Q.殿中でなければノーカンになったのか?
誤字脱字報告、いつもありがとうございます。6月だというのにとんでもない暑さで、今から7月以降が怖いです。皆様も体にお気をつけくださいませ
「アレ超えたら中周り、こっからが庶民の町やで」
外周の終わりと中周りの始めの境界は大きな二本の柱が目印のようだ。高くても二階建て程度の家屋ばかりの中で10メートルほどの朱色の柱が門番のように立ち並ぶ光景は存在感バツグンだ。
表面は達筆の『漢字?』まみれで神社の注連縄とかで見るギザギサの白い紙が飾られている。境界手前では入るための作法と思われるリアクションをしている町妖怪たちが、なんとも落ち着かない感じで足早に入っては振り返って様子を伺う姿が見えた。
町妖怪たちの関心は中周りの入り口前に陣取る一団にあると見て間違いない。
黒漆で塗り上げた落ち着きあるというか威圧感のある籠がひとつ、左の柱に揃えるように置かれている。その傍には片膝を突き、目を伏せて畏まっているイノシシ頭の屈強そうな人型の担ぎ手たち。
そして彼らを背に緑の頭巾を被った犬(茶柴)が、所謂チンチンの直立姿勢で一匹、かなり前からこちらに気付き注視しているようだった。なお雄である。
「手長様、足長様、轆轤様、お帰りなさいませ」
頭巾を被っているのは猫ばかりかと思ったら犬系もいるようだ。暑いのか口を開いたままで長い舌がデロリと零れている。ただそれにしては息遣いを感じない。犬は呼吸が排熱の多くを担っているので暑い盛りはハッハッハッとうるさいくらい呼吸するものなのだが。妖怪だから平気なのかね。
それにしても柴、いいね柴犬。日本犬は何か見ていて安心する。しかしちょっと声がオッサンなのが頂けない。白金のイケボキャット氏ほどとは言わないが、今少しボイトレでもして声に張りを出してほしいものだ。ホントに普通の酒焼けしたオッサン声なんだもの。かわいい顔してオッサンなんだもの。
勝手に理不尽な無念を感じていた次の瞬間、『オッサン柴』が真横にカッ飛んで土埃を撒いて転がった。
「コロがすぞ三下ぁッ! 屏風覗きに挨拶せんかぁッ!!」
手に持っていたろくろちゃんが傘のまま薙ぎ払うように『オッサン柴』をブっ叩いていた。殴打の感触が手にモロにきたよ、人生でここまで腰の入ったスイングは初めてだ。というか体を勝手に操られている感じなんですけど。あれだけ衝撃があったのに手が離れないし回した腰が痛い。骨より腰回りの筋肉がミ゛リ゛リッて言ったわ。それと背中の足長様が落ちなくてよかった。
「臭っっさいんじゃ、ボケがッ!!」
えぇ、この傘恐い。せっかく就職した組織なのに完全にタチ悪い体育会系というかヤ〇ザレベルでは? 目を伏せて待機していたイノシシ達も小動物のようにすくみ上っている。周りの町妖怪にいたっては驚くほど速い判断でバババッと距離を取っていた。状況に関係ないがガチケモは驚いたり咄嗟の行動は四足で動くようだ。関係ないが。
「なってないねぃ。記帳門の狗は挨拶もできないのかぃ?」
ひっひっひっ、なんて手長様から今まで聞いたことのないしわくちゃの婆さんみたいな気持ち悪い笑い声が上がって、まだ遠巻きに見ていた町妖怪たちが残らず一目散に逃げていくのが見えた。群衆に何匹かいたウサギケモなど文字通りの脱兎の勢いだった。はたして頭の上でどんな顔をしているのか。見たいような、見たくないような。まだ生臭い臭いはしていないから形は崩れていないはず。たぶん。
目下、手長様に問われている形だが『オッサン柴』から返答は無い。かなり『急所』所に当たってしまったのか『オッサン柴』は地面に舌をデロンと垂らしたままでピクリとも動かなかった。
これって、これって事案なのではないでしょうか。殺人事件になってしまったのでは? 過失か故意かで言えばギリ過失なんだろうけど、弁護し難い感じの一発だったよろくろちゃん。いわゆるシゴキとか、かわいがりとかは犯罪というのが現代の法解釈なんですがね、幽世はまだまだそのあたりが遠い先の話なんだろうけどさ。
「なんとご無体な」
倒れた『オッサン柴』に注意を向けていたら、いつの間にか目の前に先ほどの『オッサン柴』の声そっくりの緑頭巾を被ったもう一匹の柴犬(赤毛)がいた。鼻や口、耳からも変な汁が垂れてきた『オッサン柴A』は倒れたままだし体毛も違うので、おそらくこちらは別個体だろう。
ところでまだ救護してはダメなのだろうか。見た感じ手遅れっぽいけど。
「狗、待つ場所にでも悩んだかぃ? 随分歩かされたよ」
個人的には乗り物酔いしない徒歩で助かったのだけど、こういうのは面子の話なのだろうから新米は黙っておく。あと自分では歩かない手長様の言葉はたぶん皮肉だろう。本来なら送迎タクシーならぬ送迎籠が帰還場所の『狐の社』前あたりに待機している手筈だったのかもしれない。
そう言えば接待で上で待つか下で待つかで悶着した挙句に刃傷沙汰になって、討ち入り+大量切腹という現代人の感覚だと訳が分からない結末を書いた実話を元にした物語があったな。年末になると思い出したように特集が組まれるヤツ。とかく忠義の話と持て囃されているけど屏風覗き的にはアレ意味不明。正直討ち取られた人がかわいそうまで感じる。
感情論抜きで真面目に検証した話だと、討ち入られた人はむしろ真っ当な人物で領地の人々からはとても慕われていたんだとか。それだけに当時の濁った権力者たちからは賄賂などを嫌悪する清潔さが非常に疎まれていたらしい。
そこに来た殿中でのトラブルに、これ幸いと権力者たちが暗に討ち入りに手を貸して殺させたんじゃないか、と最後に締めくくっていた。
もちろん他の視点も反論もあるだろうが『誰が得をしたか』という意味で一番しっくりくる説だった。物事とは損得を絡めてしまえば、だいたいそれが真実に一番近いというのが人の歴史だと個人的には思っている。
なんというか、世の中を牛耳る本当の黒幕ってヤツは物語に名前が出ない人物なんじゃないかな。名より実を取ってるって感じで。人に知られなきゃ暗殺に怯えなくていいし責任取らされることもない。こういうヤツは属した組織が破滅してもするりと逃げて、確保した私財を抱いて他人顔で笑っているに違いない。
「屏風覗き『殿』のご勘気、恐ろしや。気に入らぬなら即座にお手打ちとは」
ん? なんか誤解がある?