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記憶喪失(嘘)

 香織からアルバイトの許可をもらった翌日、俺はいつも通りに学校に向かった。自宅の最寄り駅から電車に乗ると、いつもの席に彼女はいた。


「おはよう。橘さん」


「ん」


 いつも通りの簡素な返事。

 俺は微笑みながら、彼女の隣に腰を落とした。これもまた、最近のいつもの光景だった。


「昨日はごめんね」


「別に」


 とりあえず、昨日罪悪感に駆られた内容を謝罪すると、口数少なく橘さんは返事をしてきた。

 橘さんは、俺が来た後もずっとスマホを眺めていた。見ている内容を覗く気は一切ないが、そこまで集中しているなら話しかけるのもなんだなあと俺は思い始めていた。


 しかし、そう思っていた途端、橘さんはスマホをスカートのポケットに仕舞った。


「スマホ、いいの?」


「別に、面白いものを見ていたわけでもないし」


「そうなんだ」


 それであればと、俺は昨日あった嬉しい話を橘さんに言う気になった。


「そう言えば昨日、ようやくアルバイトの許可をもらえたよ」


「そうなんだ」


「うん。本当、ありがとう。橘さんが勉強教えてくれなかったら、多分、まだ押し問答を続けてたよ」


 それは、本当に思っていたこと。

 学生時代以来の久しぶりの勉強。そしてかつての俺の授業への不真面目な態度を鑑みたら、すぐにこんな目覚ましい結果を残せるはずがないのだ。


 そして、いつか橘さんにどうしてそんなに勉強を頑張るのか、と興味本位で聞かれたことがあり、その時俺は素直な内心を吐露していた。

 故に勉強の成果を得た時、まず一番にお礼を言わなければいけないのは橘さんで間違いなかった。


「そう言えば、どんなバイトをするかは決めてるの?」


「ううん。まだだよ。これから時給と立地を見ながら、何のバイトするか決めるつもり」


 時給という言葉に反応したのか、橘さんは目を細めた。


「そう言えばあんた、なんでバイトなんてしたかったの?」


 それは、以前は聞かれなかった話だった。

 どこまで話すか。俺は一瞬逡巡した。


「ほら、俺って記憶喪失だろ? 記憶を探るのに、色々お金が必要になる場面があると思ったんだ」


 まあ実際は記憶喪失ではないし、金を工面しようと思ったのは、元の俺の体の地元に向かうため。

 そこまでは全部言えないからあることないことをほざいたが、少しだけ……いいやかなり、嘘っぽい話になってしまった。


 橘さんも俺の話を聞いて馬鹿らしいと思ったのか、目を細めていた。


「あんた、まだそんなしょうもない嘘をついているの?」


 ただ、橘さんに呆れられた理由は、俺が思っていたよりも大前提の話だった。

 そう言えば、これまで何度か俺が記憶喪失であると彼女に語ってきたが、彼女はそれを眉唾物の話と、一度も信じた試しはなかった。まあ、それは彼女に限らずクラスメイトも同様なのだが。そもそも、それは嘘なのだが……。実際嘘だし、敢えて声高らかに主張してこなかったのが、仇となった。


「しょうもない嘘じゃないよ。本当のことだ」


「……じゃあ、あんたの話を信じるとして。記憶喪失なら親御さんに話を聞けばいいじゃない。その方が確実よ」


 まさしくその通り。

 ただ、それに関しては言い分があった。


「勿論。何度も親に教えてくれって迫ったさ。でも結局、母さんは俺に何も教えてくれなかった」


「お父さんはどうなのよ」


「……父さんは、もう亡くなってる」


 言うしかなかったから言ったが、途端橘さんは瞳を揺らした。動揺しているようだった。


「……母さんが俺に記憶のことを話したくないのは、多分……それが俺にとって辛い現実だからだ。先生にも箝口令を敷くくらい徹底的なんだ。だから、何とか独力で何とか思い出すしかないんだ」


「……本当なの?」


「俺が今まで、君にこんなしょうもない嘘をついたこと、あったかい?」


 自信満々に俺は言った。

 まあ嘘なんだけど。

 ただ意外と、橘さんは俺のことを評価してくれていたのか、俯いて黙ってしまった。


「……いつからの記憶がないの?」


 しばらくして、橘さんは言った。


「起きる前から。俺が目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。随分長いこと寝ていたのか、起きた時はしばらくリハビリを要したよ。それが俺が学校に遅れて通うようになった理由だ」


 そう口にすると我ながら思った。いや、我ながらではなく、伊織という少年のことなのだが。この少年、結構、壮絶な人生を歩んでいるなと思わされたのだ。気付いていたのに、口にしてみると改めてそう気付かされた。


 しばらく、再び橘さんは俯いて黙っていた。

 ただまもなく、何か思ったことがあったらしい。


「……あなたの親も、先生でさえも。あなたの記憶はすぐに思い出すべきではないと協力的になっている。なのにあなたは、その記憶を思い出したいの?」


 それは……俺のことを慮った質問。なのか、はたまたただの好奇心か。


「……思い出したいよ」


「どうして? 辛いだけなんじゃないの?」


 正直に言えば、伊織という少年の壮絶な過去も、他人である俺からしたらどうでも良いことであるからそれを知りたいと考えている。俺がこの体に乗り移った理由にも繋がるものがあるかもしれないし。

 でも当然、そんなことを橘さんに言えるはずもなかった。

 であれば、一体何を言うべきか……?


「戒め、かな?」


 それは、嫉妬深い気持ちが悪い俺の内面への想いだった。

 直接的に、伊織という少年の過去を知ることはそれに繋がらない。でも、俺の身がどうなったかを知ることと同様、この少年の過去を知ることもまた、間接的にそれに繋がると思っていた。

 確信めいたものがあったのだ。


 橘さんに真剣な眼差しを向けると、橘さんは頬を染めて、口を尖らせてそっぽを向いた。


「わ、わかった。わかったから。信じる。それでいいんでしょ?」


「……うん」


 ありがとう、と言うのも違う気がして、俺は曖昧に苦笑して頷いた。


「……ねえ、提案があるんだけど」


 しばらくして、橘さんは口を開けた。


「何?」


「どうせならお金を溜めつつあんたの過去を探れるような場所でバイトしたら?」


「と、言うと?」


「本屋とか」


 本屋。

 確かに、目を覚ました時の状況が状況だけに、三流ゴシップ誌とかが扱っていてもおかしくない……ような、そんなこともないような。


 ただ、確かに闇雲にお金を稼ぐより、それは一石二鳥だと思えたのは事実だった。


「それ、いいね」


 だから、俺は素直にそう答えた。


「そ、それでさ……」


 再び、橘さんは頬を染めてそっぽを向いて、続けた。


「あ、あたし……そういう方面への伝手があるんだけど、どう?」


 まもなく俺は、それが橘さんの本音だったんだろう、とそう悟った。

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[良い点] 橘さんの心理描写に共感します [気になる点] 主人公が言う しょうもない嘘 って何を指すのかわからない 伊織ではない自分の立ち位置についてならば、ここでこの言葉は違和感しかない [一言] …
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