地平線を目線2メートルから観測した場合、視線が通るのはだいたい5キロメートル(参考惑星、地球)
それは先ほど空に昇ったときのこと、ろくろちゃんの目測で5から6里、つまり約20から24キロ先に砦と思われる建造物が道の先に見えたらしい。地表からはまだ見えないが、見間違いでないなら歩いていけばいずれ地平線の向こうに生えてくるだろう。
同じく空中にいた屏風は下の観測に手一杯で遥か遠方の景色などまったく記憶に無いです。
「もっかい飛んでもええで。さあ褒めて褒めて」
こっちが持たねえわ、左腕プルップルだわ。全面的に信用するので地面におおよその図解をお願いします。筆は折れた矢をお使いください。
そういやこのあたり一帯に樹木は一切ないのに木製の矢、槍も持ち手は木製か。こいつらがどこから来たのか知らないが、別の場所に木材は間違いなくあるようだ。クッソ遠方のようだけど。
「えーとなー、こーなっとってなー、ほんでなー」
細部もカバーする確かな記憶力のわりにミミズの断末魔が聞こえてきそうなクセのある線画のろくろ画伯。しかし口頭で補足してもらえばだいたいの推測も修正も効く。
イメージから見えてくる全容は道を完全に塞ぐ形の関所。外敵を阻む砦そのものでありアリ一匹通さない断固たる意志を感じる。いやいや、堅牢過ぎないですかね。砦どころか明らかに要塞レベルだぞ。道から対比した壁とかどれだけ高いんだ。
実物を見るまでろくろちゃんの主観に頼るしかないとはいえ、さすがにホントかよと思ってしまう。これでは会敵した人数がむしろ少ないまである。ちぐはぐ過ぎるぞ。
普通に考えれば強力な防衛拠点があるということはそれに見合う脅威がある、もしくはあったということだ。普通に考えれば。
ただ人間という生き物は金と暇を持て余すと正常な人でさえ碌でもない事を思いつく。普通では説明できない不合理なことも平気でやるし、そういう考えを思いつくヤツに限って周りが止められない力を持っていたりするから始末が悪い。
戦争も嫌だがトチ狂った権力者の見栄や意味不明なスピリチュアルな理由で必要もないのにデカいの建築しました、とかだったらそれはそれで嫌だなあ。間違いなく会話できても話が通じない系だろう。
ひとまず直近の方針は決まった。画伯に断りを入れて泥に描かれた要塞画を足で徹底的に消す。キューブや死体など消せない痕跡はどうしようもないが、こちらが要塞について知り関心を持ったことまで残しておくべきではない。
まずは引き返そうか、今まで検証していなかった『来た道を戻る・戻って改めて進む』でポイントが入るか調べよう。みみっちく100メートルでも進めるなら進みたいと思って検証を保留していたが、ここからは行けば行くほど危険が増すと思ったほうがいい。調べるタイミングは今だろう。
結論、ポイント増えねえ。微動だにしないゼロが強すぎる。歩数カウントでなく未踏破を埋めるとカウントされるシステムっぽい。安全な場所をウロウロして稼ぐ作戦は無理のようだ。となると今後踏破でポイントを稼ぐためには、
1.スタート地点まで戻って反対側を進む。
2.街道以外を歩く。
3.要塞を抜く。
このどれかを実行する必要がある。
1は今までの成果を無駄にするようで精神的にかなりしんどい。また反対側は未踏破だからといってポイントが入るという保証は無い。
2は微妙だ。泥土を避けて街道以外も歩いているが、あくまで街道沿いだけ。完全に離脱したらどうなるか。はっきり言ってものすごく嫌な予感を感じる。1より選びたくないくらいだ。
3は正面からやったらこれはもう戦争になる、自殺行為もいいところだ。ただし悟られずに通過できれば一番収まりがいい。ただその後のエンカウントに備えて衣装だけでも偽装したい所。完全に和装は浮いている。
まず直感で2は捨てる、選ぶなら1か3だ。実際は何もなくても命にifは無い。別の選択の未来なんてそれこそチートでもなければ判らない。選び取ったひとつだけが結末だ。
