年相応
翌日、早朝。
俺は部活動の朝練習が家を出るような時間に学校にたどり着いた。
「おはようございます」
学校にたどり着いて、教室に荷物を置くと、向かった先は職員室だった。
「おー、おはよう。伊織。早いじゃないか」
「先生こそ、昨日はお疲れだったでしょうに、早いですね」
二時間超に及んだ時間外労働の翌日にも関わらず、早朝から学校に来なければならない教員職の繁忙さに脱帽。しかも、生徒からは舐めた口も聞かれることも多く、残業代が支払われない世情など、同情する余地しかない。
「いやいや、昨日は俺、何もしてないぞ?」
「そんなことないです。危うい発言したら先生が止めてくれると思ったから、俺も歯止めをかけずに文句を言えました」
と俺は言ったが、文句を言ったことは誇れることではないし、そもそも先生がいようがいまいが、発言はなるべく控える気ではあった。つまりまあ、これはおべっかだ。
「それなら良かったよ。いやあ俺も、昨日は……こんなこと言っちゃ駄目なんだろうけど、スカッとした。お前がいてくれて良かったよ」
そんなこと言っちゃ駄目だよねと思ったので、相槌は打たず苦笑だけして応えた。
「それより、今日はこんな早い時間にどうした?」
「ああ、先生、パソコン借りていいですか?」
「パソコン?」
俺はカバンをゴソゴソと漁って、USBメモリーを先生に渡した。
「昨日の申請の結果をまとめた資料が入ってます。早速朝のショートホームルームで、これをクラスメイトに報告しましょう」
俺の手からメモリーを中々受け取らず、先生は目を丸くしていた。
「……昨日の今日で、そんなのをもう作ったのか?」
「たかだか三十分の作業ですよ」
以前、メーカーや区役所に申請を出すために作成していた資料に、監視カメラを設置出来た公園を○、出来なかった公園を☓で表記し、一番上に二十箇所中十二箇所の設置に了承いただけた、と記載しただけの資料だから、作成には本当に全然時間は要さなかった。
ただ勿論、先のことを考えて転用出来そうな形で資料を作っていた。
「いやでも、さすがに昨日のあれは疲れただろうに。よくやるよ。口頭の説明では駄目だったのか?」
「駄目ですよ」
俺は唇を尖らせた。
「皆だって必死に今回の計画のために時間を費やしたんですよ? それだけの苦労があったから、今回の結果があった。そんな成功体験を、いち早くその結果を伝えてあげたいじゃないですか」
「……お前は、俺より先生に似合いそうだ」
何言ってるんだ、この人は。
俺は目を細めて、とにかくメモリーの中の資料を印刷するように手をもう一度差し出した。菅生先生は、ようやく俺からメモリーを受け取って、そうしてクラスメイトと自分の分、資料を印刷に回した。
「そこのプリンターから、教室に持ってってくれる?」
「わかりました。先生の机に置いておきます」
菅生先生の前から離れて、ゴーと轟音を立てるプリンターの前に鎮座した。しばらく、小気味よく紙を印刷し排出するプリンターの仕事ぶりを見守って、ドサリと重い紙を受け取って、俺は職員室を後にした。
……こうしてわざわざ早々に皆に昨日の結果を伝えようと思ったことには、意味がある。
それは、昨日の結果がどんな結果であったかを勿体ぶれば勿体ぶるほど変に期待値を上げてしまい、結果自らの首を締めかねない結果になるからである。
自分のイチオシの公園に監視カメラが設置されなかった。
そもそも、全箇所設置出来ると思ってたのに約半分に設置箇所が減ってしまった。
皆の浮かべる文句の言葉なんて容易に想像がつくし、そういう文句を封殺、とまではいかないまでも軟化させるには、相手に思考の時間を与えることなく結果を包み隠さず伝えてしまうことが大切だ。
時間の経過は、物事を風化させる。忘れ去らせることもあるが……そうじゃない場合もあるのだ。
報告者である以上、どんな結果であったにせよ迅速な報告が必要だ。
ただまあ、周囲がどんな反応を示すかはわかりはしないが……俺からしたら今回の結果は、正直出来すぎ、と思っていた。もっと言えば俺は……正直、昨日の区役所での打ち合わせの結果がどんなことになろうとどうでも良かった。
つまり俺は、公園に監視カメラが設置されようがされまいが、どうでも良いと思っていたのだ。
俺達は、橘さんの発案の元、公園への監視カメラの設置を目標に様々な調査をし、メーカーとの監視カメラ設置のための調整をし、そうして区役所に監視カメラの設置を申請してきた。
