激怒
死ぬかと思った。
翌日の放課後、俺と橘さんは菅生先生の運転する車に乗り込み、区役所へと乗り込んだ。メーカーの古井さんとは、駐車場で顔を合わせた。
「本日は、ご協力頂きありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、とても有り難いお話でしたので。よい結果に繋がるように、頑張りましょう」
大人二人の社交的な挨拶が終わると、まもなく俺達は施設内に入るため、移動を開始した。
「ねえ、古井さん」
前方を足取り重く歩く二人に気付かれないように、俺は隣を歩く古井さんに話しかけた。
「何だい?」
「少し、聞きたいことがあるんですけど」
俺の聞きたい内容は、古井さんと連絡を取り合うようになっていた頃からの疑問だった。
「古井さんって、開発職の人ですよね? どうして今日の場に同席されるんです?」
以前、俺達三人がメーカーに面談に行った時から、古井さんはその場にいたが、その時には彼の隣に営業職の人が同席していた。
ただその後、区役所との調整事項を進めていく内に、営業職の男は姿を消し……名前すら一切聞かなくなったのだ。
俺達の催しに、メーカー側が人を絞った。それに対しては納得は出来る。
ただ、一番の疑問は……。
「普通、こういう場に同席するのは営業職の人ですよね?」
開発職の人の仕事は、あくまで製品の開発だ。今回のように顧客の前に立ち商品の売り込みをすることは、開発職の人間にとっては畑違いの仕事なのだ。
当然、製品のことを相手により深く知ってもらうため、売り込みの場に立ち会ってもらうこともあるだろうが……営業職を放って、単独で向かうことは滅多にない。
まして、古井さんの所属するある程度の名の知れたメーカーであれば、そういう職種別の割り振りはより明瞭になる。
「……僕がもっと多様な仕事をこなすべきっていう会社の方針……って、こんな説明で納得してくれる?」
「出来ないですね」
「どうして?」
「高校生と共同での計画に、水を得た魚のように食いついてきたから」
それくらい、俺達の計画した公園への監視カメラの設置話は、メーカー側にも美味しい話だったはずなのだ。なのに、メーカーは突然態度を翻して……いや、翻す、と言っても一応協力者は派遣してくれたわけだが、とにかく最善を尽くす気は失くしてしまった。
一体、いつからメーカー側の態度が変わってしまったのか。
思い返すのは……最序盤、あのメーカーでの面談後、すぐだった。あの日俺達は、メーカーからの良好な返事をもらって確かな手応えを感じたのと同時に、メーカーが欲しがったがために作成した資料を手渡した。あの資料には……公園設置を目論む地図が記載されていた。
「鋭いな、君は。思い当たっている答えがあるんだろ?」
「出来れば、違うと嬉しいですけどね」
「いや、多分当たりだよ」
肩を竦めて、古井さんは言った。
「ウチの会社は、営業職が結構力を持っているんだ。開発上がりも多くて、会社の中でも古株がゴロゴロいる部署なんだ。あの日、僕と……営業の相田さんは、早速君達からもらった話を上司に報告した。最近の子は中々色々考えている。とても新鮮な体験をさせてもらったって、そんなことを話した。上司は最初、僕達から報告された話を微笑ましく聞いて、そして受け取った資料を見て、顔を強張らせたよ」
「地図のページを見て、ですか?」
「そう。その後すぐ、営業の人には手を引けって話が出た。時間が勿体ないからって。若手の僕だけがここに赴いたのは、そういう理由だ」
手を引け、とは、反社会的勢力と関わりを持ったことがバレた時の忠告を連想させて、俺は苦笑した。ただまあ、これでメーカー側の人員が、古井さんだけになった理由が理解できた。
つまり、メーカーは、独自ルートで得ている情報より、今回のこの監視カメラの設置が困難であることを理解したのだ。この区役所への相談も、失敗に終わると……負け戦だと思っているのだろう。