あとの二択は立花様の意見を仰ごう。まるで接点の無い国同士とはいえ、戦規模の話になったら下っ端が独自判断で戦端を開くなど問題しかない。
そうと決まれば踏破再開だ。まず2キロ進んで木戸だけでも呼び出せる体勢に、そこからだるまさんが転んだの気分で1キロまた1キロと、何らかのリアクションがあるまで進んでいこう。どのみち夕暮れまでの時間的リミットもあるのだし、突っ張れるだけ突っ張る。
ろくろちゃんには先ほどのような、いっそ芸術的なほどの不意打ち対策を引き続きお願いしたい。ヨイショッ。
「まかしとき。降らせるモンなら星でも受け止めたるで」
え、なにそれスゴイ。
踏ん反り返るろくろちゃん曰く、矢の雨とか明日は槍でも降るとか、傘の仕事に該当する言葉に紐づいた話があるおかげで自分の強度以上の物を受け止められるのだと言う。
言葉ひとつで物理現象を無視した影響力を得たり、逆にまるで関係ないはずの事柄が弱点になったりするのが妖怪という存在なのだそうな。槍の話はあり得ないことの例えで、むしろその理屈だと受け止められないのでは? いやまあ実際に防いでくれたからその辺の判定はふわっとしているのかもしれない。
それとろくろちゃん踏ん反り返り過ぎ。ブリッジみたいになってちょっと褌の端が見えてますよはしたない。というか着物が短か過ぎる、帰ってから長いの着るか袴とか履きましょうね。
「嫌や」
嫌じゃないが。横っ腹と脇全開のひなわ嬢でも下は履いてるんだよ、太股が出てる改造袴だけど。露出の時代感がおかしいのはあの子だけだと思ってたのに。田んぼ仕事してる百姓のおっさんじゃないんだから履きなさいよ。
衣装を変えるなんてそもそも無理、傘を張り替えるようなもの。そんな感じのことを言われてしまった。丈の長い着物を着たら傘の軒も長なるし、袴を履いたら傘が二重になるかもしれへんでと畳み込まれては何も言えねえ。
衣装や容姿をコロコロ変えられる付喪神は変化が相当に『うまい』か、元になっている品物自体が、最初から部品を容易に取り換えられる特性を持っているらしい。
「立花のねえやんとかそうやで。刀やからな」
ああ、日本の刀は接着剤とか使ってないから本身以外は全部分解できるんだっけ。というか立花様って刀の付喪神なのか、どうりでおっかないはずだ。もしかして部屋で見た着物とかはあの方の部品が変化した物、とかだったりするのだろうか。付喪神の謎は尽きない。
妖怪と話しながら歩くのは無心で歩くのとはまた違う感じで時間が経つのが早い。しりとりなんてするのはいつ以来だろう。なお連敗中。
ろくろちゃん側に合わせると外来の単語が使えない、『りんご→ゴリラ』といった定番の返しができないのだ。加えてこちらの知らない古い言葉で返されることもあるので戸惑ってしまうのもある。
別に悔しくはないですよ、ええ。ちょっと傘が重く感じるだけです。このさいゴリラとかバナナとか説明してみようか。
「雨の来やすい時期みたいやな。本業が楽しみやわ」
いざ歩き出すとき軽やかな身のこなしで肩車させられたかと思ったら、やはり意識する間もなく華奢な足が傘の持ち手になっていた。煙のようなエフェクトもドロンという効果音も無いので、下手糞な動画の切り貼りみたいな唐突感がある。どうもこの子は基本的に傘の形態でいたいタイプの付喪神らしい。
閉じられた和傘は洋傘ではまるで及ばない無数の骨組みに沿って自然と畳まれ、開かずともひとつの美術品として完成している気がするな。
「付喪神はだいたいそうちゃう? 人のために生まれたんやから」
物が人の姿になるのは必要に駆られた結果でしかない。そんなことをあっけらかんと言われては人間側としては何も言えない。買っては捨てる消費ばかりの現代人として、この会話はなおさら突っ込む資格が無いわ。
物の恨み節という、決定的な言葉を聞きたくないとも言う。これが人間、今は妖怪のフリをしている妖怪よりタチが悪い屏風の正体だ。この子は屏風の正体を聞いているのだろうか、恐くてちょっと確認できない。