別視点。立花の思惑
GWは投稿できないので前倒しします。
「お怒りは至極ごもっともッ。しかし、しかし、この阿保めも阿保なりに反省し弁済の意志も示しておりますッ。どうかその事をご寛恕あって何卒ッ、寛大なるごッ」
畳に頭を擦り付ける早合点の烏の脳天に拳骨を落として黙らせる。聞くに堪えないとはこの事だ。やはりコレは情でおかしくなる手合いのようだ。よもや己の見立てが間違っていないことが頭痛の種になる日が来ようとは。
「襖? なんだそれは。まあ良くはないが別の物に替えておけばいい。張り替えは後日でよかろう」
さして強く殴ったわけでもないのに悶絶する若輩に代わり屏風覗き、今回の肝である人間が謝罪を始めてこの早とちりの合点がいった。鳥頭め、そのように迂闊だから地力を得ても位が上がらんのだ。
「此度の件、我の不手際であった。許せ」
普段は可能な限り近づいてこない貉から珍しく上がった恐れながら、という言葉にとびきりの嫌な予感はしていた。来ない輩が来るのだ、間違いなく碌なことではない。
本当に耳を疑ったわ。目の前のこの人間が御前お括りのあの式に喰われかけたとは。片割れだけだったようだが、知らぬ者がアレに出会って生きて返ってきたなど主以外でついぞ聞かない話だった。
呆れて物が言えん。人間が一人で妖怪巣食う屋敷を歩き回るとはな。予め面通しをしておくべきだったわ。付喪神が人の貪欲な好奇心を忘れていたのは迂闊と言う他ない。
まあよい、ここからが本題よ。主より申し付けられた通り話を持って行かねばならない。
予め御前より屏風の考えと、こちらがどこまで条件を飲むかは聞かされている。主に手間を取らせた不明は後で猛省せねばならないが、今は成果を出さねば先に続かない。目の前の事に集中するとしよう。
白ノ国が用意した表向きの立ち位置はお伽衆。
流浪の民として流れてきた屏風が祭り賭けで白玉御前の目に止まり、退屈を紛らわせる話し相手として召し抱えられた。という筋書きだ。
どこの馬の骨か分からぬ者を国の大事に起用するなど、ちと経緯が不鮮明に見えるので祭り賭けの推挙には前々から才覚に目をつけていた我が推した、ということにする。
なに、このあたりはもう決着したも同然。他国が口を挟んでくることは無いだろう。自国の者も我が認めたとあれば表向き何も言えやせん。それにこちらはさしたる心配はしていない。
そもそもお伽衆とは目上に目通りが叶う地位だが役職などの明確な権力は持たないのだ。これは国としても余所者に地位を荒らされる心配が少なく、権力に関わりたくないらしい屏風側としても都合が良い。利権に口を出さないなら強欲な連中もすぐ黙り、むしろ利用することを考えるだろう。
不毛の荒地から一転して栄えたこの国は、なまじ半端な力のある中核が過去の飢餓を忘れじわじわと心が太り出している。庶民たち真っ当な日々の暮らしを営む者たちに支えられている事を忘れ、ぼちぼち欲をかき出した連中を釣り上げる撒き餌として働いてもらおう。
国の扶持を食むとはそういうことよ、楽なお役目など無いわ。責任が要らぬなどまるで白ノ国の地位を軽んじられているようで業腹だしな。
それでもこれなら机に噛り付いている必要も無し。話の種を得るために異国へ赴き、ふらふらあちこち出歩いてもそれがお役目。見咎められることもない。目の届かない場所で不心得者が近寄って来たらそれこそしめたもの。
こやつを間諜として仕込めれば上々だが、当面は世間話に見せて気付かぬまま報告させるとしよう。屏風自身は判断出来ずともよい。上がった報告で我が考えればよい。
そして裏の意味は紐付けだ。
己の自由に動けるが本当の意味で手綱は持たせない、いざというときは絞め殺せるくらいの丈夫な紐だ。このあたりの思惑は屏風も分かっているだろうに、その態度はほんの数日前より腰が据わっている。場に慣れたか、心境の変化でもありよったか。
とりあえず取り込みの初手として世話に付けた烏とはうまくやっているようだ。むしろとばりのほうが入れ込み過ぎていて面倒を起こす気配がする。実際この様だ。公的に罰を与える気は無いが、一度別の者をつけてみたほうがもよいかも知れん。
「では先だって欲しいものはあるか? ああ、支度金とは別だ」
屏風の方も概ね対応を決めてきたようで話は流れるように進んでいく。これなら手付というわけではないが、物のついでに欲しい物でもないかと聞いてやることにした。
こやつは隠れ者や烏共の話を聞く限り幽世の金銭は持っていない。客人待遇に増長して先に屏風からねだって来たらその身を買い叩いてやるつもりで放っておいた。御前も無礼者をそこまで庇わんだろうとな。当てが外れたわ。まあ食う事も寝る事も不自由させておらぬから必要を感じなかっただけであろう。
目の前の人間が口を開く。空気の機微から断ることは考えていない。さて、何かを欲しがるか。
しばしの間、こやつの言葉をかみ砕けず困惑した。なんだソレは。助命嘆願?
