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眠れない夜

メリークリスマス。

俺はひとりだけど皆は楽しんでる?

そうだよね。

楽しんでないよね!

 眠れない夜を過ごしていた。

 好きだった彼女に別れを告げて、自らの残された時間の短さを知って、伝えたくて伝えられない想いを知って。

 悩みが頭の中で浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。


 とても、眠れる気分ではなかった。


 時刻は深夜二時。

 自分の体では、夜更しは別に珍しいことではなかった。ただ、伊織の身でそれをするのは初めてかもしれない。


 ずっと……伊織が目覚めてからずっと、俺は俺が早くこの身から消えるべきだと思っていた。

 目を瞑って。

 眠りに付いて。


 それで起きられなかったのなら、それはそれで構わないと思っていた。


 この体の所有者は伊織。

 この体での人生は伊織のもの。


 だから、俺は早く眠りにつくべきだと思っていた。

 起きないべきだと思っていた。


 今でもその考えは変わらない。


 だから、こんな感情を抱くのは初めてだった。

 彼のためといつも考えて生きてきた。

 罪滅ぼしだったんだ。贖罪だったんだ。


 彼の時間を奪ったことへの。

 彼と、周囲の人との出会いを奪ってしまったことへの。


 俺は……いつも罪悪感に駆られていた。


 眠りたい気分ではないこともあるが、初めてだった。


 ……眠りたく、ないだなんて。


 伊織と、高山さんと、香織に突き動かされた感情がある。

 教えられた感情がある。


 伝えたい感情がある。


 正しいことかはわからない。

 それでも伝えたい感情が、俺にはある。


 ただ、それを躊躇う気持ちも俺にはある。


 ……最後の最後、それでも躊躇っているのは、一体どうしてなのだろう?

 

 整理が付かない気持ち。

 窓を開けると、夏にも関わらず、深夜帯の外は少し肌寒い。


 タイマー設定していたエアコンが、丁度稼働を停止した。唸っていたファンの音が止むと、あたりは静寂に包まれた。

 これが、最後の夜。


 確信めいた考えが、脳裏に浮かんだ。


 ……最後の夜に、いつも通り、何かしらに悩む自分。


「進歩のない男だ」


 ベランダから外を眺めながら、俺は苦笑した。

 嫌な気持ちはあまりなかった。前まであんなに自己嫌悪に陥った事実なのに、だ。


 ……多分。


 俺は、呆れているわけではない。

 むしろ、少し嬉しがっているのかしれない。


 馴染みある自分に。

 最後まで、変わらなかった自分に。


 微かに、誇らしさのようなものを俺は抱いていた。

 そんな悩みを楽しむ俺の前に佇む最後の課題。


 その答えは、やはり……彼女に会わないと答えは出そうもない。


 不思議な感覚だった。

 会いたいのに、会いたくない。

 伝えたいのに、伝えたくない。


 そして、朝が待ち遠しい。


 彼女と出会える朝が……俺は、待ち遠しくて、たまらなかった。


 目を瞑る。

 眠気はない。


 鼓動が高まる。


 こんな気持ちを抱くのは、生まれて二度目だった。


 そして、朝がやってきた。


「おはよう」


「おはよう。……えぇと」


 香織は少し、困ったような顔をした。俺がどっちか、わからなかったのだろう。

 ただまもなく、俺の目の下の隈でも見つけたのか、穏やかに微笑んだ。


「頑張って」


「……ごめん。まだ答えは出てないんだ」


「告白するかどうかじゃない」


 香織は、首を振って微笑んだ。


「後悔ない時間を過ごして」


 香織の言葉を聞いて、ふと俺は思い出していた。

 香織と成り行きで別れて、後悔して……俺は行きあたりばったりな生き方を止めようと思ったのだ。


 高校時代。

 大学時代。

 社会人。


 色々な経験を経て、時間を経て。


 一生懸命変わろうと努力して、後悔をしないようにと突き進んだ。


 ……ただ最後に、俺は結局成り行きに身を任せる選択をした。


 今更、俺は気付いた。

 もしかしたら、成り行きに身を任せることは後悔につながる選択ではないのかもしれない。


 でも、あの時成り行きに身を任せた俺は間違いなく後悔をした。深い深い、後悔をした。

 いいや、多分違う。

 俺が深い深い後悔をした理由。


 香織を失って、後悔をした理由。


 それはきっと、成り行きに身を任せたから成った結果ではない。


「……香織」


「何?」


 ……俺が後悔した理由。


「大好きだった」


 それは、伝えなかったから。


「君のことが大好きだった……」


 想いを。

 意思を。


 ……愛情を。


 伝える努力を怠って、成り行きに身を任せたから。

 成り行きに身を任せることは、悪ではない。


 最もいけないことは、伝えないこと。


 その時その時、一瞬一瞬……誠実に、情熱的に。想いを、意思を。


 ……伝えないことなんだ。


「……あたしも、好きだった」


 香織は、穏やかに微笑んでいた。


「あなたのことが、好きだった」

 

 昨日の涙はもう、流れることはないようだった。


「……もう少し早く言えていたら、何か結果は変わっただろうか?」


「変わったかもしれない。でも、変わらなかったかもしれない」


「……そうだ。結局それは、結果論。ないものねだりでしかないんだ」


 他人の体に乗り移った俺を以てしても、事実として認識していることがある。

 それは、時間は巻き戻らないってこと。

 ……非情に、残酷に、時計の針は、進んでいくということだ。


 ……だから、その場その場で一番伝えたい気持ちを。


 自分の想いを……一切の偽りなく、正直に伝える必要があるんだろう。


 後悔しないために。


「……香織」


「……ん?」


「いつか、また会おうね」


 俺達の別れの言葉。

 再会を求めて、結局俺の身での再会を迎えることが出来なかった……俺達の、最後の言葉。


「うん。またいつか」


 叶うはずのない約束を交わして、俺達は別れた。

 

 それはきっと……もう一度会いたい。香織と、もう一度会いたい……!


 俺の中に宿った正直な感情を吐露したからこそ出てきた言葉。

 この瞬間、刹那、生命を燃やしたからこそ得られた言葉。


 ……ようやく行き着いた一つの答えは、子供でも知っていそうなもの。


 それでも、こんなにも達成感に満ち溢れていたのは……生まれて初めて正直になれたからなのかもしれない。


 後悔を残さないように、想いを伝える。

 それだけ。


 たった、それだけ……。


「おはよう」


 別れを経て、俺は出会う。


 橘さんは、伊織の家の最寄り駅の改札の前で俺を待っていた。


 ……ようやく気付いた答え。

 自らの正直な意思を、伝える。


「……おはよう」


 たったそれだけのことを、俺は彼女を前に途端に臆してしまった。


「……どう?」


 短めなスカートをなびかせたのは、橘さん。


「え?」


「……似合ってる?」


「……うん」


「そう」


 俯いた橘さんは、はにかんでいた。


「あなたにそう言ってほしくて、昨日から何を着るか悩んでた」

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― 新着の感想 ―
[一言] ほー、伊織じゃなくてあなたねー
[良い点] 香織から自分をどう想っていたか聞けたこと。香織に「好きだった」と想いを言い合えたこと。そして、別れ(果たせることのない再会の約束)を言えたこと。 [気になる点] 橘さんに想いを伝えると、橘…
[良い点] 会話と情景描写のバランス。 残り時間が少ないのに、切迫感ではなく、充足感と期待感を感じさせるところ。 [一言] ドンマイ。 私も、寒波を押し切って週末京都一人旅だ!
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