初任給
縮こまるような寒い夜。陽が昇っている時間が随分短くなり、夜と呼べる時間が増えている今日この頃。いつも通りアルバイトに向かうための電車の中、何故だかいつもよりたくさんの人が乗車しているように見えた。
アルバイト先の最寄り駅で電車を降りて、いつもの保育園。そして橘さん宅を超えて行き、ビル群に差し掛かった時、商業ビルの真ん中に立つ木にたくさんのイルミネーションが飾られていることに俺は気がついた。
七色よりも多い、たくさんの電飾で彩られたその木を見て。そしてその木を見に来たたくさんの男女を見て、俺は今日がクリスマスだと言うことに気がついた。
社会人時代は、クリスマスの時期も仕事だった。
恋人と呼べる人にも中々出会えず、そんなわけでこの日の特別感が俺は薄い。おかげで、浮かれる連中に反して一人この聖夜に仕事に向かう侘びしい時間を送る羽目になった。
まあ、夜になって思い出すようなことで侘びしいも何もないと思い始めた頃、俺は馴染みとなったアルバイト先、高山さんの経営する古書店にたどり着いた。
「お疲れ様です」
「お疲れー」
つい先日、高山さんが俺を雇った理由、この会社の支出を抑える経理の仕事の一環として、俺は電気代の節約と経費の削減を厳命した。
ただ夜という時間に差し掛かっていたからか、高山さんはいつも通り人のいない古書店の奥の座敷で、仕事に当たっていた。
この前までちゃぶ台だった机は、一昨日くらいに橘さん宅からお古だと差し入れされたこたつに成り代わった。
そのこたつに入って、寝転びながらパソコンをイジる高山さんは、とても業務中には見えなかった。
「きゃー。この猫可愛い。ウチにもほしいー」
普通に業務中ではなかった。
某動画サイトにアップされている猫の動画を見ながら、高山さんはコタツで温んでいた。
「仕事しなくていいんですか?」
「いいのー。今日はもう店じまい」
コタツでゴロゴロする高山さんは、文字通りゴロゴロ転がりながらそんなことを宣った。時折仰向けになった時、グレー色のパーカーから、二つの強調されたお山が現れ、正直目のやり場に困っていた。
「店じまいなら、俺は何しに来たんです?」
一応今日は勤務するように言われたからここに出向いたのに、これでは無駄足だし、人件費の無駄遣いだ。
「あー、じゃあ美玲が夕飯の支度出来るまで本でも読んでなよ」
「それは仕事と呼べない」
「経営者のあたしが言うんだからいいじゃない。忘年会よ、忘年会」
アルバイトに忘年会をしてあげるとは、福利厚生の整った古書店だな。
まあ、休んでいいと言っているなら無理に働くこともない。俺は一旦、表の本棚に何か面白い本はないかと物色しに向かった。
ここでアルバイトをする時、提案者である橘さんは、本屋で一緒に記憶喪失を取り戻す情報を探ったらどうかと俺に言った。ただ生憎、今日までこの本屋で伊織という少年の過去にまつわる話も、まして俺の身の安否の情報も掴めることはなかった。
探していないわけではない。ただ正直、俺の話も伊織という少年の話も、何からどんなアプローチで迫ればいいかわからない。それが、調査があまり進んでいない一番の要因だった。
まあ、だからといって諦めたわけではないし、むしろ気持ちは急くばかりなのだが……クリスマスまで気を張ることはないだろう。
ミステリー小説でも読むかと本棚を物色している時のことだった。
「斎藤くーん? いつまで本を探してるのさ」
「えー、別にいいでしょ。今日は休みなんでしょ?」
「いいから。早くしなさい」
少し間の抜けた雰囲気で急かされて、俺は目についた本を手にとって座敷に戻った。
いつの間にかコタツから上半身を起こしていた高山さんは、両手を隠すように背中に回していた。
「目の前に来て」
「なんで?」
「いいから」
靴を脱いで、俺は渋々高山さんの前まで歩いた。
「はい。じゃあこれ、クリスマスプレゼントです」
コタツの机の上に置かれた茶封筒。
そう言えば、クリスマスということは今日は十二月二十五日。
「給料は月末支払いだったんですね」
「メリークリスマスー!」
「ありがとうございます」
このバイト先での初任給。
茶封筒を掴むと、少しだけ感慨深い気持ちになった。
「少しだけ色付けておいたから」
「え、いいですよ。最初通りのお給料で」