何をどう勘違いしたのか隣の烏を、とばりを許してほしいという。先ほどの早とちりを手向かったと考えて厳しい仕置きがあると屏風は思ったらしい。拳骨はくれてやったが頭が割れるほどでもないだろうに、随分と我が恐ろしく映ったようだ。いや、これはちょうど良いか?
この人間の性根を知る良い機会かもしれん。今後どこまで使うかを決めるのに必要だ。下衆なら擦り切れるまで動けばよいし、愚かなら安く長く使える。できれば言われたとおりにワンと鳴く程度の知恵があるのが一番良い。どのみち人間だ、大事に使っても百年持たん。
懐に忍ばせた札を掲げて見せてやる。あの顔ならコレが何か知っていよう。御前の秘術によって無から作られ、『ぽいんと』という力に相応しき我らの主、白玉御前様の元へとかき集めるため国中にばら撒いた代物よ。
「では屏風覗き。おまえはとばりの助命に幾ら払う?」
袖に手を入れる許可を求めてきたので顎で促す。こういうところは妙に律儀よな。
取り出したのは前に見た金物にびいどろの付いた板。屏風の持ち物は残らず破けるか砕けていたが、あれだけは傷ひとつ無く残っていた。びいどろは総じて脆いはずだというのに、もしあの死人の頑丈なびいどろと同じ物だとするとこやつ何者なのかと、あの夜は驚いたものだ。
予め御前よりかの者以外では使えぬだろうと言われた通り、あの板は誰が持っても、それこそ御前でさえも光ることなく使えなかった。そしてやはり、おまえは扱えるのだな人間。
さあ幾らだ屏風、おまえはそれが千で一財産と知っているな? おまえはそれが命綱と知っているな? その身をどれだけ削ってくれる? 残した方か? 落とした方か? 削り落したどちらがおまえの価値だ? 答えてみろ人の子。
無言のまま板が輝いた。御前がお持ちの神器と同じ、日とも火とも違う目を刺すような光。
香の焚かれた部屋に木片の焦げた臭いが漂う。札を使うのは二度目であったので何が起きたかはわかっている。掲げた札には燻る『了』の文字。
チリンチリンチリン、耳元に届く御前の鈴がここまで長く高く鳴ることは稀な事。はたして如何程の額が行き来したのか、生憎この札からはそれは読み取れぬ。知っておるのはこの場で二人だけ。
「屏風よ。幾らだ?」
好奇心からこの場で主人に聞くのは憚られる。ならば立場の弱い者に聞くのが道理。別に意地の悪い話ではない、今後は聞いた事に隠し事など許さぬし見抜いてみせる。それがちと早まっただけよ。
だと言うのに、言いません、とはどういうつもりだ。生意気にも殺気を向けても怯まない。いや、心の奥では怯えているのが見て取れる。だがその中に怒りも見える。虚勢を張っているだけではないのか? 俄かに膨らんだ苛立ちは、続く屏風の言葉で徐々に鎮火してしまった。
値段をつけず決めさせたのは他ならぬ立花様、ならこれは『せり』のようなもの。むしろせりで教える道理はありません、と。
「はっ」
誰が笑いよったか、ああ我か。
少々遅れたが、精一杯の虚勢を張るのは誰のためか分からぬほど耄碌してはいない。庇う方にも庇われるほうにも面子がある。額を聞かせるなど大きければ恩着せがましく、少ないなら悲しかろう。
どうやらそこそこうまくやっているようではないか。この変わり種共。片や妖怪のフリせねばならぬ人間、片や術の下手糞な烏。はたして何が引き合ったのだろうな。
奇妙な満足感を感じつつ本日はお開きとした。久々にひとりで酒を飲み昔話にまどろみたい。
片や出来の悪い武具、片や四男の味噌っかす。それはいつか見た、決して忘れることの無い夢のような物語。