宣戦布告――――六時間前
戦いは一方的な展開だった。屈強な藍の海の兵――――ではなく、船員は堅気だったからだ。
意外にも冷静な胴丸さんがいち早く違和感に気が付いて、ギリギリの場面だったが手加減できた事は不幸中の幸いである。
まあ向こうも血の気が多い連中のようでしばらくは乱闘になったけどさ。褌に法被みたいな上着だけの恰好で、まさしく海の荒くれものって感じである。
目のやり場に困るわ。女性妖怪ばっかやん。この場合も海女さんカテゴリーでいいんだろうか?
そういう意味でも殺さずに済んでよかったと思う。まあまあ怪我はさせてしまったけどさ。
なにせこっちには弟子の警告を受けた程度では止まらない、地獄のヤンキーパラソルがいるので。
「話なんぞまず倒してからでええわい。腕っぷしで物を通すのも妖怪や」
こっちのやや批難を含んだ視線に気が付いたのか、フンと鼻息を荒げてそっぽを向いた番傘ちゃん。
せっかく意気込んで敵地に乗り込んできたのに、最初から手加減しろと言われて不完全燃焼だったからだろうな。ものすごいイライラしている。
でも船内で暴れると沈没の恐れもあるから、それを考慮して多少の加減はするつもりだったろうに。この姉が本気で暴れたら木造船なんてあっと言う間にブッ壊れてしまうのだから。
それにここは海の上。勢い余って船員すべてに極楽浄土へ旅立つための頭の輪と翼を授けては、この船を操船できる者がいなくなってしまう。いやまあ宗派は絶対違うと思うけどさ。
どちらにせよ胴丸さんのお手柄だ。ここにいる全員がこんな大型船なんて操れない。あのまま殺戮モードだったら潮と風の向くままに漂流してしまっていた。
「い、いえ。細部に目を光らせるのも守衛の役目なれば」
謙遜した声を出す胴鎧。その謙虚さにこそ知性が滲み出ていますな。対比で師匠の暴走機関車ぶりが悪い意味で際立つ一戦だった。
「なんや?」
おおん? という感じの姉の睨みつけが恐くて誤魔化すように天を仰ぐ。それでなくとも天を仰ぎたくなる心境なのは事実なのだが。
当初の予定が台無しなんだもの。脱出計画練り直しだ。
「これで全員のようです」
今後の展開に頭を悩ませていると、屏風覗きの手をプラプラさせて血を払っていた胴丸さんが現状報告をしてくれる。
胴丸さんの手、ではない。屏風の手、正確には手甲のついた手。
なんと言えばいいか、巨大な手甲のついた腕に屏風覗きの手が埋もれているのだ。不思議と表面の感触もある。拳に付着した血の感触も。
血は巨大腕で船員たちをブン殴ってついた返り血である。鼻血くらいだけどね。
見た目はバラエティで使いそうな巨大グローブが近い。他には格闘ゲームでこんなデカい手のキャラがいた気がする。
『大手甲』。もしくは『大鉄甲』と呼ばれる胴丸さんの術の残り香だ。
すごいね。体躯の大きさが変化する術って。質量とかどこから持ってきているのか。ろくろちゃんの現身はその辺の石や土を担保にしているらしいけど。
「お、お目汚しでございました」
少し恥ずかしそうにそう言うと、屏風の体を操って再び手を振る。
すると先程まであれだけ存在感を主張していたふたつの塊は前触れなく消え失せ、後には慣れ親しんだサイズの自分の手に戻っていた。
肌に血はついていない。あの腕はあくまで胴丸さんの手甲だからだろう。
胴丸さんの術は自身の腕が巨大化するとばかり思っていたが、鎧姿で人が身に着けている状態でもこんな感じで装着者を介して使えるらしい。
そしてその際は装着者が巨大な手甲をつけたような姿になるようだ。幽世、不思議発見。
なお見た目より軽く感じたけれど、打撃の感触からして見た目に見合うだけの重さがあるっぽい。片腕で普通乗用車のタイヤ丸々4つ分くらいだろうか?
