悪意の影
結果的に相手を殺めてしまった殺人者の屏風覗きだが、今回は状況がはっきりしていて身元も保証されているので帰っていいらしい。最悪面倒臭くなって牢屋に突っ込まれるかと思っていた。まあ状況が状況だ、今は当事者のひとりとして索敵に協力しよう。
もはや関係ない話になってしまったが、幽世の牢屋が江戸時代に酷似した代物とかだった場合、それ自体が拷問レベルの環境なのでひ弱な屏風覗きだと三日も経たずに死ぬ可能性がある。
昔の牢は生活環境としても最悪だが、牢内治安も現代のダーティな外国刑務所みたいなもの。よほど当人が屈強か恐い組織の庇護がないと牢頭を中心としたコミュニティに嬲り殺される。単なる一般人なら尚のこと賄賂のお金でも持ってないと殺される。目安として現金で10両ほど持っていると安全圏だったらしい。
窃盗やら強盗で大金を奪った犯罪者ならまだしも、真っ当に暮らしていた庶民にそんな金は逆立ちしても出せない金額、むしろまともな人ほど牢では悲惨になったのではないだろうか。
時代劇でたまにある、冤罪でもあえて捕まり主人公の無罪証明を待つエピソードとか、現実ではとんでもなく無謀というか妄想ファンタジーレベルの話なのだ。
「碌に仕事も出来んのか! あの連中は!!」
隣りをズンズン歩く相方は詰所を出てもご機嫌急降下のまま。
あの後詰所にひょっこり現れた緑頭巾の犬(フレンチドッグ、だいぶブサ犬)こと腐乱犬氏によって、死体イタチの身元確認が行われた結果だ。彼とはろくろちゃん主導によるパラソルアタック以来、昨日ぶり二度目の遭遇である。
「とばり殿、屏風覗き殿。これは妙なところでお会いしましたな」
呼吸の無い体でどうやって発声しているのか、昨日聞いたままのオッサン声で話しかけてきたのは腐乱犬氏。とばり殿は不機嫌さをひとまず引っ込めると、入り口からヒョコヒョコ入ってきた彼に淡々と応対していた。印象としては『同じ会社だけど仕事以外では一切交流する気がない同士』といった感じ。ろくろちゃんや手長様とも違う意味で取り付く島がない、お互いに無関心な印象だ。
知り合いの多くが腐乱犬氏とは距離を置いているという事実、屏風覗きはどういった立ち位置にいればいいだろう。全員が仲良しこよしを最上とするほど頭お花畑ではないけど、最初からケンカ腰もおかしいし悩ましい。
「お役目でありますので、ご不快でもご勘弁を」
ご不快、のイントネーションを強調されてしまった。あのスィングはツーベースヒットくらいの当たりだったしね。彼とは既に今日明日で歩み寄れる距離ではなくなってしまったようだ。あの直後に釈明すればまだなんとかなったかもしれないが、結局二妖怪に流されそのまま通り過ぎたこともあり、今更ろくろちゃんの話を持ってきても言い訳にしか聞こえまい。余計に信用を失いそうで完全にデッドロック状態である。
「これは赤の者ですな」
背中にマントのように背負っていた大きく分厚い台帳を肉球でシャカシャカ捲り、記載された一文を器用に一本だけ出した爪で指し示す。台帳は上面が白い紙の束がほとんどで、底のほうだけ暗い赤の紙の束で綴じられている。対比は9対1といったところ。
最初は白ノ国の妖怪を白い紙、赤ノ国の妖怪を赤い紙に記載しているのかと思ったが、どうやら赤紙は要注意人物を乗せているらしい。残念ながら黒い墨の文字は達筆なうえに古文なので、ちょっと見ただけでは解読できなかった。
思えば買い食いの時も屋台ののぼりで『る゛んボ』みたいに書かれていたのでなんだありゃと思ったら、店の商品を見てようやく『だんご』だと分かったりしている。字が崩してあることも手伝って非常に読み辛いのだ。 ちなみにだんご屋は腹ペコのお眼鏡に適わなかったようで本日スルーされている。これに腐らずだんご作りを研鑽し、いつか食いしん坊にリベンジして頂きたい。
「やはりか、痩せているからそうだと思ったわ」
フン、と鼻を鳴らしても物言わぬ骸を見るとばり殿の目は何処か冷たい。