「この区の自治体は守銭奴だって言われている。あまり、大きな声で言えないけどね」
よくよく考えれば、メーカー側は知っていて当然そうな話だった。メーカーだって利益を得るため、公園に監視カメラ設置をしてもらうため、地方自治体のいくつかに売り込みをかけていておかしくなかった。だからこそ、メーカーの上司は地図を見た瞬間、この区の公園であると知った瞬間になるべく痛手にならないように、ローリスクで済むように古井さんだけを派遣してきたのだ。
「……ありがとうございます。よく理解しました」
「悪いね。打ち合わせの直前に、こんな話をしてしまって」
「いいえ、俺から聞いた話ですので」
「……君は、随分と落ち着いているね」
「取り乱しても、仕方のない話でしょう?」
負け戦であろうと何であろうと、尻尾を巻いて逃げたのでは何も得られるものはない。
「そもそも俺からしたら、当初の目的は既に完遂されていますから」
古井さんは意味がわからない、と首を傾げていた。
俺と古井さんの会話は、前方を歩いていた不安げな顔をしている二人が、こちらを訝しげに覗いてきたために打ち切られた。
俺達は区役所の施設内に入ると、施設内の人間に話を聞きながら、今日の打ち合わせが行われる会議室へと導かれた。
お茶汲みのお姉さんから五人分の粗茶を振る舞われるが、口をつける人は誰もいなかった。
今日の発表者に任命され、トチらないようにすることだけで精一杯の橘さん。
場慣れしておらず、同じく緊張している古井さん。
巻き込まれたくなかったと悲観げに俯いている菅生先生。
猫舌の俺。
どうやら全員、この熱々のお茶に口をつける気ではないらしかった。
「いやあ、遅くなりました」
まもなく、小太りの職員が息を荒げながら入室してきた。五分少々の遅刻だった。
「開東学校さん……と、○○さんですよね。お忙しい中、ありがとうございます」
「今日はお時間を作って頂きありがとうございます」
俺達四人は、職員の登場に腰を上げた。大人二人は名刺交換をと扉付近に向かおうとするが、それを手で制したのは職員だった。
「名刺交換は大丈夫です。今後会うことなんてないんですから」
少し横柄な態度をしていると入室時から思っていたが、いきなりドギツい一撃だった。
「え、ああ……そうですか」
菅生先生も古井さんも、自分より向こうが年上でありそうなことも相まって、萎縮していた。そのまま椅子に腰を下ろす背中は、少し小さく見えた。
俺は、先程古井さんが言っていた言葉を思い出していた。
この地方自治体は守銭奴。何度か公園への監視カメラ設置を要望し、そうして断られ続けてきたことに対して、古井さんの所属するメーカーはそう評した。
ただこれは、どうやらそれ以前の話らしい。
ふう、と大きなため息を吐いて、手前に置かれていた粗茶をグビッと飲み干した職員を見ながら、俺は思っていた。
「さ、早速なんですが……」
「ちょっと」
萎縮して声の震えている橘さんを制したのは、俺だった。
スマホを操作し、机の上に俺は置いた。
「あん? 何やってんの?」
横柄な声が、俺に浴びせられた。
「議事録を取らせてもらおうと思って。今回、公園への監視カメラ設置は我が校でもイチオシの計画なんです。実施後には、学校新聞に書いてもらって、今回の体験も含めて報告させてもらう予定なので……どうかご配慮を頂きたいです」
「あのさ、そういうのは事前に説明してほしいんだけどっ」
「すみません。以後、気を付けます」
向こうの言葉を借りるなら、以後、この人と関わることはないだろうし、無問題である。
俺がこうして相手の気分を逆撫でしてでも録音を始めたのには意味がある。自分の発言が録音されている。自分の発言が、公衆に晒される可能性がある。
その意識があると、人は発言を配慮する可能性がある。失言を恐れるのだ。
