固鎧と固犬と塩馬と屏風
「お待たせいたしましたっ!」
空から春の日差しを遮りズシンと降りてきたのは胴丸さんだった。往年の妖怪アニメみたいにぬりかべや子泣き爺でも落ちてきたのかと思ったよ。
この子の見た目をぬりかべや子泣き爺と比べたら失礼だけどさ。彼女も妖怪らしく容姿に優れているのだ。
しかしろくろちゃんの一声で朝から突然の配置換えとは宮仕えも大変だ。お勤めご苦労様と労い、立ってくれるようお願いする。
見た目は学生くらいに見えても今日まで世間に揉まれてきた立派な社会妖怪。スムーズに畏まる姿はまさに兵士だ。
ヒーロー着地から立ち上がった彼女は軽く土埃を払い、気が付けば足が元の大きさに戻っていた。体の変化と戻る瞬間、そのどちらも認識できないのが幽世の妖怪の変化の特徴である。
ぽんとか音を立てたり、光や煙が出たりしないんだよね。いつも唐突だ。
こうして立ち上がった胴丸さんは体格は中学生くらいの彼女だが、着地の時に衝撃を緩和するためにか両足を何倍にも巨大化させていたのである。
足をそのままで立ち上がったら絶対に屏風覗きの背丈を上回ったろうに。気が付けばこちらより小さいのだからいつ見ても混乱してしまうよ。
よく焼けた肌に太い三つ編みをひとつ下げ、胴体にのみ鎧を着こんだ女の子。いかにも田舎の運動部の中学生といった感じの素朴な顔立ちで、夏にワンピースと麦わら帽子が似合いそう。
名前というか呼び名は胴丸。『素懸威 胴丸』。
素懸威とは日本の簡素な鎧の名称であり、胴丸もやはり胴体鎧の意味であるため厳密には個妖怪の名前ではない。しかし当妖怪はそれで困っていないらしい。
そもそも妖怪たちは名前が無い場合も多い。なので主な識別の指針は『どこに住んでいるか』『何をした者か』『どんな集団に属しているか』になる。
表現としては昔の屋号が近いのかな。三丁目の山田さん的な認識である。後はこれに外見の特徴などを加えればさほど困らないらしい。
逆に名前を持っている者はそれだけで一目置かれるという。名前のある妖怪とは何かしらで名声や悪名を持つ有名妖怪だったりするからだ。
胴丸さんも順当に階位を上げているし、新設される部隊の隊長格へ抜擢されるとの話もあるので近いうちに名持ちになれるかもしれないね。
「取り急ぎ私だけで参りましたが後からいま一人参ります。どうか今しばしお待ちください」
そう言った彼女の言葉を肯定するように、南の往来を遠くからカッポカッポと緩めに走る巨体が見える。あれは見紛うことなきマイラブホース松ちゃん。
そしてその背に乗っているのは――――秋雨氏か? 遠目に見る限り軽装ながらも武装している。以前に護衛をしてくれた時と同じく手甲をつけているようだ。
「び、ンン゛。白石様! お待たせいたしました!」
松の背中からヒラリと降りた秋雨氏が流れるように畏まる。身内同然の子にそういうのはやめてほしいんだけど、文化的にしょうがない面があるから何も言えない。現世とて親兄弟にもこうして頭を下げていた時代があったのだ。
なので屏風覗きに出来るのは早く立たせる事だけである。こっちも元兵士だから仕草は堂に入ったものだ。
そして松ぅ。朝から来てくれてありがとう。
可愛い鼻先を撫でようとしたら、いつものように『触んな』と言いたげなリアクション。プイッと顔を逸らされた。
悲しい。君はおやつがあるか非常時以外はいつも塩対応だなぁ。
しかしそんな対応の松ちゃんだが仕事はちゃんとやってくれる。こちらに軽く鼻を鳴らすと『早よ乗れ』と促すように体を横に向けてくれた。ツンデレなところも好き。
「では、我らで城まで護衛いたしまするっ」
この面子だと胴丸さんがリーダー的な立ち位置になるようで、彼女らしからずハキハキとした口調で音頭を取る。いや、この子も基本はしっかり兵士してるんだけどね。
場にひとりでも目上がいると自分は一歩引く姿勢になるが、そうでないから高圧的な口調もちゃんとできる。
砦の囚妖怪相手では厳しいし、大失敗をした矢盾にも冷淡な口調をしたりとわりと上下関係ではガチガチ。この辺りは真面目代表のとばり殿より厳格かもしれない。
やはり正体が武具だからかな? 妖怪は自分の正体に引っ張られる傾向があるそうだし。
そしてその本性である胴鎧の姿になった彼女は、例によって屏風覗きが着込む形となった。いつもの町人風和装に胴鎧なのでだいぶチグハグである。いっそスーツ姿ならまだ格好が決まるだろうか?
