落下時間が約4秒の高さは80メートル、自由落下の速度はおよそ142キロ、なお石の重量は4キロの殺人球
死ぬかと思った。草と泥でベチャベチャの地面がこれだけ恋しいとか、人間はどれだけ大地を愛しているのだろう。でも生粋のDV野郎である人間とは早く別れたほうがいいぞ大地。そいつは何も還してくれない最低野郎だ。
あれから結局、握力の限界で二階ほどの高さから落ちた。風にまかせて右に左に流されて、時には浮き上がって滑空する傘は滞空時間が想像を超えて長かったのだ。その場でまっすぐ降下するとか怪我しない程度に速く降りるとか、気の利いた調節はまるで効かないらしい。
今か今かと地面を待ち望む感覚はスキー場のリフトが近いだろうか。座るなんて甘えとツルツルの棒に手だけで掴まっていく滑る前から命がけの超ハードコースだったわ。下がアスファルトあたりだったら怪我をしていたかもしれない。
ガキの頃はこの程度の高さなら跳んでもすぐ走り出せたのに、今は足が踏ん張らず無様に尻もちをついてしまっている。完全に運動不足だなあ。
どうにか心臓と心が落ち着いて、起き上がればあたり一帯死屍累々。まるで見えなかった連中の『色々な部品』が赤いキューブの下や横に転がっている。とにかく最速で出したので色や透明性は弄っておらず中を伺い知ることはできない。
キューブは遮音性も抜群らしく中からの音も聞こえないのだ、『空間に固定』されて振動しないためだろうか。仮に叩いたら衝撃が100パーセント返ってくるかもしれない。いやそれでも厳密にはエネルギーの何割かが音や熱に変わるのか? 物理に詳しい人ならキューブの特性で頭を捻りそうだ。
何とはなしにキューブのあたりを見ていたら、突如ガラゴロと硬い何かが回る音がしたのでそちらを振り返る。
正月番組で見る定番の大道芸、傘の上で物を転がすアレを人の姿で披露している『京和傘?』がいた。手にした傘は当人とはまた別なのかあるいは同じ存在なのか、付喪神に興味が尽きない。あと傘に傷という心配は無意味かな、矢とか受けて平気なんだから。
転がしているのはその辺から拾った石ころ。人の頭とかじゃなくてよかったよ、見た限り落ちてる『部品』に胴体より上は無いから首自体無い。
とりあえず芸を披露されたら拍手するのが礼儀。こちらが拍手すると嬉しかったのか『京和傘?』もより大きな石ころを追加してガラガラ回していく。
いつもより多くならぬ大きな物を回しておりまーす、という感じだ。そして最後に腰を落としてタメを作り、勢いよく石を天高く放り上げる。大人の握り拳くらいある石がポーンと野球の天井ファールのように空へ消えた。
「はいッ」
はいじゃないが。普通使った物は手元に戻すのでは? もう動くものは『京和傘?』と屏風だけとはいえ危ないでしょう。まあ明らかに近くには落ちない軌道だし、助けられたからこのまま賞賛するけどさ。
4秒から5秒くらい後にボタ、ボタ。最後にゴッという、思ったより大きい打撃音がした。ラストの石だけ別の大きな石にでも当たったんだろう。
「あたぁーりー」
狙って当てたのか、いやそれよりも大事な事がある。まずは守ってくれたお礼と、そこから自己紹介に繋げる。手も足も尻も泥でひどいものだけど、畏まって挨拶くらいはすべきだろう。
この子は傘の付喪神で名はろくろ、階位は33位だという。41位のとばり殿やひなわ嬢より上か、つまり桁番が違うくらい強いのかと考えていたら顔に出ていたようで謙遜された。
「うち受けるしかできんし、そこそこ古いからいつのまにか位が上がっとっただけや。自慢できんのは弐拾くらいからやで」
40番台は真面目にお勤めすれば目立った功績が無くとも年数でじわじわ上がり、30番台くらいまでは強さ以外でも技術や知識、財力といった何か秀でる要素があれば上がるとの事。
この辺の話はとばり殿との会話では聞かれなかった内容だ。新米程度ではまだ教えるまでもないとの判断だろう。はて、屏風覗きにもいずれ階位は付くのだろうか。
まあ階位の話はともかく自己紹介も済んだし、ちょっとした疑問と大きな問題を片付けることにしよう。まずちょっとした疑問、なぜ直前まで正体を隠していたのか。
「初対面やし、人となり見てからにしよかと思ってな。それにうち付喪神やから」
前者はともかく、ある程度使ってもらわないと正体を見せ難い、という付喪神あるあるという謎ルールを出されては人間的には判断できない。戻ったら誰かに聞いてみようか、知らずに失礼な事をしてしまうのは予防したい。
こういう歩み寄りが他民族との交流の潤滑油になってくれるのだからバカにできないのだ。第一この子は御前の遣わせたボディガード、ゴマのひとつも擦っておいて損はないだろう。相変わらず考え方がゲスい。
