夜の鳥
誤字脱字のご指摘をいつもありがとうございます(* ˊᵕˋㅅ)
異世〇食堂新刊に出たケモ耳の衣装が可愛い。つま先と踵が出ている靴下が個人的にツボ
「お久しぶりにございます。この夜鳥、屏風様にお会いするのを一日千秋の思いで待ち焦がれておりました」
前にも聞いた気がする大げさなセリフを紡いだ声の持ち主の姿は見えない。それどころか周りの景色も見えず喧噪さえも聞こえない。
すぐ近くにいたはずの松の巨体も、汗臭い体つきの海賊たちの息遣いも、尋常な勝負を打ち勝った姉の姿さえも、どこにも。
ここは何処だ? 足元の土に触れたい衝動に駆られる。立っている場所がまだ地面だと、手に触れた感触で実感したくなるほどの真っ暗闇。
まるで狐の抜け道だ。あれと違うのは自分の姿が見えない事くらいか。
あちらは光源の無い真っ暗の中でも、自分と同行人の姿だけは何故かぽっかりと浮かび上がるからな。
「黄ノ国でお倒れになったと聞いたときは本当に心配いたしました。主人が死にかける災難に見舞われたというのに、すぐに参ずる事をしなかった薄情な雀とお思いでしょうね」
消沈した声が響く。だがその音の響きから声の方向ひとつ割り出すことが出来ない。あまりに空間としてあやふやで、ともすれば平衡感覚さえ失いそうになる。
冬山の夜に記録的な吹雪にでも見舞われた気分だ。五感のすべてが頼りにならず、自分がどこに立っているかも分からない。
これまでの経験から『自動防御』は個人に向けられた催眠術や幻術からは守ってくれるが、環境自体に掛けられた幻術には無力だと分かっている。
だとすればこれは周囲を幻覚に包むタイプだろう。この形式は『自動防御』のログにも何も残らないはず。
初めての個人検証は隠れ宿の狐。そして夜鳥が使った術によるものが二度目だった。ログの表記はヒュプノスと書かれていたっけ。
あれから反省して屏風には術を掛けないようにしていたはずなのに、いつから解禁したんだ?
「その節は。あの日の無礼を持ち出されると汗顔の至りにございます。しかし恐れながら、これは催眠術ではございません。あの日に誓った通り、屏風様を操るなど二度といたしません」
周りへの幻術ならノーカンとでも?
いや、それはいい。そもそも君は何を思って白を抜けて、藍ノ国で何をしようとしている?
白での悪さがバレて逃げたという事実は、もしかして一側面に過ぎないんじゃないか? 動機はまた別にあるのでは?
――――だが、以前からどう考えてもその理由が分からない。なぜこの子がそんな愚かな事をしたのかが分からなかった。
「積もる話もございますが、まずは姿を見せる事をお許しくださいましね」
暗闇の向こうからぽっくり下駄の音がする。夜鳥がよく履いていたのは黒漆に赤い鼻緒の上等な下駄。
国興院から帰り道、橋の上をふわりと跳ねていた彼女の白い足を艶やかに彩っていた小さなぽっくり下駄。雀と呼ばれる存在と初めてまともに話せたあの日の事をよく覚えている。
そして彼女はするりと現れた。まずは足元が見えて、やがて全身が明かりの中に映されるように。
顔も恰好も同じはずの百一羽。ひとり死んで数を改め、百羽となった分身の雀たち。
夜鳥と名付けた彼女は他の九十九羽の他の雀たちとは大きく違う。
着物の柄や色、話し方に目つきまで。オンリーワンの個性を持った一羽
黒く、濁った雀。
「あなた様の夜鳥。ここにまかり越してございます」
こちらの気分とは裏腹に、うっとりと笑った少女は感極まったように小さくフルリと震えた。
「とばり隊長を助けに参られたのですね? 重々に秘した策であったのに、こんなに早く辿り着くなんて。やはり屏風様ととばり隊長はその運命から強く結ばれているのでしょう」
屏風が胸に抱える命を見て言うことがそれか。藍の誘拐に関わっていると、白状したと見て良いんだな?
