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友人と思えた日

 日本の昔の旅籠、宿泊施設では上がり込む前に用意された水で足の汚れを落とすのがマナーだった。土足厳禁の文化で草履や下駄、果ては裸足で歩き回っていたわけだから当然だろう。この辺の習慣を隠語とした、足を洗うなんて言い方は偉い人の金言よりよほど庶民に馴染み深い言葉ではなかろうか。


 最初のたらいでろくろちゃんを洗った後の水の汚れが気になって、たらいを持ってきてくれた『下人(マングース?)』さんにお願いして洗い場に連れてきて貰った。


 下人さんは別のたらいを持ってきやすと恐縮していたがこちらの都合だ。水のきれいな国に生まれ育った者として、茶色の水は手洗いに向かないのです。まあ本当は別の思惑だし、従業員の方からすれば客が作業場をチョロチョロすんなって話なんだけど。


 予め教わった場所に排水を流して改めて水を張り、排水場の傍で手足を洗う。隠れ宿で使ったような温水を湧き水として利用した洗い場は上下水がしっかり分かれている。なのでこうして湧き水から離して洗うのは水質保全にとても大事な事なのだ。こういう地味な気遣いがきれいな水を守っていく一番の方法なんだろう。


「どこに行ったかと思ったら、何をしている」


 Fish。三杯目を汲みに湧き水の傍に行ったところで目当ての魚が釣れた。


 ちょっと声に陰があったのが気になって、立花様の元に行く前に二人で話せないかなと思い小細工してみました。守衛の仕事を預かるとばり殿だが、どうやら延々と門の前に仁王立ちしているわけではないと初日に分かっている。この施設の規模と要人の重要度で警備がひとりな訳がない。屏風覗きが見ていないだけで別の人員が相当数守っているだろう。


 別にしたい事を隠すこともない。様子がおかしかったような気がしたので気になった旨を伝えると、とばり殿はばつが悪そうな気配を出して周りをウロウロし出した。


 主人の口の重さを急かす様に一本足の下駄が水場の床を突いてカッ、カッ、と軽い音を立てる。屏風覗きとしては待つだけだ。言うも言わぬもこの子の胸の(おり)が晴れるほうであればいい。ただ負担を隠したがる子なので少しの呼び水くらいは引いてあげたい。


 今日も出迎えてくれてありがとう。


 下駄の音が止まった。お役目だから、と断ち切られても構やしない。これは偽らざる気持ちだ。仕事上でも表面だけの態度は素人にだって透けて見える。


 この子は守衛の役目だけで心配してくれているわけじゃない。とばりという個人で気にしてくれているのが分かるから嬉しいのだ。誰一人知り合いのいない土地でそれがどれだけ心強いか、どれだけ救われるか。迷惑をかけている自覚はある、でもこの感謝だけは受け取ってほしい。


 迷惑なら、関わらないで済むようお願いしてみるから。


 脳天ッ、痛っ!? 痛った!!


「誰が迷惑と言ったッ!! 阿呆ッ!!」


 しゃがんでいるところにチョッピングライトは酷くない!? ちっちゃくてもとばり殿は下駄のかさ増しがあるからちっちゃくてもこっちが座っていれば脳天を殴れるのだ、ちっちゃくてもなッ。


「三度もちっちゃい言うな!! 唐変木がッ」


 お互いに周りなんて気にせずギャイギャイ言い合って最初は屏風覗きがビシャリ、即お返しにとばり殿がバシャリと何度も湧き水を掛け合う。


 ああ疲れた、昼の飲み物が少なかったし喉が渇く。こちらが手で汲んだ水を飲み乾すと、それを待ってとばり殿もゴクゴクと水を飲んで口を拭う。双方思うことは山とあるがともかく言いたい事は言ってやった、そんな感じだ。


「おまえは一から十まで物を知らん。幽世で独り立ち出来るまで付き合ってやるから覚悟しておけ」


 そういうとこやぞお人好し、わざわざ苦労を背負ってる感がどうなのと言っている。もっと自分のために生きりゃいいのに。貸しとか借りとかちゃんとしないと、小ズルいヤツに調子よく使われるだけだろう。自分の幸せのための貪欲は決して悪いことじゃない。


 生きとし生けるものは悟れない、お釈迦様は言っちゃ悪いが生き物のバグみたいなもんだ。あれは生に反する理念だ。自分から食われに行くとか狂気の沙汰だろ。自己犠牲なんてきれいな物じゃない。誰も至れないから特別なのだ。


「したいことをしているだけだッ、訳のわからん事をゴチャゴチャ言うな新米め」


 再び水を掛け合う。もうお互いびちゃびちゃで、だが妙にスッキリした気分だ。


「お二人さーん、みなさん水場が荒らされて困ってますぜ。乳繰り合うならその辺の茂み痛い痛い痛いッ」


 鼻フッカーならぬ鼻キャッチャーとばり殿が軒先に顔を出したひのわ嬢の鼻を、一瞬で間合いを詰めてギリギリと釣り上げていた。その様子からは陰は取れたように思う。


 言いたい事を吐き出してそれでも一緒にいれたら友人、なんて綺麗事を言う気はない。どれだけ仲が良かろうと誰も彼も許せるわけじゃない、胸に籠る気持ちはどうしたって生まれるものだ。それでも友人が『上手』に付き合ってくれる、気遣ってくれる事こそ尊いのだ。


 仏頂面でお人好しでちっちゃいとばり殿。この『上手』をお互いにやっていくのが人生薄っぺらい新米屏風の、こうだったらいいなという友人感です。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんでナチュラルにイチャイチャしてるんですかね……!?(ビキビキ)
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