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別視点。ひなわ 罠の仕込み

誤字脱字の指摘いつもありがとうございます。

ほのぼのコメディ系が好きで、観るものは漫画もドラマもその辺りに偏ってます。たまに作品を間違えたような固いエピソードが挟まれるとつい飛ばてしまいます。逃避先にまで苦味はいらない、いらないんだ脚本さん

 立花様によって屏風覗きと称された人間が見回り組の隊員たちの話題に上ったのは、ひなわが城下に戻ってくるよりも幾らか前の事。


 どうもきつねやの祭り賭けを見物した的屋の何人かが広めたらしい。もちろん対外的には人間である事は伏せられていた。

 しかし伏せたからと言って獣の鼻を誤魔化せるわけもなし。何よりあの時、屏風覗きは大勢の前で血を流しているのだ。人間の血、一度でも人喰いをした化生にとっては(よだれ)が零れるご馳走のにおいをさせてバレぬわけがない。


 今や白ノ国で屏風覗きが人と知らぬ町人はいないだろう。


 ここだけの話、そう前置きした話がここだけで済むことなど無いのだから。





 いや、大したものだ。予想の数段上をいく術を見せつけられたひなわは、一時捻くれ者の自覚を忘れて素直に感心した。


 目の前には天へと昇る輝く柱、その横には中空に浮かぶ同じく金色の螺旋。その威容はさながら地より登り立つ二頭の竜が如し。己が生きてきた生涯において、ついぞこのような光景は見たことがない。強いて言うなら虹くらいか、あれは悟りの境地と同じで、いくら歩こうと決して辿り着けぬが。


「屏風様、仔細整いましてございます」


 (へりくだ)るひなわを気味悪そうに見る人間には、性悪の(むじな)が実は性悪なりに感謝していることなど思いもしないだろう。


 本日のすべての騒動の発端は、ひなわの前で阿呆面を晒す人間とそのお守りからもたらされた。

 地下に潜る赤の下郎共による奸計を暴き立てたとき、国の守りにかかわる者たちが受けた衝撃は筆舌に尽くし難い。決して真面目とは言えない末端のひなわ自身でさえ、少なからず動揺とそれ以上の怒りを感じたほどである。


 赤の糞虫共も腹立たしいが、何より警備は何をしていたのか。入国の調べは、見回りの目は、一体どこを見ていたとほざくつもりか。


 本日の見回り隊長は案の定、山あらし。あの無能者であった。あれは決まったことしかできぬ、決まったことしかさせぬ愚か者。頭が固いのでなく本当の意味で知恵が足りぬ輩。ひなわはアレが好かぬということもあって余計に腹立たしい。


 御前があれをなぜ召し抱えているのかといえば、白ノ国が影も形もない時代からここに住んでおったから、というだけの話らしい。要は建国前から居座っていただけの置物、そのまま退けずに置いてあっただけでしかない。


 四ノ国におわす大妖の中でも、とりわけ慈悲深い御前は敵対せぬ者には大変寛容であられる。それが無能であっても飢えぬよう仕事を与えて使ってくださるほどのお方だ。しかし、その慈悲に胡坐をかく不心得者が時折現れることを、仕えている者たちはどうにも歯痒く思ってしまう。


 此度の失態で叱責を受けるであろう幾人か、その中には山あらしも入っていた。


 いい気味だ。もしも、もしも御前の慈悲を期待して弁解でもしようとするなら御方の手を煩わせるまでもない、是非ひなわが撃ち殺してやりたい。自慢の背の針を皮ごと剥いでやれば鉛玉も臓腑へ通るだろう。


 そう願い出たものの望みは聞き届けられず、顔見知りという事で(からす)の代わりに人間の子守りをすることになった。まあそれもいい、退屈な子守りではあるが屏風覗きの術を調べることは命令のひとつ、むしろおもしろいやもしれんと思い直す。個人的にもまったく興味が無いというわけでもない。


 頂戴した支度金で懐も温かいようだし、貧しい(むじな)に温もりを分ける気もあるようだ。


 もっとも、ひなわが気を張らずとも警備は驚くほど厳重だ。国の大事にも関わらず、一人の護衛に指折りの羅漢(らかん)二人を付けて守らせているのだから。これでは北の素性の悪い連中も誰一人として穴倉から出てこれまい。