こんな重さでボコボコ殴られたらそりゃたまらないよ。ちょっとした交通事故だ。
そんな重量物を屏風覗きの貧弱な足腰で支えられたのもまた、胴丸さんの術の内なのだろうな。
関係無いけど現世では毎年タイヤ交換の時期が憂鬱だったなぁ。お店に任せれば安全だし楽なのに、つい自分で面倒を見たくなる。
「いらん手間取ったわ。まあ戦で雇われの船乗り殺すんは無作法やけどなぁ」
八艘飛びで有名なとある戦術家の功罪をあげた姉が、すっかり縮こまっている船員たちを不満そうにねめつける。
当時船乗りはあくまで雇われでしかなく、彼らが戦場にいようと殺すのは戦の習いから外れる掟破りだったという。
彼はこれをお構いなしで殺したことで船を操れなくなった相手側は混乱し、敗北の大きな一手となったという有名な話。
なお万事この調子の無作法ぶりが兄貴に不興を買った理由のひとつみたいである。
もっとも、あの兄弟の後ろに親類筋の海千山千の狸たちが影の支配者としていたような話もあるけれどね。世の中で表に名前が出ている者は役者のようなもの、影にいる本当の権力者は名前なんて出てこないものだ。
歴史の陰謀論はともかく、諸々の理由で船員たちを殺すのはNGと考えセーブしてもらって正解だったよ。
ただ言うは易しの言葉もある通り、戦っている真っ最中に言われても困るのはそれはそうだろう。姉の機嫌を損ねた理由のひとつだ。まともに戦えないやつが口だけ出したらねぇ。
殺しは無しとなると刃物や刺突では加減が難しい。あまり加減すると反撃を貰いかねない。
そういうときに便利なのが殴打だ。ブン殴って目を回させたり、腹を殴って悶絶させることで戦意を削ぐのである。まあこれでも加減を誤ると殺してしまいかねないが。
そういう意味ではろくろちゃんと胴丸さんは適任だったよ。どっちも基本戦法が『殴る』である。
ワラワラと得物を持って船下に降りてきた妖怪たちをまとめて殴りつけ、さらに甲板に上がって剛腕をブンブンと振り回しては船員たちを跳ね飛ばす作業を数回した。
気分はラリアットで飛び道具をすり抜けるレスラーでした。戦いの最中だと言うのにちょっと感慨深かったのは内緒である。
この船の横幅は7メートルほどしかない。こんな狭い場所でスーパーウリャ! な攻撃範囲から逃げられるものではない。
ええ、もちろん体を操られてる側はたまったもんじゃないですが。
まず巨大化した腕というか手甲を支えた足腰がヤバイ。さほど重く感じないと言ってもそれは感覚だけ、たぶん後でツケを払うタイプと術と見た。
前にろくろちゃんに操られたとき以来の腰痛になりそうで今から憂鬱である。
そのろくろちゃんが手甲を躱して残っていた手練れたちをゲシゲシと昏倒させて終了。姉が好きそうな身軽に飛び回っての大立ち回りをする暇はゼロでした。
そして甲板で尋問タイム。
なんとも乱暴な『説得』になってしまった事をここにお詫びします。そしてここからはぜひお行儀よく尋問タイムと行きたい。
――――尋問が別のものに変わらないよう、お互い仲良くしていきましょう。
「兄やん、顔」
おっと。姉に顔を乱暴にムニュムニュと揉まれた。そんな恐い顔をしていただろうか?
ただ、すでに一筋縄ではいかないのは誰もが知っている事。たとえ堅気が相手でも、多少当たりが強くなっても仕方ないだろう。
なぜならここは間違いなく船の上でありながら、でも海の上では無かったのだ。
三度天を仰げば、そこには夕日に照らされた魚の群れ。
海の中じゃん、ここ。
<潜水航路 3000ポイント>




