捕り物・その2
経験則として面倒事は一度起きると連鎖的に起きるという感覚は、結構万人に共感してもらえる『あるある』ではないだろうか。もちろん問題をひとつひとつ紐解いていけば原因も関連もバッチリあるもので、実のところオカルトとは程遠い。起きるべくして起きているのだろう。
例えば右足の怪我を庇って歩いていたら姿勢が歪んで別の場所を痛めたり、例えば同じ時期に買った家電が同じ程度経年劣化してほぼ同時に壊れたり。
例えば、大捕り物の混乱に付け込まれ肝心の本命が包囲をすり抜けたりだ。
猛然と激走する大八車3号は先頭を行くツインエンジンの片割れこと『あい』嬢の鼻を頼りに、北の外周までほぼ一直線で来ていた。下手人は相当泡を食って逃げたらしい。追跡を躱す工夫がほとんど見られない。
「いやあ己で歩かんでいいというのも存外馬鹿にしたもんじゃない、これはこれで楽でいいですなぁ、特に車輪なのがいい。籠よりよほど理に適っとりますわ。籠だとえっちらおっちら横に揺られて舟酔いを思い出しちまいます。旦那は海で舟に乗ったことはおありですかい? どんぶらこんぶら天地が揺れて頭がおかしくなるんですよねぇ。そのうち悪いもの食ったか熱病にかかったみてえに気持ち悪くなりましてね、腹から上に口を通ってゲーゲー吐き出すんですわこれが。ああ、腹痛と違って下には出ませんよ。どこぞの天下人とやらみてえに褌黄色くすることにゃあなりません。けどまあ口からこぼしても海なら魚の餌になりましょうがね、地面の上では汚ねえだけですわ」
大八車に乗った屏風覗きを背もたれの代わりに同乗しているのはひなわ嬢。彼女の発案で大八車の車体へ縦に二本の縄を巻き、そこを掴んで何も無しよりは姿勢を維持できるようになってとてもありがたい。
ありがたいのだが、ただでさえサスペンションなど無いこのマシンで爆走されると腰にくる。そのうえこの子の体重まで預けられるといよいよ辛い。タスケテ。
「ひなわっ!! おまえが夜目を凝らさんなら振り飛ばすぞ!! 己で走れぇ!!」
大八車のツインエンジン、ひとりで荷台を引っ張っているもう片方こと『あき』嬢がこちらを向いて切れ散らかす。ガチで怒ってるのに当のひなわ嬢は一瞥もくれず鉄砲で前を指すだけ。
「あたいはいいですけどねえ、屏風の旦那が落っこちたら腹切りもんですぜ。グチグチ言ってないで走った走った」
こんのぉッ、という形相で犬歯を覗かせたあき嬢はうらめしそうな目を屏風覗きのほうにも向けたあと、仕方なしに車を引くのに集中した。運んでもらってるのだから煽りなさんな。あと屏風覗きが空中にダイブしても切腹にはならない。多少は怒られるかもしれないけど。
このような状況になった経緯は単純、バラバラに逃げた容疑者のひとりを捕縛するために割ける人員が枯渇しているからだ。
近くに潜伏している可能性や別の事件、放火などされたらたまらないので警備の手を緩めるわけにもいかず、制圧した場所に残す人員も必要だしと、追っ手に割ける人員はどうして限られてしまうというジレンマ、指揮している偉い人も辛いだろう。
これで一人二人ならまだ手も足りるのだが、とっ捕まえる予定の人数が総数20名以上で、そのうち見回りの包囲を抜けて逃げたのが8名。なんと4割近く逃げられるという大失態である。
おそらく大捕り物が始まるより前、故イタチの事件が発覚したあたりで工作員の頭にレッドアラートが鳴り響いたのだろう。むしろ捕まった連中が鈍かったといっていいくらいだ。
それでも昼から警戒態勢にはなっていたので迂闊に逃げる算段もできず、聡い連中も混乱に乗じて強引に逃走する方法をとったと思われる。
こういう場合、とにかく同時に四方八方へ逃げられるのが一番困る。単純に手が足りなくなるし、包囲網という言葉通り広がるとどうしても穴が出るからな。夜というのもよくない。妖怪は夜目の利く者もいるが、ひなわ嬢曰く、人間程度の者やむしろ夜目の利かない者も多いらしい。『雀』も鳥の経立のせいか夜は目が利かず行動半径が大きく削がれるという。
雀って、とばり殿の言っていたのは文字通りの意味だったのか。イケメンとばりのファンとかの比喩かと思っていた。いや、ファンには違いないな。イケメンの一挙手一投足でチュンチュン言わせてるに違いない。
それはともかく情報伝達能力の低下はそのまま組織力の低下に繋がる、逃げるには絶好の時刻だろう。
追手として投入された者たちは『夜でもすばやく追跡する能力がある』『抵抗されても確実に捕縛し、奪還を許さない』『捕縛したあと連絡できる』という条件のもとで即席のチームを組むことになった。