呼称はちゃん付けが良いらしいので、以後はろくろちゃんと呼ぶことにする。ろくろというと陶芸で使う轆轤を思い浮かべるのだけど、和傘にも『ろくろ』という部位があるそうな。どのあたりか聞いたら恥ずかしいからよう見せん、と逃げられた。いえ傘の状態の話なんです、本当です。
それとこちらはどう呼ばれてもいいけど、先ほどからの呼び方の『にいやん』は兄とか年上の男性を呼ぶ呼称じゃないですかね。年齢、いえなんでもないです。眼球にびっしりカビが生えたようなおぞましい目つきで見ないで。年齢は今後一切口にしません。ええ、兄呼び最高。Fooーッ。
気を取り直して、お次は気が重い案件『現場検証』をするとしよう。
昨日と同じくまずは数を数える。片腕片足の相手が混じらない限り手足の片方があれば数は分かる。総数は増えに増えたり36人、前回が16人なので倍以上だ。そしていずれも差異こそあるが同じ技術系譜の装備、つまり昨日と合わせて計52人。
その辺のゴロツキの寄せ集めではない統一規格を持てる一端の組織であることはもう間違いないだろう。体のどこかに黄色い布巻いてればいいや的な集団ではない。
何の資料か忘れたが、軍隊は4人で1小隊に換算して小隊が3つで1中隊、中隊3つで1大隊という数え方をする兵隊運用を見たことがある。こいつらに該当するかは分からないけど少なくとも部隊規模で動く組織ではありそうだ。勝手な想像だが前回のは中隊にもう1つ小隊をつけて増強中隊とでもしていたのかもしれない。知らんけど。
そしてもっと気が進まないことをしなければならない。死体漁りだ。
別に金品やら装備品が欲しいわけではない。こいつらの持ち物から何か情報が手繰れないかと思ってのことだ。特に姿を消した力が持ち物によって成された『誰でも出来る現象、使える道具』なら今後も使ってくる可能性が高い。あやふやな状態は危険だ。せめて確信を持っておきたい。
そう意気込んでみても知識が無いのに分かるわけがないんだけどね。バッテリー切れの現代のスマホを大昔の賢人が拾ってもその機能なんて想像できないだろう。
横のボタンくらいは訝しむかもしれないが、電池切れのスマホはせいぜい見た目の綺麗な板でしかない。分解したらもっと訳が分からないんじゃないかな、中の基盤とか完全に意味不明だろう。触っても基盤回路がチクチクするだけだ。
なら賢人でもない屏風ではもっと判断不能だ。転がってる武器は武器にしか見えないし、切断されて血まみれ中身付き防具は防具にしか見えない。覚悟はしたけどキッツい、体内の色って赤とピンクと白だけじゃないんだな。
腰に括りつけられた麻製っぽい袋からは硬貨と思しき造形のひどい金属片。何かの紋章や人の顔っぽいデザインが施されているものの、歪んでいたり反っていたり、羽つきギョーザみたいに余分な部分がついている物もある。漫画の金貨みたいな真円はひとつもない。造幣技術はあるがまだまだ水準は低いといったところか。
他は液体の入った革製らしい袋、食料らしい乾物、笛、縄、デカくてボロい布(天幕?)、手枷、手足についた装飾品が少し。
縄と手枷って、これだけ攻撃しておいてまだ捕まえる気なのか。死体にして持ち帰る気だったのかもしれないけど、それなら手枷はいらないよな。部隊で常に持ち歩いている備品か? 宝石とかお札とか如何にもそれっぽい品は無かった。もしかしたらキューブの中の『残り』にあるかもしれない。
「にいやん、これ消さんでええのん? えらい目立つで」
すまない消せないのだ、ろくろちゃん。出すのと同じくらいポイントを使う。そして今回は残4ポイントと前回以上にスッテンテンになってしまった。
出したキューブは意識さえすればなんとなくどれがどれか分かるのだけど、この調子で消さずに出し続けたら把握できなくなるかもしれない。全部ポイント貧乏が悪い。実績解除という来るか判らない大当たりを待ち望む博打の悪いパターンに嵌まっている気がする。
これ以上は無意味か。いくつか品物を持ち帰って別の誰かに意見を聞こうか考えたがやめておく、一見無害に見えても変な物を幽世に入れるのは危険かもしれない。持ち帰るにしても立花様あたりに相談してからがスジだ。このスマホっぽいものにカメラ機能があれば撮影くらいはできたのに。その方が立花様も判断し易いだろうになあ。
既に飽きたのかひとりでケンケンパしているろくろちゃん。この血生臭い惨状でもまるで動揺が無い当たり、こんなかわいい見た目でも妖怪なんだなと思う。
それはともかくすっかり待たせてしまったようだ。この子を幽世に帰すためにも歩かなければならない。まだ昼前だし踏破時間は十分ある。
「このままあっち行くん? 危ないかもしれんで、なんや砦っぽいもんありよるし」
その話詳しくお願いします。