つまるところ、俺達は『公園への監視カメラの設置を申請』は出来ても、『公園への監視カメラの設置』は出来ないのだ。それは区役所の仕事であり、区役所が是非を判断するための材料を集めることは、俺達でもいくらでも出来るが、直接設置のゴーサインは出せないのだ。
自分達の手中に収まらないことをどうにかしようとするのは、不可能なことだ。そしてそれは、どんな結果に見舞われようと……それこそ、監視カメラの設置が二十箇所中0箇所に終わったとしても、話し方次第で十分クラスメイトを納得させられる内容だと思っていた。
だから、俺の中での今回の校外活動は……そう、区役所に突入する直前に、全て終わっていたのだ。
監視カメラが設置されていない公園を調査すること。
監視カメラの種類、費用、その他設備設置に伴う面倒事を全て説明出来る人……メーカーの人間を味方に巻き込むこと。
そして、メーカーの人間と監視カメラの設置を採択する人間を引き合わせること。
今回の校外活動で俺達に求められていた本来の仕事は、この三つだった。
それらの作業は順調に完遂出来ていた。
だから俺は、一昨日の夜、橘さんに大丈夫だ、と口にした。そんな根拠を持って、その言葉を吐いていたのだ。
『俺がいる』
ただ俺は、一昨日の夜、橘さんに校外活動の目標は達成されたことを伝えることはしなかった。
ある程度、もし橘さんが粗相をしてもフォロー出来る自信はあった。でもそれが、根本的な彼女の不安解消にならないことも、わかっていた。
『それじゃあ、公園で遊ぶ子供達の安全は保証されなくても構わないってことですか?』
それでもそれを伝えなかったのは……妹のためを想い、公園に監視カメラを設置させたいと本気で思う橘さんの気持ちに、水を差したくないと思ったからだ。
『え? 子供の世話を、両親じゃなくて姉の君が見てるの? おかしな家庭だな』
……ただ事前に、橘さんのやる気を削いでいれば、職員からあんな言葉を引き出さずに済んで……結果的に、橘さんを傷つけることもなかったのかもしれない。
わかっている。
これは多分……結果論。考えても、仕方のないことなんだ。
はあ、と大きなため息を吐いた。
「何ため息ついているのよ」
ドキリとした。
教室の前の廊下。背後には、いつの間にか橘さんがいた。
「おはよう。早いんだね」
「……遅い時間に来ると、また痴漢されると思ったから」
「あ、ああ……それは賢明な判断だよ」
橘さんを待つため足を止めていると、彼女は俺をひと睨みして、俺の先を進んでいった。
「寝る時間も減るんだから、いいはずないじゃない」
ご立腹そうに、橘さんは言った。
「まあまあ、たった三年の我慢だよ」
「三年も、でしょ」
三十五歳にもなると、一年はあっという間。三年だって、気付いたら経っていたという感覚に陥ることは何度もある。ただ十五歳の三年前は、そう言えば……中学生か。
「……で。何持ってるの?」
「ああ」
積み重なった紙を俺は軽く持ち上げた。
「昨日の結果」
「……また、作ったの?」
「そうだね。いち早く皆に、結果を知ってもらいたかったから」
「……そう」
橘さんを追いかけて歩きだすと、今度は橘さんが足を止めてしまった。
振り返ると橘さんは、右手で左肘を撫でながら、モジモジとして、視線を俺に向けようとしなかった。
「……ありがと」
口を尖らせて、橘さんは言った。
「……何が?」
何に対するお礼かわからず首を傾げると、カーっと橘さんの顔は真っ赤に染まった。
「バカバカバカ! 察してよ!」
そして、今までにないくらい取り乱して、橘さんは怒った。
「バ、バカと言われても……」
わからないものは、仕方ないではないか。
「だから……っ。もう、いいよ。怒りたかったわけじゃないから」
「そう? それなら良かった」
「……今度、お礼させてもらうから」
「え?」
「お礼! ……させてもらう」
お礼だなんて大丈夫だよ、と言おうと思ったが、いつになくしおらしい橘さんを見ていると、その言葉をかける気もなくなっていた。
「わ、わかった」
そういった途端、みるみると橘さんは顔を輝かせて……とても嬉しそうに微笑んだ。
学校での寡黙な彼女。
妹の前での世話焼きな彼女。
思えば、年相応な彼女の笑顔を見たのは初めてな気がして、気が付けば俺は……しばらくその顔に目を奪われていた。
今話にて一章完結となります。ネタが浮かばないや仕事が忙しい以外の要因で投稿頻度が低下する日が来るとは思わなかった。未だに微熱が出る。草
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