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たった数メートル先

 災害とはかくも理不尽なものだ。見舞われる者にとっては。


 たとえそれが人の都合でしかなく、自然の理の前ではなんの正統性も無かったとしても。


 では人間の都合によって降りかかる災難は?


 間違いなく罪過の渦巻く厄災の極みに違いない。


 この施設の構造は『管理者』の説明で頭に入っている。会社見学で語られるプレゼンテーションのように、いかにも『社会に貢献しています』『高利益の企業です』と施設説明と共に雄弁に語っていたそれがどこまで正しいかは不明だが。


 偏向器で特に重要な心臓部はふたつ。ひとつは集束した光を実際に偏向させるためのミラー部分。


 そしてもうひとつはミラーを操るための制御室だ。


 どちらに不具合が起きても恒星から集めた光は意味をなさない。かすかな手違いひとつですべてを地獄に誘う滅びの光にもなるだろう。


 通路内を歩く途中で幾度も妨害に合いつつ、それをひたすらチート(ズル)頼みで強引に突破して進む。


 隔壁閉鎖による閉じ込めや銃撃はまだ可愛いほうで、火炎放射に通電、液体窒素の散布。突然エアロックを開けることで宇宙に放り出そうとする真似もされた。


 昔見たパニック物のSF映画の知識が役に立ったよ。


 人側がクリーチャー側を退治するためにやっていた事を想定すれば、これらのトラップはだいたい当てはまる。予想さえしていれば慌てる時間も少なくて済む。


 隔壁や銃座はキューブで切断して押し進み。エアロック解放もキューブで穴を埋めて解決。敵からの攻撃自体は自動防御がある限りなんでも防いでくれる。


 こんなチート(ズル)、『管理者』からしたらまさに悪夢だろうね。あの映画でも人類側の無力感は半端じゃなかったものだ。


 偏向器施設はあくまで作業所。なので人が行き来できるエリアは居住区のあるコロニーほどの面積は無い。すぐに目当ての場所に辿り着く。


 もちろんドアの前に立っても自動で開くわけはない。侵入者を締め出すドアロックは当然だろう。


 無論、ここまで来てお行儀よくインターホンなど鳴らしたりはせず、すぐ押し込む準備に入る。準備と言っても大したことをするわけではないが。


 よく映画で立て籠もっているドアをトーチでジジジと焼き切る場面があるけれど、あんな時間も準備も屏風(これ)には不要。


 ドアの中央をキューブで輪切りにし、手でバジバシと叩いて開ける。


 映画を引き合いに出したけれど、ああいった作品の登場キャラクターのようにカッコよくドアを蹴飛ばすのは無理なので。ここは無重力になっているから変に蹴るとこっちまでポーンと反対側に飛んで行ってしまうだろう。


 なので誰もが憧れるマッチョヒーローではない屏風(これ)は、実に民間人らしいドン臭いアクションでよっこいしょと穴の空いたドアを潜るだけである。


 ここまでの通路からしてそうだったが、やはり嫌がらせのように照明が消されている室内は真っ暗だ。

 せいぜい機械のコンソールと思わしきもののランプか何かが、待機状態を示すように色付きでかすかに点灯しているくらい。光源としてはまるで足りない。


 ここまでの道行きを照らす光源は、左腕につけているスマホっぽいもののバックライトで凌いでいる。頼りない光で照らされた通路はまんまホラー物の映像っぽくて内心ビビリ散らしていたのは内緒だ。