雀の笑みが深まる。口が裂けたのではと思うほどに。
右の袖に収めていたスマホっぽいものを掴もうとしたとき、その手を思いがけず後ろから掴まれる。
ぎょっとして背後を見ると夜鳥がいた。屏風に密着するほど近くに。
視線だけで先ほど夜鳥がいた場所を見ると、そこにも夜鳥。
いや、違う! 夜鳥、夜鳥、夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥夜鳥!
黒一色と思っていた世界が擦れるように崩れていく。スクラッチの銀面を削り落としたように。
黒以外から見えた場所すべてに夜鳥の顔が、いくつもいくつも! すべての顔がこちらを見て笑っている。
気付けば無数の夜鳥に取り囲まれていた。
彼女らはまるで赤ん坊を前にした母のように慈愛の笑みを浮かべていて、ひとりひとりが手を伸ばしてくる。
袖から覗いた両の細い手をこちらに向けて、無数の夜鳥たちが寄ってくる。
闇に響くのは含み笑い。その声は小さいはずなのに、頭の中を跳ね返ってはわんわんと大きくなって。
――――捕まえた。
そんな声が耳元で聞こえた気が――――
「っ!」
突如、引きつるような短い苦痛の声。出したのは夜鳥と屏風が同時だった。
目が覚めるほどの鋭い痛み。これまで嫌というほど覚えのある体を貫く硬い感触。
「「ご無礼っ!」」
気が付けばこの手に握られていたのは袖に忍ばせた不格好な板切れではなく、一組の美しい鋼であった。
そこで世界が一気に戻る。
不自然なほどに塗り潰されていた暗闇は、厚い雲に覆われた自然の闇夜へ。
地面に落ちている松明が照らすのは、打ち倒されて呻いている海賊たち。
強く吹く潮風が常に運んできた湿った空気もまた、思い出したように鼻孔を抜けていく。
「兄やん!? このっ、どこ行っとった!」
海賊のひとりを締め上げていたらしい姉が、番傘の先に吊るしていた不運な者をポイと放ってドスドスと寄ってくる。落ちた海賊、完全にグッタリしてるけど死んでません?
「白石様っ! よかった! 賊に攫われたのかと」
同じく胴丸さんも拾っていた松明でこちらの顔を確認してくる。
さらにドンと体を当ててきたのは松だった。飼い主の姿がしばらく見えなくなった時の大型犬みたいなスキンシップである。好き。
「このクソガキッ、ションベンでもしてたんか! 毎度毎度心配かけ――――って、血っ。怪我しとるやないかいっ」
かなり心配してくれたのだろう。もはや心配を通り越してキレ気味に胸倉を掴みに来た姉は、こちらの腕から伝っていた血を見ると掴む場所を胸倉から腕に切り替えた。
問答無用で袖を思い切りまくられる。先程からヒリヒリとしていた肌には鋭い物でひっかいた感じの傷がついていた。
「浅いの。ツバでもつけとけば治る。兄やん、自分で釵でも振ったんか? ヘッタクソやのう」
腕の傷から当たりをつけたらしいろくろちゃんは、屏風の腰に収めている一組の十字剣を睨みつける。
見立て通り、十字剣で翼と呼ばれる鋭い鍔に屏風を引っ掻いてついたらしい皮がわずかに付着していた。
「「申し訳ありません。急を要したため止む無く」」
例によって唐突に姿を人へと変えた双子の付喪神が膝をつき、こちらにサイドテールの頭を下げてくる。
目が覚めたのか。良かった。
「なんぞあったようやが話は後や。兄やん、ちょいとマズいで、嵐が来よる」
嵐。姉の言うそれは嵐一家の事ではあるまい。
――――それは海からやってくる。
湿りを含んだ強い風に乗せて、人々に己の来訪を教えてくれる。
かの者は空と海が生み出した竜。
速い雲に強い風。天候についてなんて詳しくない屏風覗きでさえも、簡単に予感できるほど濃密な気配を漂わせて。
台風の気配。それも海が荒れ狂うほど大きな勢力で。