 そしてこれ以降、わずかでもこの人間に関わろうという気も失せただろう。国から羅漢(らかん)をつけられ歩く要人など暗い道を歩く者には厄でしかない。手を出せば必ず滅ぼされる。


 小耳に挟んだ話では屏風(あれ)を蜜代わりに国の虫共を引き寄せるような事を言っていた気もするが、より質の悪い毒虫のために使うことにしたようだ。間が悪い、いや、これはこれでよいか。人間(あれ)にはどちらでも災難に変わりはないし、ひなわのすることも変わらないのだから。


 それにしても、これでは己が殊更遜(ことさらへりくだ)って接することもなかったか。城下の無法者に悪名高いひなわが下手に出ていれば、それを見た者は屏風覗きを危険と判断し手を出し難くなるだろうと、珍しく、ほんのちょいと気を遣ってやったのだが。


 とばりの奴もわざわざ己のにおいをつけた匂い袋など渡してやって、いやまったく甲斐甲斐しいと言ったらない。効果はどう考えても音に聞こえた白玉御前のお持物、付喪神でもないのにひとりでに動く絡繰り、『阿羅漢(あらかん)』ほどではないだろう、指摘は野暮であろうからしないが。しないが、またからかってやろう。


 その羅漢(らかん)をして屏風覗きの術は破れぬらしい。人間の目を盗み幾度か試している場面を目敏く目にしたひなわは腹の中で舌を巻いた。


 確かに、この術の冴えを見れば国で抱える価値はありそうだ。たとえ人間であったとしても。それがひなわの屏風覗きに対する二度目の評価だ。



 (いたち)(むくろ)を運び出す連中をわざわざ呼び止め、供養を申し出た人間に困惑した同僚たちの感覚は良く分かる。しかし、それを拒まなかった同僚たちの感覚もひなわは理解出来なかった。何がどうなったのか、揃ってこの人間に好印象を持っているらしい。


 甘味の差し入れ程度で安い連中よ、むしろ以前から嫌われているひなわのほうが迷惑そうにされる始末。心配せずともこちらだって貴様らは嫌いだ。お行儀が良いだけの連中め。


 所在無げな隊員が見つめる中、焚かれた線香の前でひとり片手で祈る人間に、ひなわは奇妙な違和感を覚えた。


 事件の先駆けとなった(いたち)に対する姿勢はとても不可解なものだった。憎むでなく、かと言って哀れとも欠片たりと思っていない。むしろ見知らぬお人好しの命を賭した貢献を称賛するかのような頓珍漢な態度。この人間はどのような感情からそう思っているのか。いっそ異様でさえある。


 ただ、御為(おため)ごかしの憐憫(れんびん)を見せられるよりマシかとも思った。ひなわにとってさして付き合いのない他人が勝手に盛り上がり、オイオイ泣いて縋る死者の弔いほど寒い見世物も無い。


 案外、この人間は己と気が合うかもしれん。ふと、そんな世迷い言が頭にチラついて酷く嫌な気分になってしまった。人間など喰うか利用するかの存在だ、季節柄暑くなってきたせいで頭が煮えたせいかもしれん。


 飯のひとつも奢らせねば割に合わない。それもお高い飯だ、今日はさすがに酒はいらん。今朝は本当に死ぬかと思った。とばりのせいであろうことか白、雪様にご無礼まで働いてしまった。米つきバッタのように頭を擦りつけお許しを請うたが、立花様あたりに見られていたら只では済まなかっただろう。

 普段から仕事は不真面目なひなわだが、それでも御前に恩を感じているのは本当だ。御方のお慈悲に感謝いたすことしきりである。


「屏風様、そろそろ城にお戻りになりますか?」


 ひなわ程度には気配の欠片も感じられぬが、間違いなく羅漢(らかん)たちは姿を消してついて来ているだろう。もはや不心得者は現れぬだろうが、当面は護衛を続けるよう言い含められているに違いないのだ。

 それならそれでかまわない、これから行く場所は飯を食うだけで何も悪い遊びに誘うわけでもないのだ。護衛は任せて己はうまい飯にありつけばいい。


 何より、密談するならそれに相応しい場所がいい。




 前々から入ってみたかった料理屋を前に一時(いっとき)役目を忘れて高揚してしまう。何せこの店はとある理由で奥周りの料亭にさえ勝る、知る人ぞ知る名店。金を持っているだけでは暖簾(のれん)を潜ることさえ許されぬ。店が客を選べるほどの高名を轟かせているのだから。