 ホラーゲームはこういう小さなライトだけで進ませるの大好きだよね。激しく遺憾である。超怖ぇ。


 まあこの状況だと屏風(これ)がクリーチャー側なんだけどさ。なけなしの妨害をものともせず施設の心臓部に近寄ってくるとか、生存者がいたらさぞ怖かろうよ。


 ――――いや、正しくクリーチャーで合っているのか。ここにいるのは『屏風覗き』。怖いかはともかく、紛うことなき妖怪なのだから。


 ここで改めて『管理者』に伝える。今からここを破壊すると。


 これが最後だ、あなたに言いたいことがあるなら聞こう。


 もし、もし君が願うなら。君の残滓だけでも母なる星に届くよう努力しよう。すべては無理だけど、ほんのひと握りの部品くらいなら。


 あの胡散臭くてお節介な悪魔とて、そのくらいのお使いならタダ(ロハ)で聞いてくれるだろうさ。


 機械の君にそこまで自由な反応を返すプログラムはされていないかも知れない。人が故郷に抱く感傷なんて、君にはなんの価値も無い戯言かもしれないけれど。


 時間にして10秒ほどを待つ。答えは無かった。


 ただ返答の代わりと言うように、姿勢を保つためその辺りの壁につけていた手に大きな振動を感じた。


〔侵入者の排除が叶わないため、遺憾ながら当施設を処分します〕


 届いた通信音声はそれっきり。しかし電力が回復したように制御室の照明が――――否。朽ちかけたモニターのひとつが灯る。


 そこに映っていたのは偏向器とコロニーを結ぶガイドレールが切り離され、宇宙という奈落に残骸が四散していく映像。


『管理者』が偏向器の軌道を動かしたのか? それに処分と言った?


 宙に浮きあがっていた体が徐々に一方向へ引っ張られていく。これは施設自体が移動しているからだろう。


 中で浮いているこちらは徐々にこの建物の加速についていけなくなり、こんな感じに進行方向とは逆に寄って行ってしまうのだ。


 ここでモニターの映像がコロニー側から切り替わる。映し出されたのは一面の緋色。


 それは恒星の輝き。


 理屈を抜きにして理解する。この建造物はあの恒星に向けて加速を始めたのだと。


 処分。まさしく処分。


 宇宙に浮かぶ自然の焼却炉に向けて用済みのゴミが投げ込まれようとしている。排除できなかった侵入者(異物)を乗せて。


 これがおまえの答えか。こんな激しく、寂しい結末を望むのか。


 いや、こちらに嘆く資格など無い。追い詰めたのは他ならぬ屏風(これ)だ。


 ――――脱出するか? 自分でも考えていた達成目標『わずかでも軌道から逸らす』はこれにて成された。それさえ達成できれば施設を破壊せずとも別にいいのだ。


 だがしかし、実際どうなんだ? ここで屏風(これ)がいなくなったとしてどうなる? 本当にこのまま太陽に向けて突き進んでくれるのか?


 あるいは屏風(これ)を追い出すためのブラフか? いなくなった後で再び所定の位置に戻る可能性はないか?


 考え無しの臆病者が逃げ出した後で悠々と元の位置に戻られたら、これほど間抜けな事もない。


 後で気が付いたとして何度も来れない。使うポイントが段違いなうえに宇宙の居心地は最悪だった。誰が二度と来るものか。


 この仕事は最初の一度で確実でなければならない。確実に、二度と、こんなところに来なくていいよう完全に破壊しなければ。


 こんなとき映画なら様々な困難を乗り越えて施設を破壊するのだろう。


 機関部に爆弾を設置したり、炉心を暴走させたり、脱出後に宇宙船の兵器で攻撃したり。


 それはきっと仲間の犠牲を乗り越えての感動巨編。最後は生き残った恋人とキスをしてエンディング。


 だがそんなスペクタクルは必要ない。むしろこの施設が動いてくれた事で手間が省けた。


 ここまで来れば見えずともいい。キューブを手当たり次第に施設内部に設置する。


 キューブの特性のひとつに『設置した空間にピタリと固定され、何物をも動かすことは叶わない』というものがある。


 ならばもし、動く物体の中でこれを設置したらどうなるか?


 施設から先ほどとは違う不連続な振動が起こり、電車の車内でブレーキが利いたように前に体が持っていかれる。


 音など無いはずのこの世界に、メキメキという破壊音が響いた気がした。


 これでいい。もはやこの偏向器はここから動くことは出来なくなった。あるいは無理やり動くかもしれないが、そのときはキューブという決して動かず砕けない刃物によって内部からズタズタになっていくだろう。


 どちらにせよもうこの偏向器は役に立つまい。


 なんとか目的は達成できたかな? そう考えて小さく溜息をついたとき――――世界が弾けた。


 表現するのが難しい。そのくらい突然の出来事。さっきまでの景色がブッ飛んだ。


 見えるのはどこまでも宇宙。室内にいたはずなのに何が起きた?


