※別視点。階位参拾参位『血糊傘』轆轤(ろくろ)
※今回、かなり残酷な描写があります。ろくろは人間を嫌っているとだけ分かっていただければ、読み飛ばしてかまいません。
※今回、かなり残酷な描写があります。ろくろは人間を嫌っているとだけ分かっていただければ、読み飛ばしてかまいません。
「まったく、御前を煩わせおって」
嫌味を言うだけ言って薄情な数打ち刀はさっさと出て行った。
小さな小さな子猫だった頃から見てきた御前に、よもや膝を突き合わせてお叱りを受けることになろうとは。心から申し訳ないし己が情けない。しかし、今はどうしても恥をかいた気分がしてならず苛立ちばかりが頭をかき乱す。それもこれもあの人間が悪い。
屏風覗きという名で幽世を欺く人の子を、ちょっと笑ってやろうと思ったのは確かに意地が悪かったとは思う。予め伝えおくべき報告の役目を伝えず、大勢の前で呼ばれ勝手が分からずに慌てる様を見物するつもりだった。
そうして一通り笑ったら助け舟を出してやるつもりだった、途中までは。
語りは決して上手なものではなかった。時に突っかえ、時に淀んで場が白ける。当然の事だ、何の準備もさせなかったのだから。その焦りと羞恥が身を焼く姿、その滑稽さを楽しむつもりが人間は初めから終わりまで至極落ち着いていた。
開き直りかと思ったがそうではない。同行した者たちの活躍を褒めるに撤することに抵抗を持たない、己の手柄に頓着しない、恥も功名心を持たない。アレは、鈍感を装う偽善者だ。横にいる子守の烏のほうがよほど誇りと怒気に溢れている。
人はそうじゃないだろう、人はもっと欲深いだろう、人はちょいと嗤ってやれば殺しあうだろう。なんだこれは。
最後の五千などどうでもいい。そうではないだろう、人はもっともっとおぞましく、どんな生き物より薄汚いはずだ。日銭のために同族を殺し、手柄を奪い合い、見せしめのためだけに残酷な行いを何度でも続ける。それが人だ。そうでなければならない。手柄を叫べ、こちらを貶めろ、上に諂い媚を売って見せろ。
偽善者め。これではまるで、こちらが嗤われたようではないか。
※残酷です(当方基準)。微タグ詐欺になるかもしれませんので、この下を読むならご注意ください。
ろくろは人がきらい? 轆轤は人が嫌いや。
ぐるぐると自問自答する。人の世で寛文の歴が使われた頃から、轆轤はずっと人が嫌いだ。己の生まれは定かではないが、この身は初め京傘ではなかったと記憶している。
今の姿になる前の轆轤はまだ名も無く、とある大きな油問屋が貸し出す武骨な番傘でおよそ飾りなどない竹と紙で出来た普通の雨傘でしかなかった。雨傘としての役割を与えられた己は紙に菜種から取れる高価で上質の油が塗られ、組み込まれた四十四本の骨で雨を受ければいい。それだけが求められたし、それが当たり前の役割であった。
その日、傘は店に帰れなかった。
火付け盗賊。盗みに入る店の家人を皆殺し、最後は証拠を消すために火を放つ。最悪の盗賊集団が寝静まった店に押し入った。
その店に取引を詐称して下見に来た賊に貸し出された番傘、それが轆轤であったことはどのような運命であったのか。何もかもが業火の中で焼き尽くされる中、用済みと打ち捨てられたたった一本の雨傘が、身動き一つできない体で上げた慟哭は人にも獣にも、誰にも聞こえはしない。
翌年、轆轤は町奉行所に立て掛けられていた。
捨てられた傘が腐る前に拾うものがいたのは偶然ではない。賊のしくじり、持ち出した番傘の情報を辿り盗賊一味の数人が捕らえられた。
そういう『絵』を描く者がいた。
拷問蔵で行われる取り調べは筆舌に尽くしがたい地獄である。手足の自由を奪ってひたすらに殴るなどまだ温いほうで、およそ助からぬような拷問も『役人の望む言葉』を出さぬ限り平然と行われた。指を折り、足を折り、釘を刺し、水に漬け、火で炙り、皮を剥ぐ。
証拠品として、何かにつけて持ち出された轆轤は日を置かずその地獄を目の当たりにすることになる。
何よりも恐ろしいのは『初めから無実と分かっていようと罪人に仕立て上げる』所業が、人の欲と面子で公然と行われたことだ。傘が見た賊の誰でもない無実の者たちの悲鳴は、誰にでも聞こえるはずなのに、誰にも届かない。
ほどなく用済みとなった傘は証拠品を保管する蔵とは名ばかりの塵溜めに放り込まれた。真っ暗の蔵で黴の臭いが身に染み込んでいく中、このまま朽ちていくことにもはや何も思うこともなかった。ただ、冤罪の片棒を担がされたことだけが心残りだった。
己を拾った岡っ引きが、誰も近寄らぬ蔵の中である役人とやり取りしているのを見るまでは。