「だって誰かさん、勝手に残業するし、休日返上してくるし」
「むぐ……」
ゆるい感じのバイト先だと思っていたから、それなりのモチベーションに従って勝手に勤務した日もあったが、それで色を付けられたというなら後ろめたい気持ちになってしまう。
「まあまあ。少し早いお年玉だとでも思ってよ」
「……ありがとうございます」
「それで斎藤君は、その初任給を何に使うのかな?」
「そうですね。まあしばらくは、貯金、ですかね」
面白みの一切俺の答えに、高山さんはブーブーと不満げだった。
貯金。と言っても、貯める期間はいつまでかは大体試算済だった。
……この前、誰かにインストールさせられた家計簿アプリやネットで調べながら、ここから地元への往復費用や移動費などを計算したのだ。
結果、俺は春休みに日帰りで地元巡りをすることで計画を進めていた。
日帰りにする理由は、費用的な問題と言うよりは香織に黙って行くに当たって不安感を煽らないためのものだった。
「まあ、それはもうあなたのお金だし、何に使おうがあなたの自由よねえ」
「そうですね」
高山さんのコタツの向かい側に俺は足を突っ込んだ。
塩対応をしたからか、高山さんに軽く足を蹴られた。
「まったく。クリスマスにまでアルバイトしてるから貯金しかすることないのよ」
「純度の濃い悪口止めてもらえます?」
それを言うなら俺なんかより、高山さんの方が事態は深刻だろと言いかけたが口を噤んだ。ただ今度はそれなりに思い切り、足を蹴られた。
橘さんと言い高山さんと言い、無駄に鋭いのは何なのか。
「痛い」
「……そろそろ美玲来るから、支度しておいてね」
まだここに来てから三十分ほどしか経っていないのに、早すぎやしないだろうか。
「言ったでしょ。今日は忘年会だって」
「橘さん宅であなた、暴れる気ですか? 親戚とは言えさすがにそれは……」
「あたしは閉店の時間までここにいますー。……クリスマスにまであなたの時間を奪ったら、怒られそうって思っただけ」
「誰に?」
「……朴念仁」
はあ、と呆れたように高山さんはため息を吐いた。
「もう、今年もおしまいね」
しばらくして、顎に手を当てながら、高山さんは感慨深そうに言った。
「あっという間の一年だった。年を取る度、時間の経過を早く感じるの」
「わかります」
「未来ある高校生が理解を示すな」
再び軽く、楽しそうな高山さんに足を蹴られた。中身はあんたより年上だと言ったら、どんな反応をされるだろうか?
「……まだ経理としての成果は出ていませんので、来年にはそれを示せるように頑張ります」
「真面目ね。……もう十分、貢献しているわよ」
まるで我が子の成長でも見ているかのように、高山さんは優しく微笑んでそう呟いた。
少しだけ、居た堪れない気持ちに俺はなっていた。俺が成果を出せていないのはまさしく事実。なのに、そこまでお礼を言われるとは。
高校生に経理など、端から高山さんの期待値は低かったのかもしれない。だからこそ、色々手をこまねく俺の姿を見て、頑張りを認めてくれたのかもしれない。
「ありがとうございます」
頑張りを認めてもらえることは、悪くない気分だった。
そして、褒めてもらったからには結果を示そう。気持ちは、奮い立っていた。
「……本当、真面目ね」
高山さんは、苦笑した。
「じゃあ今日はその真面目な気持ち、あの子のために使ってあげて」
「こんばんは」
丁度良いタイミングで、来客がやってきた。
その人はよく知った客だった。
「ほら、行ってきなさい」
「……本は、片付けておきますね」
目次だけしか読んでいない本を閉じて、俺はコタツから出た。
ひんやりと冷たい空気を感じてすぐ、座敷の方へ歩み寄る橘さんと目が合った。
「こんばんは」
「……ん」
もらった茶封筒をショルダーバッグに詰めて、高山さんに挨拶をして、俺は橘さんと古書店を後にした。
高山さんは、主人公の良き理解者のような存在になってほしいと思って書いてる。
橘さんは、主人公の良き理解者のような存在になってほしいと思って書いてる。
香織は、主人公の良き理解者のような存在になってほしいと思って書いてる。
全部一緒じゃねえか!!!
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