猫の城下町
出てこれた場所は城下町手前にあるという立派な社から。如何にもな門を潜るとか節目も無く、唐突に外って感じで気が付けば真っ暗闇が夕方を告げるオレンジになっていた。明暗で目が痛いということさえないあたり、『狐の社』の『狐の通り道』とは暗闇とも違う異空間なのかもしれない。
「東の社やな。城まで半刻は歩かんといかんで、ちゃっちゃと行こか」
帰ってきたという実感が湧いたのだろう、いつのまにか手に収まったろくろちゃんは嬉しそうに遠方に見える白猫城を傘の頭で指し示している。
足長様に肩車されている手長様曰く、城を中心に東西南北に建立されている社はいずれも城から同程度の距離にあるので、今回は全体的に町のお行儀が良く道が広い東側から戻ろうとの事。
ちなみに国公認とはいえ賭場のある南側が一番町妖怪の柄が悪いらしい。ウェーイ勢というか、てやんでぃとか言っちゃう系だろうか。苦手なタイプだ。いや、だいぶニュアンスが違うかな。
「東でも南でも、手長足長見て寄ってくる馬鹿はおらん」
知ってるけどね、キャイキャイ走り回っている足長様とそれに揺られて好々爺みたいな顔で笑っているであろう手長様からは想像もつかない。これが擬態というなら過剰な気がする。擬態とは騙さなければいけない生き物の性能だろうに。
城下はおおよそ外周・中周り・奥周りの三層に分かれていて外周は主に経済活動の地。外向けの商売店として飲食店や宿泊施設、小物屋に宝飾屋に服飾店、ストレートに土産物屋なんかもあるようだ。ただ水路も陸路も広い北側だけは資材などの大きな物資の貯蔵された区画が大半を占めているそうな。
中回りは町人の生活圏。他国のお客向けのちょっとお高い店が並ぶ外周と違って庶民向けの気安い店舗が多くなる。ツケが効くのも中回りからだそう。
玉石混合、身分が高い者と低い者が互いにあまり気にせず入り混じる場所でもあるので、妖怪付き合いの間合いに気を付けないと面倒なことになるで、と観光案内嬢ろくろちゃんは楽しそうに笑っている。
奥周り、城に近いこの場所は気安い世界から一転して物々しい雰囲気になる。身分が高い者の住居や、単に金を持っているというだけでは利用できないVIP御用達の高級店なんかもこの辺に店を構えている。
外周にも中周りにも当然警備はいるが、ここには個人で雇われたいわゆる用心棒的な妖怪も日夜目を光らせているらしい。
いずれにせよ不思議過ぎる。以前に峠で見た城下町とは目測の規模も外見もまったく異なるのだ。城とか田舎の田んぼ周りにポツンと生えたタケノコみたいだったのに、家屋犇めき妖怪の溢れる大都会じゃないか。もちろん現代みたいな高層ビルの立ち並ぶ代物ではなく、材木と漆喰と瓦屋根ばかりの時代劇村みたいな光景だけど。
遠目に見える白猫城も峠で見たより立派に感じる。その威容は気高く赤い夕日を受けてなお白く輝いて、白さで有名な姫路城よりも遥かに白く美しく見えた。
「正体掴めんよう呪いが掛かっとるんや。見てるだけならええけど、入るときは手順間違うと恐いことになんで」
手順は区画の境前で一礼する、それだけ。意地悪そうな声を出す割にあっさり教えてくれた。なんだ簡単だと思ったらこれは外周だけの話で、中周り・奥周り・入城とまた別にあるそうな。セキュリティなわけだし重要区画に向かうほど複雑になるのは当然か。忘れた人や間違った場合はどうなるのたろう。
「身元洗われた後に国の者なら説教部屋行きやで。強面に怒られながら作法覚えるまで延々やらされるし、辿れる限りの身元知っとる者にいっぺんに身元引受の声かけるから赤っ恥や」
うへぇ、一種の公開処刑じゃねえか。それは絶対に覚えないといけないわ。後で書く物を用意して覚えたほうがいいかもしれない。いや待て、パスワードメモるみたいな話でNG行為かな。
「外周までならそこまで恐がらんでええ。ここまでは余所者も多いでな。日に十や二十はうっかりモンが出る。しゃあないのぅ、次気いつけやで済む」
歩きながら手の中で勝手に動いてはあれは主人がケチ質屋や使わんときとか、あれは藍ノ国に顔のきく番頭がおる両替商やと指し示すろくろちゃんの解説は小さなエピソードも付いていておもしろい。
酒屋に置いてあった信楽焼のたぬきの置物の『お袋さん』に、酔った猫妖怪が爪を立てたら盗み飲みしようと焼き物に化けていた本物のたぬきで絶叫が上がった、とかはちょっと腰が引けたけどな。名も知らぬたぬき氏、改心しろよ。
ろくろちゃんはしばらく休職していたように聞いていたのだけど、かなり町に詳しいようだ。彼女の『寝ていた』期間とはどのくらいなのだろう。とばり殿との雑談では白ノ国はものの数年で勃興したように感じていた。
もしかしたら建国から10年そこらは経過しているのかもしれない。人間はもちろん妖怪の種類ごとの時間感覚の違いもありそうだ。こういう所も異種交流の難しさを感じさせるなぁ。
夕日は深く沈み暗がりが目立ち始めたにもかかわらず妖怪混みはまだまだ尽きない。町中の至る所にある灯篭に灯が入れられ、店に下がる提灯にも次々に赤や白の仄かな光が灯っていく。こういう夕方から夜に入る境目の流れってちょっと特別感があるよね。
灯篭に灯を入れて回っている落ち武者みたいな頭部だけの方や、店先に出て提灯の蛇腹を下げる鉢巻したケモい店員とか、残らず人以外の皆様ばかりなので猶更だ。
特に火を纏った人間の頭だけがふよふよ浮かんで、すっと灯篭をすり抜けると明かりが灯る光景はだいぶホラーだった。あれは妖怪ではなく怨霊の類では?
わりとのんびりした歩みでちょっとソワソワ。私的な事で申し訳ないが日が落ちるまでに戻らないと処刑の屏風覗きは実は気が気ではない。それに気が付いたのかろくろちゃんから厠かと聞かれたので日々の縛りを説明すると、なんやそんな事かいと笑われた。
今回は城下町に入っとれば大丈夫やろと、手の中で回るろくろちゃんにお墨付きを頂いたので一安心。元より今回は変則的だし砦攻めなんて難事をしてるのだから、ここまでさせてうるさくいわれないだろうと手長様からも平気だと言われた。
「妖怪に約束は絶対だけど融通がまるで利かないわけじゃないさ。むしろ義理や人情は人よりあるつもりだよ」
相方から屏風覗きに乗り換えた手長様が頭の上でそのように宣っている。足長様は外周半分ほど行ったあたりでお眠になって背中で爆睡中。隠れ宿から借りた浴衣の背が時折むちゅむちゅ聞こえて濡れた感触がある。寝ぼけて浴衣を口に含んでいるようだ。
気が付いたら背中をゴッソリ喰われていたとか、恐ろしい死因で死にそうでだいぶ恐い。
「浴衣やのうて着流しな。ぜんぜんちゃうで、にいやん」
不勉強ですいません。