みたら余計に……わかることだったんだ。


 もう、香織と共に歩んでいくチャンスはありはしない。


 自分の身がどうなっているかもわからない俺に。

 彼女の息子となり生活を始めた俺に……。


 香織と結ばれる日なんてやってくるはずがないことは、わかっていたことなんだ。


 それなのに、再会を果たしてしまったから。


 もう二度と会うことはないと、そう思って諦めていたのに……また、再会してしまったから……っ。


 彼女の身の上話を想起させられただけで、体を壊してしまったんだ。


「……気持ち悪い」


 女々しく、あまりにも愚かな自分へ向けて、俺は吐き捨てるように言った。


「大丈夫?」


 そう心配げな声をかけてくれたのは、橘さんだった。

 気付けば俺は、夢から覚めて……口から自分への想いを吐露していたようだ。


 そしてそれは、病気に苦しむ俺を見る他者から聞けば、また別の意味に聞こえたことだろう。


「ごめん。なんでもない」


「……ちょっとでも違和感あったら、すぐに言って」


 橘さんの優しさが、少し痛かった。

推敲ついでに読み直したらクスッと笑ってしまった。熱で相当参ってると自己補完しました。

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