宣戦布告――――二時間前
「あの雀がのぉ」
不機嫌にモゴモゴと口元を動かしてろくろちゃんが呟く。プッと吐いたのは海賊たちの備蓄から頂戴した小魚の骨だった。
――――久しぶりの彼女との再会は苦い結末で終わった。
夜鳥は今回のとばり殿の、いや白で多発した町妖怪誘拐について知っている発言を漏らしていた。それも何か弱みでも握られて嫌々協力しているというニュアンスではなく。
この島の海賊たちは誘拐については荷下ろしの時に確認するので知っていたが、黒い雀については影も形も見ていないという。
なお攫われた者たちの第一陣、数にして4名がすでに藍ノ国の本拠地のある大きな島『宮島』に移送されたらしい。とばり殿や運慶さんたちは第二陣の荷物になる。
不幸中の幸いというか、一番に先着していたとばり殿を除けば他の誘拐は水際で防げたようだった。
「「幽世の幻術とも瞳術とも違う、なんとも不吉な気配を漂わせる術でございました」」
屏風覗きが仕掛けられた術らしきものは昏睡から目覚めた釵姉妹たちが痛みを与えることで解いてくれた。
腰に道具の姿で差していた双子たちに目敏い夜鳥が気が付かなかったのは少し気になるが、今は置いておこう。
夜鳥の使った術は当妖怪の申告通り『催眠術』や個人にかける『幻術』ではなかったようで、双子たちもまたあの不気味な現象を目の当たりにしていた。
闇に溶け込む無数の夜鳥。密着するほど寄り集まった無数の分身のような姿が。
「あれの師匠は確か九段の蛇蝎――――三尾狐やったかの?」
何気なく蛇蝎というあんまりな蔑称を零したのち、軽く酒を煽ってから金毛様と言い直した姉は夜鳥の使った術の分析を頭の中で始めたようだった。
幽世の分身術には数種類がある。
ひとつは複数いるように見せかけるだけの技術。夜陰に紛れて位置を変えたり、他者と協力して同じ妖怪が何人もいるように思わせたりもする。他には人形や鏡などを使った手品の類もこれに含まれる。
まあ一言で例えるなら古典的な忍術と呼称すると分かりやすいだろう。魔法みたいな物とは違い種も仕掛けもあるやつだ。
対してオカルト的な『術』は創作でよく知られている魔法みたいなもの。生き物以外にも建物なんかの映像を宙に投影したりできるそうな。
幽世では後者が一般的で、狐狸の術者はこれを得意とするものが多い。有効性は一長一短だそうな。
さらに変わり種として大陸から伝わってきた『実体を持つ分身を作る術』がある。屏風覗きはむしろこっちの方が身近かもしれない。
金毛様、猩々緋様、矢盾。そして夜鳥。分身の本体だけでなく分身自身とも交流があるのだから。
なによりその中のひとりである金毛様は夜鳥の本体であった雀の師匠筋。彼女たちの分身術は同じ大陸から伝来した古い術であるらしい。
ただ今回の場合、この方法は最初から除外されている。
夜鳥は百一羽雀と呼ばれたとある雀の経立が作り出した分身のひとりであり、この術では分身から分身を作れないようなのだ。
「あの狐はあれで才媛での。術者としてはそうでもないが、学者としては幽世でも指折りの博識や。なんぞいらん古代の秘術でも弟子にコッソリ教えとったかもしれんの」
金毛様は神社の禰宜を務めている方だが、自身が扱う術の系譜は神道より陰陽道という変わり種だそうで。その陰陽道の源流こそ大陸から伝来した『仙術』となっている。ろくろちゃんはその辺りの術ではないかと推測したらしい。
ちなみに現世でも陰陽道から派生していった流派というか、分類は多い。
武士の『剣術』や忍者の『忍術』なんかも元を辿れば山伏の『修験道』から来ており、その修験道を遡ると陰陽道に行き着くという。
その陰陽道をさらにさらに遡ると、海を渡った遥かな大陸より伝来した仙術となる。
となれば相当に古くて当然。ろくろちゃんが『古代の秘術』と称するのも納得だ。
「なんでもええか。古い術っちゅうんは覿面に効くが、正しい返し方を知っとれば簡単に破れる類が多い。鬼手なんて言われる代物や」
鬼手。確か将棋などでしばしば使われている言葉で、知らない相手には強力な指し手となるが、対処法を知っている相手には逆に不利になってしまうという極端な戦法だったかな?