既に片鱗を見せている奴の抑止力になればと思った。
しかし、どうやら俺の計らいは効力を一切持っていなかったらしい。
「そ、それじゃあ、早速なんですが、私達開東高校一年○組の校外活動である監視カメラ設置計画について、説明させて頂きます」
橘さんは、職員に資料を手渡そうと手を伸ばした。
しかし職員は、どういうわけかその資料を一向に受け取る気配はなかった。
「駄目だ」
そして、職員は言葉短くそう告げた。あまりにも突然で、唐突な言葉だった。
「……は?」
「だから、駄目。駄目だと言ったんだ」
資料を受け取ることなく駄目とは、一体どういう了見なのだろうか。
橘さんも、菅生先生も、古井さんも、皆が頭が真っ白になっているようだった。
「何故です?」
俺は尋ねた。
「あ? 駄目なものは駄目なんだよ。それ以外に理由があるかよ」
「あ、あります!」
反論したのは、橘さんだった。
「話も聞かず、資料も見ず、どうして駄目だと決めつけるんですか。ちゃんと話を聞いて、資料を見て、その上で厳正な評価を下してください。こんなの納得出来ません」
「ウチの区は金がねえの。だから無理。無理なものは無理なんだよ」
「それじゃあ、公園で遊ぶ子供達の安全は保障されなくても構わないってことですか? ……ウチには、まだ保育園に通う妹がいます。その子のお世話をあたしはよく見ている。最近、事案とかも増えていて、不安でたまらないんです。その不安を解消させようとは思わないんですか?」
「え? 子供の世話を、両親じゃなくて姉の君が見てるの? おかしな家庭だな」
家庭には家庭の事情がある。それを部外者がどうの言うのも、ましてはおかしいと口出しするのはおかしな話だ。
怒りのあまり、橘さんは職員を強く睨みつけていたが、言われたことのショックのあまり、口は震えるばかりで反論も文句も失言も、何も口から漏れることはなかった。
今にも、橘さんは泣き出してしまいそうに見えた。
……珍しく。
珍しく、俺も腸が煮えくり返りそうだった。
「……もう一度、監視カメラ設置が却下な理由を説明してもらえますか?」
「あ? しねえよ。もう既に一回したことだろう」
「それでは要約すると、監視カメラの設置が出来ない理由は、区にお金がないから。監視カメラを買うだけの費用がないからということでよろしいですね?」
「そうだよ」
「一個も買えないんですか?」
「あん?」
「監視カメラは一個も買えないんですか? 何個までなら買えるんですか?」
「……一個くらいなら買えるよ。でもたくさんは無理だ」
「たくさんって、何個です?」
「は?」
「具体数を出してください。あなたの話は抽象的過ぎて具体性に欠けます。ここまでは、とても建設的な話が出来ているとは言えません。まるであなたは、最初からまともな話をする気がなかったように感じます」
そんなの、最早答え合わせでしかなかった。
ただ事実を突きつけた時、奴がどんな態度に転じるか、興味があった。
「……ハッ」
奴は、歪んだ顔で口角を吊り上げた。
「そうだな。もういいか? 時間の無駄だよ、こんなこと」
校外活動を決めかねていたクラスメイト。
そして、高校生との協力業務による宣伝をしたかった企業。
それらとは立場が異なるから、区役所との調整は骨が折れると思っていたが……どうやら土俵にすら立てていなかったらしい。
呆れるあまり、俺は大きなため息を吐いていた。
橘さんに対する時代錯誤な発言。そうして録音されているにも関わらず、それに臆した様子もなく失言を繰り返すその姿勢。
恐らくこの男は、いいところ出の坊っちゃんなんだろう。親がそれなりに権力を持っているから、ある程度悪さをしても何とかなってしまう。それこそ、世襲制で世間知らずなのに国民のためを語り、質問一つにもロクに返答出来ない、時間切れを狙う頭の悪い姑息な政治家と変わらない。
