感謝回 別視点、ひなわの皮の材料
誤字脱字のご指摘、いつもありがとうございます。その感謝としてこちらをあげさせていただきます。
※やや残酷な描写があります。
――――これはひなわが藤の花の簪を手にした、少し後のお話。
「婆ぁ、上がるぞ!」
くたびれた草履を脱いで雑に足を拭ったひなわは、部屋に上がると無遠慮に冷えた板間を歩いていき、家の奥にある地下へと続く階段を降りていく。
この地下室こそ皮剥ぎの鬼女、万貫の仕事場である。
山では秋も終わりを告げており、冬の空気が流れている。そんな外よりも肌寒く感じるのは事実として寒いからだ。
ひと口に皮剥ぎというが、万貫が扱うのは皮ばかりではない。それ以外の部分もまた売り物にするため加工を行っている。
骨に、肉に、筋に、腱。臓腑や目玉。指の爪一枚から、手や足。そして全身まるごとに至るまで。
そして往々にして生ものというのは暑さが鬼門。そのためこの地下室は夏でも冬のように寒くしてあるのだという。
――――もっとも、肌に感じる冷気が物事の理屈それだけのせいではないのは、地下に広がるおぞましい光景を見れば明らかであろう。
天井から吊られている無数の鎖と、その下に広がるおびただしい血の染みついた床。壁に掛けられているいくつもの解体道具。
今ここに死体は無い。無くとも何が行われる場所なのかは嫌でも想像がつく場所だった。
「早いじゃないか。片付け手伝っとくれ」
隅の暗がりから現れた万貫は、勝手に降りてきたひなわに特に文句を言うでもなく顎をしゃくって、先程まで彼女がいた部屋から『荷物』を持ってくるよう要求した。
民家の地下にしては広く部屋数も多いこの地下室には、いくつかの用途事に分けて使われている部屋があった。
「客に仕事させんな。させるなら代金負けろよな」
汚い舌打ちをしつつも、ひなわは億劫そうに万貫の横を抜けて、勝手知ったる『荷物』とやらがある部屋へと入った。
そこはかつてひなわが自らを閉じ込めた部屋。牢屋である。
――――穴熊が長きを経て化生した妖怪、野鉄砲と呼ばれるひなわは人を喰う妖怪であった。
空腹から初めて人の死肉を喰らい、味を占めたひなわは死にかけの人間を見つけて死ぬのを待って食べることを覚えた。
次に弱った人間を狙い、今度は自らの手で殺して食べた。さらには弱そうな人間を襲って喰い殺したりもした。
これらの所業にひなわは罪悪感など微塵も無い。死んだ者、弱った者が食い殺されるのは獣の理。
それは毛の無い獣、人とて同じと思っていたからだ。
だが――――ひなわは自らの中で大きな存在感を示すようになったひとりの人間、屏風覗きに対して強い食欲を感じてしまった自分を、生まれて初めて強烈に嫌悪した。
嫌悪し、後悔し、恐怖した貉は外に出ることさえ出来なくなり、この牢屋に自らを封じたのだ。
あの人間の肉を口にする自分を想像し、それだけで何度も嘔吐しながら。
外に出る事などもう出来ないと思っていた。
なぜなら吐くほどの嫌悪の中にあっても――――あの人間を食べたいと思っている己も確実にいたのだから。
そんな自分が今こうして外に出ていられるのは、一羽のお節介な烏と鬼女のお陰だと貉は感じている。
あの人間の血のにおいを嗅ぐだけで口から絶え間なく零れたよだれも、今はまったく出ることは無くなっていた。
「逃げられんねえよ。諦めな」
縄で固く縛られ寒さで衰弱していながらも、これから何か碌でもない事があると感じたらしい『若い荷物』が暴れる。
「餓鬼の時分にこんなところへ売っ払らわれたんだ。よっぽどだろ、てめえ」
それを面倒臭げに一瞥したひなわは、『荷物』の口枷から漏れる悲鳴に構わず縄の持ち手を持って牢屋の外へと引き摺っていった。
「ひなわよぉ、皮を被る以外の化け術でも体得したほうがいいんじゃないのかい?」
「アア?」
鬼女によって施術を施されていく己の『外見』を見ていた穴熊は、つい出してしまった疑問の言葉に顔をしかめた。
