別視点。ひなわ、まだ名の無い貉(むじな)の話
「飯時にそんな顔でウロウロされたら周りも気が気じゃねえよ、座って落ち着きなって」
齢百年そこらの若輩にもかかわらず五倍は生きる己と同等以上の力を持つこの烏、とばりの事をひなわは実はとても気に入っている。
普段は石仏かと思うほど顔も態度も変わらない同僚が、まるで子を取られた母猫のように落ち着かない様子で腰を下ろさない。周りから奇異の目で見られているのにも気が付いていないのだから重症だ。
湯治からの帰参途中、予定にない場所で行列が止められ急に例の人間が下界へ赴く事を命じられたのが事の始まり。もはやこの時点で気が散っている烏だったが、そのお役目が砦攻めだと耳にした後はいよいよ酷くなった。
「屏風の旦那なら平気だって、ちょいと初めてを終えてクラクラしてるだけさ。同族殺しなんて珍しくないじゃねえか。次からはむしろ誉ってもんだ。生きてりゃみぃんな何かしら殺してる、いちいち拝む坊主なんざ狸共だけで十分じゃねえのって話さ」
血糊傘の轆轤に手長と足長までくっ付いていくのだ、砦攻めだろうが城攻めだろうが人間の身を案じることはない。思えば入った時期の違いで轆轤のことは知らぬようだが、アレは付喪神とはいえ人の皮で出来た化け傘の類。人間の上手な扱いは心得ているだろう。やはり何も心配はいらない。うっかり喰っちまったなんて話はありそうだが、それならあの時に足長様が喰っているはず。喰っているはずなのだ。
どうやって防いだ? あの人間。
少々キナ臭い気配を感じるものの、その辺りの事情もそのうち探れると思えば付き合うのも悪くないと考える。何が飛び出すか分からないというのは暇を潰すのには持ってこいでもある。
それで危険を呼び込んだとしても、最近の退屈を紛らわせるならひなわにとってはつり合いが取れる選択だと言えた。このあたりの迂闊な性根は何度懲りてもまた繰り返す己の悪癖のひとつである。
人の皮に包んで作った左手、存在しない左の前足が痛むたびに愚かさを後悔しているというのに。
人の数えで五百年あまりを生き伸びた貉の経立に生き甲斐があるとすれば、獣が知らぬ事を知りたいという好奇心が己のなかで一番大きい。
自身を知る者が聞けば偽りと断じるような話だが、妖怪としてさして強くもないひなわがこれまでしぶとく生きてこれたタネも仕掛けもこの一点に尽きる。人ならざる者が背を向ける人の知識を貪欲に求めた成果だった。
とある一匹の貉が長きを生きて経立と成り、時折夜陰に紛れて死にかけの行き倒れを喰っては腹を満たすようになったのは、世の歴で寛文、人の呼ぶ地名で筑後での事。
止せばいいのにもっと喰いでが欲しいと思い上がり、まだまだ生きの良い旅人を襲ったのが大間違い。二本差しでないなら容易かろうと躍りかかった町人は、妖怪に腰を抜かすどころか即座に脇差を抜いて死に物狂いで人喰いの妖怪に抗った。
あまりの必死に貉のほうが驚く間もなく二刀三刀と切り付けられ、這う這うの体で逃げ出すことになる始末。このとき失った前足の一本は、それ以降痛恨の失態として季節の移り変わりのたびに幻痛という形で愚かな貉を苛むことになる。
『やらかした』貉の話は人の世にも化生たちの口にもすぐに上がった。喰っていたはずの人から狩られる立場となり、他の化生たちからは嘲笑されるようになると、間抜けな貉は深手を押して国を出ていかざるを得なくなった。
筑後から南の肥後へ、そこでも身を置けず日向へ抜け大隅を這いずり、薩摩へと流れる頃には人を食うどころか鼠一匹取れぬほどに弱っていた。
そんな死にかけの貉を救ったのは知恵である。道の地蔵、道祖伸、墓や寺、神社には食い物が供えられると知っていたことが細々と命を繋いでくれた。弱そうな旅人を見つけても無理に襲わず食い物だけをかすめ取るうちに、どれが日持ちする食い物かを見分けられるようにもなった。
それが長じて食うに困らずとも携行食を食い漁るようになるのは、ここからかなり後の話。
貉は神仏に供えられた供物を口にすることに何の畏れもなく、供えている人間に感謝もしてはいない。ただ己が生きるのに人の知恵を学ぶのは『具合が良い』と思うようになった。
ある日、貉は人の荷物に紛れて船に揺られていた。
ようやく傷も塞がり三足であることに慣れてきた貉がわざわざ海を渡った理由は、やはり『やらかし』である。同じところで供え物を盗み過ぎて間抜けにも姿を見られてしまった。
人でないモノを退治するのに人間は極めて協調的だ。諍いを起こしている国同士でさえ直前のことを忘れたように手を取り合う。坊主、神主、侍、力士。弱った経立程度の調伏はどの土地であろうと人手に事欠かない。追手を撒く意味で陸続きでは厳しかった。
