月見公園を奪還せよ!〜追い出されたホームレス達が公園を取り戻すために立ち上がった〜
失うとはなんと容易いことか。
この汚れた手には何もない。
諦めるとはなんと容易いことか。
その目を瞑るだけだ。
雨水で潤す喉は酸で爛れ、俺達の声は酷く掠れる。
期待するな。届く筈は無い。
自らの血で書き残すのだ。
この蛮行を。
そして、彼の地で永遠の臥床を──。
2035年6月。俺達が生活していた月見公園が奪われた。相手は近年増えて来たスクワットの連中だ。
スクワット。それは空き家を占拠して暮らす奴等のことだった。しかし、奴等は徐々にその対象を広める。今は行政の管理が届かなくなった公共施設までもを占拠し、我が物顔をしている。月見公園もそんなスクワット達の手に落ちたのだ。
それ以降、俺達ホームレスは月見公園近くの河川敷で暮らすようになった。いつか来る反攻の日の為に──。
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「……教授、本当に今日やるのか?」
俺は"教授"と呼ばれている。かつて、とあるFラン大学で教授職に就いていたからだ。
「ああ。偵察を重ねた結果、火曜日の午前中が1番手薄という結論に至った。つまり、今だ」
俺の仲間のホームレスは10人。その内の1人、"眼帯"が顔を顰めた。どうやら不安らしい。
「ビビるな。この日の為にこれを準備した」
台車からダンボールを下ろし、皆の前に置いた。
「なんすか、これ?」
円形脱毛症の酷い"水玉"がダンボールを恐る恐る開ける。
「まぁ! ベロン咳止めシロップじゃない!」
未だに身体で金を稼ごうとするババア、"売春"が歓声を上げた。
「教授! こんなにも沢山のベロンをどうやって手に入れたんだ?」
"眼帯"の一つしかない瞳が輝く。
「こっそり溜め込んでいた銅を売って、ちょっとやばいルートから仕入れた。1人につき3本はある。ケチらず一気に飲み干せ。そうすれば怖いものはなくなる」
俺の号令に仲間達はダンボールに群がった。次々にベロン咳止めシロップを開け、一気飲みして覚醒する。
「ぉぉおおおおぉぉ!!」
「きたきたきたきたー」
「きまってるふふふ」
どいつもこいつも血走った目をし、殺気で爆発しそうだ。
「あれ? "メカ"の意識がないぞ」
覚醒した全能感に酔っていると、"眼帯"が何か言った。
機械に強い"メカ"が地面に寝転んでいる。どうやらキマリ過ぎたようだ。だからといって、後戻りは出来ない。ここは勢いで乗り切ろう。
「今日は"メカ"の弔い合戦だ! スクワットどもに目にもの見せてやる。行くぞ!!」
河川敷に怒号が響いた。
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「チェストォォォォ!!」
公園管理棟の入り口にいた男に向かって"眼帯"が棍棒を振るう。不意打ちを食らった男は地面に蹲り、それを更に"売春"が叩く。
「よし! 突っ込めえぇ」
無駄に広い公園管理棟の中ではスクワット達、その実はフリーランスの集団がPCに向かって仕事をしていた。
「なんだお前ら!」
「きゃぁぁああああああ」
「ふざけんなよ!」
「構うな! 叩け、叩け叩けぇぇええ!!」
俺の声に反応し、狂ったように棍棒が振われる。男も女も容赦なしだ。
「貴様ァ!! なんのこんなこと許されると思っているのか!?」
バットを構えた若い男が俺に向かって叫ぶ。
「笑わせるな! ここは元々、俺達が暮らしていたんだ。それを取り戻して何が悪い!!」
「くっ、死ね!」
上段から振り下ろされたバットを半身になって躱す。ベロン咳止めシロップの覚醒効果が続いている限り、負ける気はしない。
「クソジジイ! さっさとくたばれ!!」
「甘い」
大振りで体勢の崩れた男の顎に棍棒を合わせる。
ガッと鈍い音がして目の前の男は意識を失った。見渡すと、他も決着がついている。立っているのは全員ホームレス、俺の仲間だ。
「教授、上手くいったな。こちらでやられたのは"痔瘻"と"虹色"だけだ」
"眼帯"が頬を緩める。
「まだ油断するな。上の階もあ──」
「アバババババババ」
突然、近くにいた"売春"が奇声を上げながら倒れた。一体何が──。
「テーザー銃っす!」
「アバババババババ」
"水玉"の声に被せるように、"眼帯"が奇声を上げながら倒れた。見ると階段に銃を構えた男が何人もいる。
「階段だ! 突っ込め!」
「うぉぉおおおおおおぉぉ!!」
撃たれる前に殴る! これしか無い!
全力で階段まで駆ける。視界が狭くなり、時間がゆっくりと流れはじめた。
俺の脇を通り抜けたテーザー銃の針が誰かに当たり、奇声が上がった。何度も、何度も。振り返ると、立っているのは俺しかいない。階段を見ると、いくつもの銃口が俺に向けられていた。
「こんなところで──」
んんんんんん!? なんだ!? 唐突に地面が揺れ始め、公園管理棟が軋む。これは地震──。
キィィィイイイー!!
明らかに踏み遅れたブレーキ音の後に、ダンプカーのフロントが管理棟内に現れた。壁を突き破って。
静寂の中、舞い上がった粉塵が徐々におさまり全容が明らかになる。壁側にあった階段は崩れ、スクワット達の姿は見えない。
「ウヒヒ。教授、おまたせ」
ダンプカーから降りてきたのは"メカ"だ。まだキマッているようで、瞳が裏返っている。よくもまあ、こんな状態で運転出来たものだ。
「ウヒヒ。"売春"が股開いて寝転がってら。教授、これ、やってもいいよね?」
「やるなら抗生物質を飲んでからにしておけ。最近、"売春"はよく股を掻いてるからな」
「ウヒヒヒヒ! やーめた!」
「それが賢明だな」
「代わりにスクワットのねーちゃんにしとこ。寝転がってるし、ええよな?」
「本人に聞け」
「沈黙は肯定ナリー!」
仕方なく"メカ"の頭をぶん殴り、全てが沈黙した。
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「ウォーター! ウォーター!」
"売春"が月見公園の水飲み場でヘレン・ケラーごっこをしている。"眼帯"達がケタケタと笑い、奇妙な調和が訪れた。
見渡す限り、クズしかいない。今はただ、そのクズどもが心地よい。
失うことから逃れるために、持たないことに決めた。かろうじて残っているのは、いつ失っても惜しくないような関係性だけだ。
「お前達、もし明日、俺が死んだらどうする?」
"眼帯"達は顔を見合わせる。
「自分は教授の着ているジャケットをもらうっす! 実は前から狙ってたんすよねー」
「俺は腕時計だな」
「ケツの穴に菊の花を生けてやるわー」
「ずっと抱いてくれなかったらから、死んだら頂くわ!」
「ウヒヒ。蟹に食わす」
思い思いの声が上がる。どいつもこいつも清々しい。
「ははは。こりゃ迂闊に死ねないな」
心地よい風が身体を通り抜ける。
俺は安心して芝生に寝転がり、ゆっくりと目をつぶった。