「どうぞ」
鎧に微妙に収まっていない服のシワを気にしていると、秋雨氏が当然みたいな顔でしゃがみ込み松の横で踏み台の姿勢になっていた。
いや、いらないから。来たばかりはまだしも今はもう馬に乗るくらいは出来るから。付喪神の松ちゃん限定だけどさ。
前にお城で馬のお世話をしているニホンザルの経立、蟹食氏に立花様の軍馬を見せてもらった事があるけれど、あれに乗るのは絶対に無理だ。草より生肉食ってんじゃないのと思うくらい気性が荒くてそもそも近づけなかったもの。
馬は頭が良いから人間の強弱をちゃんと見ている。ゼッテー弱いぞこいつとナメられたんだろうなぁ。大正解だよチクショウ。
はあどっこいしょ。そんなしょっぱい掛け声を思い描いて鐙を踏み台に松の背に乗る。バイクやオープンカーにヒラリと乗れる身体能力強者のイケメンになりたい。
手綱を持った秋雨氏が歩き出そうとしたところでちょっとストップをかける。お城ではなくこのまま北町に向かいたいのだ。
「「なりません」」
ハモるんかい。松も『アホかオメー』みたいな呆れた目をしないの。
ついツッコミを入れて茶化してしまったが、知り合いからの情報としてふたりと一頭に北町での目撃証言を打ち明ける。
「では見回りに伝えましょう。白石様はどうぞこのままお城に」
胸元で事務な声を出す胴丸さん。いやいや、言いたい事は分かるのだけど。
「屏風様、それは記帳門様や見回り組の役目でございます。勤勉は功徳でごさいますが、どうかここは北町の兵にお任せを」
秋雨氏の言い分は分かる。非常時でもないのに他所の縄張りに顔を突っ込むのは組織として良くないことだ。
「いいえ、縄張りの話などどうでも――――どうでもよくはないのですが、このところ屏風様は働きすぎでごさいます。今日は昼を回ればお休みとのことですが、なればこそそれまで大人しくなさってください」
別に屏風覗きも好き好んでワーカーホリックになりたいわけではないのだけどね。
けれど火事が起きるかもと言われているのにストライキ中だから仕事しない、なんて言えるのは海外の消防士くらいなもの。日本人は気質的にそうもいかない。
それにとても個人的な見解だが、こういうのは『縁』がバカにならないのだ。
問題として伝わったのが屏風覗きであるならば、伝え聞いた屏風こそが一番問題にブチ当たる。そいいう変な『縁』というものが人生にはしばしばある。
苦手な上司をプライベートで見かけて避けたつもりが、避けた場所でまたバッタリ出会ってしまう。そんな嫌な縁が。
あるいは虫の知らせとでも言えばいいか。
これまで屏風覗きにとって北の町とは何かと剣呑な縁が多い気がする。当時の赤との争いでは誘拐や暗殺めいたことをされかかったし、呪いと疫病を流行らせようとした策も見かけた。
そんな屏風覗きの耳にここでまた噂が入ってきたのだ。良いものじゃないという予感はあながち間違いではないだろう。
同じく縁にはタイミングもある。耳に入ったこの機会を逃すと後で後悔しそうじゃない?
「「駄目です」」
知ってたけどふたりとも意外と頑固。松はなんとなく説得されてくれたっぽいのに。お城に着くまでに説得できるかなぁ。