痩せ方で見分けがつくほど赤ノ国では貧困や食料事情が深刻なのだろうか。たしかに体格はお国柄が出る傾向がある。少なくとも屏風覗きがこれまで白ノ国でしてきた食事では簡単に痩せることはない。
手間こそかかるが穀物の中でも米は栄養価が特に高いし、これをバクバク食っていたら悪い痩せ方はしないだろう。一番モノを言うのは量だがな。ヘルシーでも量食ったら一緒、むしろ胃が拡張されて余計に悪循環に陥る可能性がある。ダイエットで一番苦しいのは空腹と嗜好の不満、『満たされない』事なのだから。
低カロリーでもおいしいからってだけではダメ。カレー食いてぇと思って出されたのがヘルシー路線のスープカレーとかだったら、たとえおいしくても内心『コレジャナイ』が騒ぎまくるだろう。
代替品で満たされるのは要求の半分、もしくは逆に腹が立ってしまうのが人間なのだ。今は全然関係ないが。
塩も味噌も醤油も好きだけど、ああ、香辛料系に浮気したい食の倦怠期。
「盗人を中周りまで通さないでもらいたいな、手慣れていたぞ」
ひとり食生活の彩りに悩むアンポンタンを余所に、入出国管理役と守衛役の棘のあるやり取りが続いている。要注意として記帳されているということは把握していたということ。戦った当事者であるとばり殿の声に批難が宿るのも無理はないだろう。たしかに出来心でって感じではなかった。
「さて、罪を犯す前に捕らえるわけにもいきませんから」
白ノ国には危険人物の予備拘束的な法律はないのか。国を跨いでの犯罪者など明らかに危険度が高ければその限りではないだろうか、窃盗しそうだな程度の憶測では門前払いはできないのだろう。
しかし、外国人向けの外周を抜けて白ノ国の庶民が多く住まう中周りに入ってくるとか、ちょっと不自然な印象を受ける。金ならむしろ外周にいる妖怪々のほうが持っているんじゃないか? 警備が緩そうな庶民街のほうがリスクが少ないと考えたのかもしれないが。
そのまま死体検分に入った腐乱犬氏の姿に、もうあんたらに用はないという気配を感じてとばり殿と二人で顔を見合わせると揃って肩を竦めてしまった。先ほどから遠巻きにしている見回り組の留守番たちに、帰っていいかと出口を指さし目で訴えると首肯されたのでお暇することにする。
どうにもグダグダな空気の中で立ち上がる。最後までアウェー感が払しょく出来なかったのは屏風覗きのトーク力不足と言われてもしかたない。お伽衆とは何だったのか。お釜は当面返して貰えそうにないし血のついた服も取り換える必要がある。これから何をするにしても一度城に戻ったほうがいいだろう。
「待てッ!」
鋭い一声に腰を浮かしたままの姿勢で静止してしまう。先に立ち上がって出ていこうとしていたとばり殿が、腐乱犬氏によって検死のためうつ伏せに転がされたイタチの亡骸を見てギョッとしていた。咄嗟の身の引き方からして異常事態である。
「こいつ、背に呪いが彫られているぞッ」
それは先ほどから屏風覗きの目にも着物の隙間からほんのわずかに見えていた。珍しくケモ毛が無いし、随分汚い入れ墨だなとしか思わなかったが、とばり殿の様子を見る限りこれは何か良くない意味のあるものらしい。
これを聞いた腐乱犬氏が、普段の緩慢な動きが嘘のようにバッとイタチの背を完全に暴き、頭巾の顔布で口を覆っていた布を取って擦るようにスンスンと入れ墨を嗅ぎ出す。そして心底不快といった感じに、吐き捨てるような声を出した。
「確かに。これは、屍毒の呪いでしょうな、よくもまあこんなおぞましいものを」
「見回り!! 何を見ているド阿呆ぅッ!! さっさと人を集めろッ、城に連絡を出せ!!」
状況を呑み込めずに怯える見回り組の人員にとばり殿は容赦ない怒声で叱責を飛ばし、それでも簡潔に分かりやすく指示が出されていく。これは他国の攻め手かもしれんと。
部署違いで越権行為とも取られかねない行為だが、事の重大さと迅速性が求められる状況でそれはおそらく正しい。
国への攻撃、これ以上無い非常事態だ。
<実績解除 奸計ヲ暴きゅ 3000ポイント>