皮を使った化け術を行うひなわは、皮を着ていないときに発することが出来る声はどうしても獣のそれとなる。
よく聞けば人の言葉ではあるのだが、獣の口から漏れたその音は濁っており、まともに聞けたものではない。
そのことを自身でよく分かっているひなわは、獣の姿で話すことを見っとも無いと感じて嫌っていた。
そもそも皮を脱いで獣の姿を晒すこと自体が嫌いなのだ。
人喰いの常として凶相に変貌した顔や、失っている片方の前足の事も思い出す事にもなるから。
――――しかし、最近は以前ほどの嫌悪感を感じなくなっている。
(こんな姿のあたいを平気で受け入れる、あの人間がおかしいんだ)
精一杯脅かしてやったのにと、ひなわは冷気を堪えるために丸まった体を揺らし、呆れ交じりであの日の事を思い出す。
屏風覗きが襲われた報復として、国が山彦と恙虫を狩り殺してまわったあの日。
ひなわは獣としての己の姿を、初めてあの人間に見せた。
青臭い話だが、ひなわはもしも屏風覗きが自分を少しでも恐れたのなら二度と深く関わらぬようにするつもりだった。
妖怪に襲われ殺されかけたあの人間にとって、人喰い妖怪の自分がどれほど恐ろしいかを柄にもなく慮ったのだ。
だというのに、屏風覗きはまるで恐れることなどなく、むしろ懐いた犬猫でも見るようにひなわを見て笑っていた。
犬ほどではないにせよ、穴熊とて人の放つにおいでその言葉や態度が嘘か誠かくらいは判別がつく。
あの人間はひなわを警戒するどころか、慈しんでさえいた。
ああもう駄目だ。もうこいつから離れられない。食べるかどうかはさておいて、最後の最後まで付きまとってやろう。
ひなわはあの日、そう思ったのだ。
「なンだヨ、婆。アたイに皮無し人化ナンざ百年ヤってもデキネエよ」
そんなことよりさっさと皮を仕上げてくれと急かし、大きな欠伸をしようとしてひなわはピタリとやめた。
自分の皮に使われるため解体された『荷物』が漏らした尿や糞の臭いが、まだ地下室に残っていたからである。
生きたままの解体は薬を使って深く眠らせてから行うことが多いが、薬の効きは個人によってまちまであるため、運の悪い者は途中で起きることがあるらしい。
痛みからではなく、恐怖と絶望によって事切れることになった『荷物』。それもまた運が良いのか悪いのか。
これほど若くして鬼女の取引に使われるほどの業を抱えた『現世からの荷物』になら、ひなわは一片の憐憫も感じはしない。
すべては行いが還ってきただけ。現世では大人顔負けの悪童であったに違いない。
事切れた瞳で虚空を眺めるその死体も、いずれほとんどの部品は細かく腑分けされ鬼女の商品となるだろう。素が何であったかなど分からないくらいに。
「注文通り筒は延ばしたし、この皮なら逢瀬もできるさ。けど腹の筒を伸ばしてまぐわっても、皮の体は子を孕めないよ」
まぐ、と言ったきり絶句したひなわに構わず、鬼女は縫合の仕上げをしながら続けた。
「腹に子袋詰め込んでよしんば孕めても、それは使った『皮のほう』の赤子だ。あんたの子じゃないよ。皮は使わず獣のまま人に化ける術を習うほうがいい」
「ツイいに呆けタかクソババア!」
思わず威嚇の体勢を取って唸る三本足の穴熊に構わず、万貫は物知らずの小娘相手と言わんばかりに鼻を鳴らし、もう決まった事であるように続けた。
「言ってあの旦那は人間だろ? 下が使い物になるうちに早いとこ人に化けられるようになって、しっかり種をまいてもらってきな」
「フ、ふ、――――フザけンナァッ! アいツハそンなンジャネぇッ!」
頭に血が昇った貉が飛び掛かるも、どだい階位ひと桁の鬼女に敵う訳も無く、ひなわは施術の片手間にあしらわれることになった。
そしてその後。茶飲み話というにはいささか色の強い話を老婆から聞かされたひなわは、しばらく屏風覗きの傍に近寄れなくなり悶々とする事になるのだった。




