別視点。とばり 烏(カラス)対、鎌鼬(かまいたち)
中周りは雑多なわりに治安は良い。それでも不心得者はどこにでもいるもので。白ノ国の大妖、白玉御前様のお膝元でさえ盗みを働く愚か者がまれに現れる。本当に、本当に愚か。
【紐分銅】
鉄の内側に、鉛より重い秘伝の重金属を仕込んだ分銅。太さは親指大、長さにしてわずか三寸と三分(約10センチ)程でありながら、二斤(約1.2キロ)の目方を閉じ込めた『たたら場の一つ目』渾身の分銅である。
あえて鎖に通さず切られ易い紐を使っているのは、紐の静音性と柔軟さを他ならぬとばりが求めたからだ。
過たず命中した分銅が屏風の袖を切ったスリの右手、正確には右前脚の甲を破壊する。『切り剥がし』と呼ばれるその窃盗技は、金銭の収まった袖を鋭い刃物等で切り開き中身を抜き取るスリとしてはかなり乱暴なもの。失敗すれば人気の無い場所で恫喝に切り替えることもある危険な手合いであることが多い。
「鼬の類か? 切り剥がしのスリが」
ぼんやりしている屏風なら楽と踏んだか、まるで周りが見えていないようだ。痛めた手を押さえ、それでもこちらを睨みつける目にはまだ力がある。屑め、ほんの一瞬、チラリと屏風を見たことに気付かないほど私は温くないぞ。
「やめておけ下郎。貴様が動く前に三度はこれで打ってやるぞ」
死なん程度に済ませるつもりだが、屏風に何かしたらもう駄目だ、殺していや違う、そこまですることではない。死ぬに近いほど打つだけだ。おまえはおまえでさっさと離れろ屏風。
「おめえらが悪りぃんだ」
蹲った鼬の呪詛の声をとばりは聞き逃さない。腰をじわりと落とし、足腰を使って分銅を下から前へ、一直線に発射する体勢を作り上げる。足腰を使えば獣の手足程度の破壊に分銅を振り回す必要などない。さらにとばりが内丹を練って放てばその速度と威力は鉄砲にも匹敵する。
その前方に備える体勢が、とばりにわずかな遅れを作った。
昼の太陽に煌めいた得物を烏は後先を考えず全力で伏せることでなんとか躱す。無様と言われれば返す言葉がない有様だが、そうしなければ首と胸を貫かれていた。横から後ろから頭の上を通り過ぎていった鋼の正体は鎌、それが二本。草を掴んで刈るような悠長な物ではない、肉に突き刺すことを考えた細く鋭い先端を持っている。殺傷を求めた鎌だ。
「おめぇら白のせいだ!!」「おめぇら白のせいだ!!」「おめぇら白のせいだ!!」
口を開いているのは前の鼬、しかし声は横と後ろからも聞こえた。後方は確認できないが、とばりの左側に前の鼬そっくりの一匹が無事な手を鎌に変えて毛を逆立てているのが見えた。おそらく後ろにも同じ鼬がいるだろう。一匹で三身となる術でも使えるらしい。
再びの斬撃、後方からを呼び水に横と前からも飛び掛かってくる。どれかを向けばひとつは視界から切れる実にいやらしい攻め方。これをとばりは分銅を振り回すことで牽制する。紐と言えど鋼糸を混ぜたこの紐は、一度や二度の斬撃では切れはしないと判断しての事。前足を変じた鎌と分銅なら間合いもこちらが数段広い。
「白がいるがらッ!!」「白がいるがらッ!!」「白がいるがらッ!!」
三度の突進。横から来た一匹目の顎を躊躇なく吹き飛ばす。だが、ここで初めてとばりの顔が歪む。
いかに紐の間合いが広くても打撃できる場所は先端の分銅のみ。そして棍と違い、打撃で加速を失った分銅は守りにも攻撃にも使えない。舌打ちと共に紐を弛ませ、後ろから来た二匹目の首にかけてそのまま足を使って踏みつけることで紐を全力で引き搾る。
一瞬で喉を潰され口に残ったわずかな息を涎と共に吐き出した鼬が倒れるより早く、正面から来た最後の三匹目が鎌を振り被った。
しくじった。これに対する動きをとばりは取れない。一匹目を分銅で倒したまではよかった、二匹目で紐を使って対処したのがまさに悪手。
素直に紐分銅を手放して短刀でも使えばよかったのだ。足の力で紐を引き搾って首を潰したはいいが踏ん張っただけ次の動きが遅れた。得物を変える時間はなく、今日は役目無しと手甲も足甲もしていない、内丹で強めた腕であっても鼬の鎌を受ければ只では済まないだろう。
一太刀受ける覚悟を決め、その後に手刀で喉を突かんと足に力を込めたとばりは、ゴッという大きく鈍い音を聞いた。もっと言うならば見てもいた。ただ頭が追い付かず、それがどんな光景かを理解できなかったのだ。
崩れ落ちる三匹目の鼬の後ろに、風呂敷に包んだ釜を全力で振り切った屏風覗きの姿があった。
屏風の一撃が獣に当たったのはほぼ運と言っていい。強いて当たった理由を探すなら、鼬が屏風を弱者と侮った事、鼬が興奮状態で前後不覚であった事、とばりが二人を倒し鼬の注目を集めていた事が功を奏した。でなければどんな鈍い獣でも人間の一振りに当たるわけがない。しかし、
「やるではないか、屏風」
助けられたのは事実。こいつも死線を潜って成長したのだろう、まさか戦いに助力してくれるとは。思わぬ援軍の登場に顔が綻びそうになる。いや、これは抑えず綻んでも構うまい。
屏風がいる、私が一人で戦うことはなかったのだ。
「どうした屏風?」
こちらの無事を喜んでいた屏風は、ふと我に返ったように手に持った風呂敷に視線を落としてなんとも情けない顔をした。
なるほど、金物屋の名が入った風情の無い風呂敷にべったりと血がついている。釜まで赤く濡れているのは明白だ。城下での最初の高い買い物が使う前に台無しになってしまったな。まあなんだ、そんな日もあろう。
「蕎麦でも食うか、奢ってやる」
さすがに血まみれの袋と風呂敷を抱えて入店するのは気が引ける。今日の昼は屋台の蕎麦でよかろう。うるさいことを言わん蕎麦屋台を知っているから任せておけ。蕎麦自体はいまひとつだが鰹出汁の良い店だ。何より一杯の量が多い。
と、話していたら遅すぎる見回り組の阿呆共がやっと来て詰所での聴取に時間を取られた。散々言ってようやく詰所で出てきた飯は塩の薄い握り飯と古い漬物だけ。屏風、蕎麦の香りもうどんのコシも次までお預けだ。
まあなんだ、そんな日もあろう。