ただ悲しいかな。そんな政治家達とは違い、この男は中堅層な年齢で区役所職員程度にしかなれなかった。親の権力の程度か。もしくは本人の技量か。……はたまた、両方か。
「そうですか。よくわかりました。ただ、さすがに失言が多すぎる。今日の件は、然るべき対処をさせて頂きます」
「どうぞどうぞ、ご自由に」
しっしっと手を振る職員は、余裕な態度が滲み出ていた。
「まず、録音されたこの音声は報道局各所に渡します。区役所職員の横柄な態度としてね」
「そうかいそうかい」
「彼女に対する発言も、セクシャル・ハラスメントに該当するでしょうね」
興味なさそうに、職員は聞いていた。個々人のクレームなら、容易にもみ消せる。その自信が伺えた。
……ならば。
「……今回の一件は、学校と、そして○○社から、区長に直接クレームさせて頂きます」
ならば、組織から代表へ。
そう思っての俺の発言は、職員にクリーンヒットだったらしい。職員は、みるみると顔を青くしていった。
「ちょっ、く、区長は関係ないだろう!?」
「関係大アリでしょ。区の管理する公共施設に関する決め事の責任者は区長ですよ? 末端の失態の責任を取るのは区長。当然の話だ」
「お、おい。……考え直せよ?」
「何をです?」
「は?」
「俺達が、何を考え直すんです?」
「そ、それは……」
「名刺交換すら拒む横柄な態度も、説明責任も果たさない職務怠慢も、相手を慮れない失言もっ! 全部、あんたがやったことじゃないんですかっ!!!」
一方的な被害者を演じるため怒鳴りつけるつもりはなかったのに、感情が昂ったあまりに声を荒らげてしまった。
それでも俺が声を荒らげたことは、世間知らずで怒られ慣れていないこの男には効果てきめんだったらしい。職員はすっかり萎縮していた。
「もういいでしょう。この話は終わりです。こちらの対応は、先程説明した通り。後日、対応させて頂きます」
「ちょっ待てよ」
萎縮していた職員だったが、我が身可愛さが土壇場で勝ったらしい。
「……聞くから。ちゃんと、話を聞くから。だから、待ってくれ」
「時間の無駄なんでしょ? あなたの言ったことだ」
「……そこをなんとか」
「わかりました。ではあなたの上司を同席させてください」
「え?」
「あなたでは話にならない。俺達は建設的な話を望んでいるんです。この場で監視カメラの設置出来る公園の選定から、設置日まで全部決めたいんだ。それが出来る環境を整えてください」
こちらに利がある状況になったので、俺は気持ちを落ち着かせてそう吹っかけた。
これで、職員はどんな反応を示すか。
職員は、目を泳がせてわかりやすく戸惑っていた。
「わ、わかった……」
ただしばらくの逡巡の後、職員は俺に弱みを握られた状況を鑑みたのか、それに同意した。
職員の上司は、三十分後に会議室に姿を見せた。
それから俺達は、公園の監視カメラ設置に対する本格的な打ち合わせを実施した。
この公園は大きさ的に二つカメラがあれば十分ではないか。
このカメラはワイヤレスでデータ輸送が出来るから、景観重視のこの公園にピッタリだ。
この公園は開けた立地をしているから、広域レンズのカメラ一つを設置してみよう。
などなど、そこからは鳴りを潜めていた古井さんにも、技術的、費用的な話をしてもらいながら、ようやく建設的な話し合いは進んでいった。
最終的に、二十箇所中、十二箇所の公園の監視カメラ設置を合意化まで持ってこれた。最終決定は区長判断になるそうだが、恐らく大丈夫だろう、と職員の上司は言ってくれた。順調に行けば、十二月中旬にも順々にカメラは設置されていくことになるそうだ。
二時間四十九分。
長時間に及んだ区役所での打ち合わせは、こうして幕を閉じた。
公園に監視カメラ設置の流れは、調べたけどロクな学がない私には理解しきれなかった。
もし間違っていたら、あー、こいつ無知だからとりあえず知ってる単語並べたな、と思ってください