連座、縁坐の刑。身内から罪人が出た者は同様に罪に問われる。その土地では何かにつけ闕所を行い家財が没収されるのが通例で、取り上げた財産は『国』の物となった。馬鹿正直に伝えたなら。
少なくない銭が所在不明であることを指摘する者はここにはいない。
小金を持っていると噂された庶民に冤罪を被せて責め殺し、その家族も連座で裁き財産を没収する。最初から仕組まれていた悪党たちの小遣い稼ぎのための三文芝居、あるいはそれだけなら轆轤は何も感じなかったかもしれない。蔵の中で岡っ引きが役人に漏らした卑下た一言。役人が独り言ちた嗤い声が響くまでは。
問屋を襲った賊さえも、この連中と繋がっていた。
恨めしい、恨めしい、恨めしい、悪党の去った塵溜めで、一本の傘が生まれて初めて蠢いた。
鉄が欲しい、人を打ち殺す鉄が。
鉄が欲しい、人を突き殺す鉄が。
鉄が欲しい、人を切り殺す鉄が。
鉄が欲しい、鉄が欲しい、鉄が欲しい。あいつらが欲した金で殺してやりたい。
錆びた鍬、朽ちた鎌、折れた包丁、曲がった鏃、潰れた針、砕けた鑿、欠けた鋸。塵溜めに捨てられた金物が残らず竹の持ち手を入っていく。その硬さと鋭さは轆轤を大きく傷つけたが、そんなことに構う頭は残っていなかった。
その日から毎夜、喉から股を貫かれた死体、全身を打ち据え骨を砕かれた死体、体の端から切り刻まれた死体がそれぞれひとつ町奉行所のいずこかにか捨てられるようになった。もちろん国の面子を預かる組織として大問題である。特に最初の犠牲者に町の役人と岡っ引きが含まれたことは口外も許されない恥であった。
死者は続く。知る者にはどのような共通点があるかは一目瞭然であったろう。だが役人殺しはどのような理由であろうとお上、為政者は許さないし犠牲者連中の罪も認めるわけにはいかない。その数が三十を数えたとき、一向に捕まらぬ罪人に業を煮やした者たちは『当面の罪人』を用意した。いわんや国の面子を潰されぬため、むしろ捕縛を命じられた当事者たちが成果無しと叱責され、責任を取らされぬためである。
訳も分からず捕縛された牢人は有無を言わさず磔となり、一連の殺人事件の下手人として晒された。
翌日、冤罪を主導した高位の役人たちが奉行所の内壁にて磔で発見されると、全ては一転、『無かった事』として『国』の記載から抹消されることになる。
見ざる言わざる聞かざる、『お上』の権威でも覆せぬ不都合を『国』は徹底して無視した。一連の殺人が無差別でないと知っているからである。後は切り捨てる数の分だけ、己の派閥に都合の良い後釜を用意すればいいと割り切った者たちが『お上』に巣喰っていたというだけ。
上質の油を塗った紙の軒を失い、職人の手で組まれた骨組みを失い、伸び立つ竹を使った握りを失い、憎しみの熱で溶かし固めた鉄の棒だけが残った。
噴き出すような怨念を纏う鉄芯の噂は呪いを扱う者たちの間で囁かれ、人から人へと渡っては多くの呪いに使われることになる。
理不尽への復讐は成就し、不正の行使は破滅を呼ぶ呪具と呼ばれ持て囃された時期もあったらしい。その頃には轆轤の心は擦り切れており何も思うことはなかったが。
だからどのような経緯を経たのかは解らない。己の身が再びある奉行所に置かれていると気が付いたとき、轆轤は神仏をこそ呪うべきではないかと懊悩することになる。
信仰に対極するものが呪いであると、はたしてどこの生臭坊主か物狂いが思い付きおったのか。
その奉行所は長崎にあり、ある信仰を巡ったおぞましい取り調べが行われていた。己が知る過去の苛烈な取り調べのいずれも及ばぬほどの、人の考えつく限りの仕打ちが繰り返されていく。
焼けた鉄で挟む、煮えた鉛を垂らす、水銀を耳に流し込む、差し込んだ竹から傷口に煮えた汚物を入れる、すべて死ぬ。必ず死ぬ。取り調べでさえない拷問死が続けられていく。湯で煮た赤子をその親に食わせた奉行は、はたして正気だったのだろうか。
剥がれた人の皮を幾重にも刺し、立て籠もる者たちに見えるようこれ見よがしに晒す棒切れとして使われた轆轤は、破滅する人間の愚かな最後と生き延びる人間の卑しい笑みを見続けた。
彼らの神とやらは終ぞ見かけなかった。もしかしたら化け物には見えないのかもしれない、無論こちらから願い下げだ。死んでからしか救わぬ役立たずなど、なぜ拝みたいか。
全てが片付いた血塗れの土地で、地獄の象徴を担った棒がいつの間にか一振り失せた。その身には何人分もの人の生皮が刺さっていたことを誰もが知っている。だが誰もが行方を知りたくなかった。
ろくろは人がきらい? 轆轤は人が嫌いや。
血で錆びた鉄棒が白い子猫と問答する。それはもう少しだけ先の話。