流れ着いたのは薩摩の芋侍共が己の土地と嘯く島、名は種子島という。
島での出来事に特筆すべきことはない。さすがに二度のやらかしで当面懲りた貉は石橋を叩くことを覚えた。ただ人を観察することだけは止める気にならず、楽に覗ける人間だけを眺める日々が続いた。
そんなゆったりした時の流れを澱ませたのは、遠く海を越えてきたという人の一種。南蛮人。
見た目からして注目してしまうその奇天烈な生き物を貉は人間と理解するのにだいぶかかった。髪も目も肌も違うし何よりにおいがひどいもので、人喰いの化生をして臭いと言わしめる肉食の悪臭がしたせいだろう。
その日も、ある職人と南蛮人のやり取りを貉はひっそりと見ていた。
詳しい事情はあの頃の獣の知恵では分からなかったが、おそらくはひどく残酷なことであろうとは感じた。もちろんそれで何をするということはない。貉にとっては埒外の話。
職人の娘が獣のように縛られ連れていかれるというのに、父親らしい男は特に痛痒を見せず何もしなかった。
翌朝、打ち捨てられた娘の亡骸が浜の波を被っていた。執拗に殴られ腫れあがった顔体でも知り合いが見れば見分けがつくもので、かの父親を呼びに行った者が幾人かいた。だが男はついぞ仕事場から出ず、亡骸を引き取ることもなく、島の役人は訳知り顔で島民を追い散らすだけ。
娘は、無縁仏として埋葬されることになる。
貉は見ていた。弱者の必死の抵抗が実らないとき、それがどんな報復を呼ぶかを。
貉は見ていた。それでもなお抗う最後の命の輝きと、その結末を。
貉は見ていた。矜持を貫いて死んだ者への、酷い仕打ちを。
しばらくのち、ある南蛮人が獣に顔を引っ掻かれるという出来事があった。それ自体はさして珍しいことでもない。爪を立てられた傷口がひどく膿み、高熱を出して顔全体を腫れ上がらせて死んだだけ。
同じく、とある職人もまた獣に顔を掻かれ高熱のなか苦しんで死んだ。獣に付けられた傷から病魔が入って死ぬ、それはよくある取るに足らない話である。この二人を知る島民たちは頭にある出来事を思い浮かべたが、それを認めることは島の役人にとって都合が悪いことであったため口外は禁じられた。
無論それで止まるほど人の口が固いはずもなく。やがて島の役人は国から南蛮人を死なせた咎を受けさせられ、幾人かが腹を切ることになる。そうなるといよいよ話は広まった。
娘の呪いと。
役人の死は国の体面として文字通り詰め腹を切らされただけだが、生前の行いから島民に恨まれていたこともあり半ば願望もあって呪いと紐づけられた。
もっとも本土からやってきた役人からすれば、死んだ職人に与えた仕事さえ出来ていれば後は他の職人に投げてしまっても構わなかったようで、まるで頓着することはなかったようだ。
本土の役人は所在ない人物で、後に残った呪いなどという醜聞はそれをかき消す別の哀愁漂う親子愛の美談にでもして流せばよいと仔細を取り計らった。事実。この使い古された権力者の常とう手段によって後の世には嘘で塗り固めた話が伝わることになる。
今となっては、理不尽に苦しめられた娘の物語を知るのは人ではない一匹の貉だけ。
貉はこれらの人のやり取りに興味はない。
普段は人里に忍び込むため臭いで悟られぬよう綺麗にしていた爪に、あの日だけ獣の糞を執拗に刷り込んだ理由も義侠心と呼ぶには程遠い。弱き者の矜持が踏みつけられたのが、まるで己の事のようで許せなかっただけ。
ほんの一瞬、かの娘は貉であり貉は娘であるかのように感じたのだ、これはただそれだけの話。
弱いなりに死にもの狂いで刀を振り回した男、弱いなりにどれだけ殴られても操を守った女、弱いなりに這いずってでも生き延びた獣。彼らに碌な接点は無くいずれも赤の他人ばかり。敵であっても誰一人味方ではない。
それでも貉の中でひとつの繋がりを持って、名も知らぬ刹那の同士たちは獣の心の傍らに今も静かな影を残している。断固たる矜持と共に。
『どんなに弱い生き物であろうと、どんなに無駄な行いであろうと、生きるために抵抗する姿は何人たりとも嗤う資格はない』
月日が経ち、力を戻した貉は新しい知恵を手に入れた。知恵の名は鉄砲という。
あろうことか獣の分際で火薬を使う経立。火縄銃の『ひなわ』と呼ばれるのは、まだ先の話。
「あー、こーりゃダメだ。抜け首でもねえのに頭がどっか飛んでってら。くわばらくわばら」
この言葉でやっと烏がこちらを向いて対面に座り、眉を寄せたまま飯を頬張りだした。
生涯口に出す気はないが、天狗のクセに術理の下手なことを言い訳せず他者に蔑まれようと丹と理合で力をつけたおまえの克己に敬意さえ感じている。
と打ち明けたら、さてこの烏はどんな顔をするだろう。