犬の経立で追跡が得意な人員『あい』『あき』の二名が入っているのは正直なところ過剰だと思うのだが、負傷した姉妹の長女『秋雨』を真っ先に救護依頼したことに恩を感じてくれたらしく、大八車3号の動力兼追跡レーダーとしてセットで同行してくれることになった。いや、止めてよ指揮官。私情を交えず戦力を割り振りましょうよ。人情に厚いのも考え物だ。
捕縛して奪還させないのは屏風覗きの役目。困ったことに先ほどの実績が効いてしまったらしく『一番抵抗しそうで厄介な容疑者』を割り振られてしまった。
いいんですけど、いいんですけどね。飯の種をくれる国の有事に非戦闘員だから、お伽衆だからとか言ってられない。契約に関係なく協力しないと心象は確実に悪化する。住み難くなるのは勘弁だ。
では、ひなわ嬢はなんでいるかというと連絡係兼ボディガードだ。彼女は火薬を使うのが得意で発炎筒や発煙筒を自作しているらしい。今回、連絡に不安のある他のチームに持っているスペアを提供したりしている。
なら物だけ渡して別行動でもいいだろと『あい』『あき』嬢に突っ込まれていたが、屏風覗きと初対面の二妖怪に護衛は任せられないと言い出してケンカ寸前になる一幕があった。姉妹の女の子の口が怒りと共にぐわりと伸びて、毛の生えた犬の長い口になっていく様はかなり恐かった。
結局そのすぐ後に指揮官に窘められ、こうして屏風覗きと一緒に荷台の重しになっている。どうも最初の雰囲気から察するに、今回の件以前からあまり仲がよくないようだ。
「旦那、最悪あたいを盾にしてもいいんで一発で死ぬのだけは勘弁してくださいよ」
おもむろに鉄砲をスラリと構えたひなわ嬢。いつのまに火縄を点火したのか、赤い輝きが銃の側面にポツリと輝いている。今更のようにその鼻を突く火薬のにおいに気が付いたとき、合図も無く闇に吹き出す火花が見えて、耳を打たれたような感覚が襲った。
突然真後ろから響いた銃声に、あき嬢から女の子らしい悲鳴が上がり急停止する。見ていたこっちでも驚いたくらいだ、不意打ちはさぞビックリしただろう。先頭を行くあい嬢も驚いて振り返っている。幸い見かけによらずどっしりとしたひなわ嬢がつっかえ棒になって、急停止でも荷台から投げ出されずに済んだ。
「いましたぜぇ。手応えあり、うはっ」
月のわずかな明りに浮かび上がる盛り上がり、縄で括られた材木の並ぶ一角を撃ったばかりの銃で指し、ひなわ嬢がいつもの笑い声を上げる。
材木の角、と思っていた四角い物がぼんやりと光り地面の砂を擦る音をさせながらガラガラと道を塞ぐ形に進み出てくる。
身を包む揺らめく赤い炎を巨大な車輪で掻き回す、引き手の無い牛車。その後ろには車と同じ大きさの『女の顔』が張り付いていて、横から見ただけでも『形相』という言葉が相応しい憎悪に満ちた表情をしていた。
「よくも、よくも、わらわの麗容に傷をつけよったな」
やや高齢の女性特有の微妙に太さが増した声。まるでガード下の短い通り道で話すような中途半端に籠って、中途半端に響いてくる感じで伝わってくる。あるいは耳に聞こえた音ではないのかもしれない、いかにも平安貴族といった女性の顔は張り付いたまま口がピクリとも動いていないのだ。
そのくせ視線はこちら、真横に向けられた細い目から黒い眼球が睨みつけてくる。
「はぁ? 何が麗容だい、牛のクソ塗りつけた掘っ立て小屋が」
うわぁ口悪い。ひなわ嬢の挑発にあてられてグワッと見開かれた目は車体にふたつ並んでいるとしたら明らかにおかしい。あの大きさでどう格納されているのか。内部で水風船みたいに歪んでいるわけでもあるまいし。何かの科学検証でやってたアニメ顔の眼球問題を思い
「旦那っ!!」
息止めろ、そう耳に聞こえたと同時に耳に銃声と目に光、肌に粉塵を感じた。
あっという間に視界がぐちゃぐちゃに混ざる中、袖の中にある、あるはずのスマホっぽいものを感覚の薄れた指でタップする。検証していないし画面も見ていないが、キューブで見たアップデートと同じ仕様変更があるならばこれで最低限のことはできたはず。
冷めたスープを啜るように、一気に飲み込まれそうになる意識の中、先ほどの光景を思い出す。
こちらに振り返って何かの袋を投げつけてきた『あき』嬢。すぐに銃撃らしきものを受けて倒れこむ姿。目の前の『おじゃる車?』に構えるでもなく立っていた『あい』嬢の姿。
まだ、気を失うわけにはいかない。