それを破られたならしばらくは何もできんやろう、というのが姉の談。呪い返しなんかに代表されるように、破られると術者が大きく不利益を被るのも古い術の特徴なのだという。
「雀には必ずケジメをつけさせる。けど今日のところはここまでや。十字剣、ようやってくれたのぉ」
膝をピシャリと叩いて『この話は終わり』の合図をしたろくろちゃんは、静かに控える釵姉妹をざっくりと褒めると今度はこちらを向く。
「ここはうちが預かる。兄やんは一度城に帰れ」
言われて思い出す。そういえばタイムリミットが近づいていた。台風で大騒ぎだったからすっかり忘れていたよ、危ない危ない。
屏風覗きに与えられた時間は今日の23時まで。幽世の時間を表す単位で言うと猪の刻いっぱいまで。
屏風覗きへの宝の下賜は春祭りの締めとなる奉納の儀式のついでに行われるとはいえ、全体の流れに組み込まれているのだから遅刻は許されない。
儀式の開始は日付が変わるギリギリ。
身を清め身なりを整えるなど準備を考えると時間的に23時が限度マックスだ。参加されるお歴々を待たせるなど許されないし、そもそも幽世の神事は厳正なもの。『ちょっとトラブルが』なんて言い訳は通用しないのである。
「急ぐ事あれへん。朝までゆっくり休んでからまた来いや――――胴丸、松。兄やんにはおどれらがついてき」
とばりはうちと十字剣で守っとく。姉はそう言って気付けの酒を瓶ごとクピリと煽った。
「何を言われます!? 儀式には轆轤様もご参加なさるはずではありませぬかっ?」
師匠の突然の物言いに狼狽して立ち上がる胴丸さん。関係ないけど濡れてしまった太い三つ編みを解いて乾かしていた姿が妙に色っぽく感じる。
大雨に降られてバス停で雨宿りしている田舎の女子学生みたいな雰囲気と申しましょうか。
不謹慎な思考はともかく、胴丸さんの言う通り国の大事な行事であるからには御前のご母堂様であるろくろちゃんも参加は必須だ。
姉の性格的に『面倒くさい』とバックレたかったようだが、今回は黄ノ国からろくろちゃんの身分に比肩するお相手『宝僧院黄金』様が参加される。彼女の対角にこの姉がいないと白ノ国としては体裁が悪いのだ。
「呼んでもないのに勝手に来た阿呆の相手なんぞ知らんわ。苔むした地蔵でも抱かせとき」
屏風覗きが懸念した通りの説得を始めた胴丸さん。しかし弟子の言い分などどこ吹く風と、超フリーダムな娘の義母らしい自由さを持つ師匠はそっぽを向いてしまう。
まるで持ち手のいない傘のよう。強い風の日は人知れず高く飛ぶ事が使命であるかのようだ。
――――しかしここでの姉の思惑も理解は出来る。
今は大型台風の接近とここを仕切っていた海賊の親玉に勝った事で権力の真空地帯になっているが、ふと冷静になれば瞬く間に敵対関係戻ってもおかしくない。
この避難所はそのくらい危ういバランスの上に成り立っている。
今の静寂はろくろちゃんという強者の重しがあればこそ。他の者を残す形ではどうしても不安があるのだ。
こんな状態でくろちゃんが白に戻ってしまったらどうなるか。次にここやってきた時はすっかり戦力を整えた藍の兵たちが待ち構えているかもしれない。
残された者たちを人質にして。
「うちも兄やんが褒められるところには居てやりたいがの。まあそこは堪忍しぃ」
とっとと行け行けと手を振る姉。こちらに頷き『お任せを』と言うようにとばり殿を抱える双子さん。
まだ不満顔の胴丸さん。そしてここまで屏風覗きに寄り添って温めていてくれた松。
嵐一家は不安そうな顔。その不安の理由である他の海賊たちはお互いの意思疎通を図るような視線を送りあっていた。
儀式が終わったらすぐ戦力込みで戻ってきます。それまでどうかご無事で。
とばり殿の事をよろしく。