 前後左右の認識ができない完全な宇宙空間。気付かないうちにエアロックから放り出されたのか?


 何が起きたのかを理解しようと視線を彷徨わせる。その甲斐あってヘルメットの向こうに見つけたのは。グングンと遠ざかっていくキューブだった。


 あれは外での移動のために出したものか? いや、移動中に出したものはその都度消していた。椿屋で消し忘れた過去の教訓から、なるべく使った端から消すようにしていたのだ。


 動き出す前の美濃江砦探索で照明に使ったキューブとて探索後は消していた。登録後は艦内の照明がついたからね。もしあのままだったらさっきの偏向器のようになっていただろう――――偏向器?


 もしかしてこれは偏向器が爆発四散したのか? 自爆? あるいはキューブが致命的な部分を傷つけた? それで爆発して残骸が飛び散り、自動防御のある屏風(これ)だけが爆発の影響を受けずに宇宙を漂っている?


 宇宙空間で起きた爆発ってこうなるのか? 四方八方に向けて爆発の初速のまま残骸が飛んでいくから、その場にはほぼ何も残らない?


 いや、余計な事を考えるのはやめよう。そんな場合じゃない。まず考えるのはここからどうやって脱出するかだ。


 まずは足場を作りたい。そのためにはキューブを出す位置が重要だ。


 さっき離れていったキューブを見た限り、屏風覗きはかなりの速度で飛んでいる。進行方向に出すとシャレにならない勢いでキューブに激突するかもしれない。


 実験なしで自動防御とキューブをケンカさせるのは避けたいところ。もし防いでくれなかったらセルフで交通事故になる。


 この勢いのまま『門』を使うのも危険だ。開く前に激突しそうだし、うまく飛び込めても大砲のような勢いでどこかに当たったら屏風(これ)は無事でも周りが大惨事になる。


 進行方向を確認してキューブを連打。四角いチューブの形に作ってちょっとずつ角度をつけていき、最終的に大きなドーナツのように連結する。


 これも過去にとばり殿と体験した手痛い教訓の産物。城下の北に残された二本の柱は『必要な出費はケチるな』という反省材料になっている。


 後は摩擦だけが頼り。無重力での減速はとかく困難である。


 どのくらいグルグルと回ったか。やがてなんとか回転が落ち着いてきたので最後に進行方向へとキューブを設置。これに足からぶつかる事でやっと体が止まった。


 まだ勢いがあったから踏ん張り切れず、尻もちをついたみたいになっちゃったよ。


 足下以外の白いブロックを消せばもう天地が無い暗黒の世界。うんざりしながら『門』を呼び出す。こんなところもうたくさんだ、早く戻ろう。


 いつものように『門』が呼び出され世界が灰色になる――――このとき、屏風(これ)は立ち上がる動作をした。尻もちの体勢から『門』へ向かうためにどっこいしょと。


 浮いた。体がふわりと。


 え? と絶句する間にキューブから足が完全に離れてしまう。


『門』を使っても無重力のまま!?


 開かれていく『門』。制限時間10分のカウントダウンが始まる。


 キューブで再び足場を作ることができない!? この時間が停止した世界でキューブが消せないのは過去に実証していたが。作ることも出来ないのか。


 何かの間違いであってくれともう一時指を走らせる。


 けれどこの灰色の世界にキューブは現れなかった。


 じわじわと遠ざかっていく『門』。その先に見えるのは少しだけ恐ろしくも暖かい、妖怪達で賑わう懐かしい世界。


 それなのに。たった数メートル先にある世界に戻る事が出来ない。


 胸の奥から込み上げてきた感情はとてつもない憔悴と、絶望だった。

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