 店の前には行儀よく席が空くのを待っている客たち。いずれもそこそこ名の知れた者たちだというのにいじましい。あの暖簾(のれん)を潜る前から弾かれては大恥をかくことになるからだろう、それはそれは大人しいものだ。


 まずその場に現れた場違いの小汚い(むじな)にあちこちから視線が注がれ、次にその横に立つ存在を見てますます困惑を強めていくのが分かる。しかし一方で素性を把握している者もいるようだ。何人かは連れに耳打ちして勝手に納得していく。


 屏風覗きの格好は頭の天辺から足のつま先まで、国の貴人でも舌を巻くほどの高価な仕立て。だというのに当人から威厳など感じず服に着られているのが丸分りで、いっそ滑稽でさえある。それでこうまで堂々とされたら名のある洒落者ほど失笑を禁じ得ないに違いない。


 しかし、あの(まじな)い掛かり暖簾(のれん)を何気なく潜るこの姿を笑える輩がいたとすればそれは国一番の阿呆だ。屏風覗きは呼ばれるまでもなくあっさり店に入れた。


 その場の誰も彼もが言葉を失っていることに当の愚鈍な屏風(にんげん)は気が付いているだろうか。走り寄ってきた店主の使いが、まるで氷を抱かされたように心胆を寒からしめる気持ちで応対していることを分かっているだろうか。

 合わせて付き添う(むじな)にさえ、下にも置かない対応をしてくる店員と、何も言えず見送る名のある客たち。己の力で受けた接待ではないが、思わず腹の中で本物の口元が吊り上がってしまう程度には良い気分だ。


 暖簾(のれん)を潜ったほんの一瞬、敬愛する御大の気配がしたこの人間を軽い扱いなど出来ようはずがない。




 二人前で一朱(二百五十文)と二百文。部屋代と心付け合わせて一朱が二枚(五百文)。たった一度の飯で普段ひなわが食う飯の四、五十倍の銭が飛ぶ。やはりおいそれと使える店ではない。

 それなのに値段を聞いてもツケにする事も無く支払いやがったこの人間。こいつ一体いくら貰ったのか。袖の膨らみから縄銭二束(二百文)は確実、あとは朱銀の一、二枚ほどだと思っていた。もしや国が身なりを整えてやったのは他国へのハッタリだけではないのか? 本当に御方はどれだけこいつを買っているのやら。


 まあ財布(こいつ)の懐が温かいのは(むじな)にとっても良い事。これからもたびたび馳走になろうじゃないかと納得する。


 食事は出生と教養が現れる。行儀の躾がされているかいないか、されていて守る気があるかないかは交流を持って損か得かの指標にもなる。


 汚く食い散らかす輩、不快な音を立てて悪びれない輩、飯を弄繰り回す輩、これらは近寄っても損しかない。こういった手合いは親の代から躾も品性も無いか、あるいは躾の意味さえ理解できない虫から生まれ変わった業の深い生き物だ。ひなわは人の皮を被った頃からそれらの虫は相手にしないことにしている。得が無いし、そもそも近くにいるだけで不愉快だ。虫だけに踏み潰したくなる。


 分かっていたことだが、屏風(こいつ)は食い方がかなりお上品だ。箸の使い方、椀の持ち方、ただそこに座っている姿勢であっても教養がある。むしろ獣の生まれで見様見真似ばかりの己のほうが付け焼刃を晒しているかもしれない。


 食い物を見つけたらすぐに手を出さねば食えない、血を流してでも奪わねばならない、地べたに顔を擦り付けてやっと残飯にありつけるような生き方をする必要がなかったのだろう。やはり温い人間(やつ)だ。


 だからこそ最後の確認にはなった。屏風覗き、裏切り者を見つけ出す駒にちょうどいい。是非ともにその阿保面で裏切り者を引き寄せておくれ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 分かる……。 ほのぼのやコメディなのにいきなり人を殺すなよ……。 恋愛もので想い人が結ばれないビターエンドとかもう……。 創作なのに現実突き付けてくるの、ほんとひで。 屏風のチグハグさは本…
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