貴方はホラー派? パニック派? スプラッタ派? 私はお金を出してまで恐い思いをしたがる人が理解できない派
INはよいがOUTは恐い、そんな有名な歌詞を思い出しながら誰もいない廊下を歩いてかれこれ30分あまり。元居た部屋に全然辿り着かない。
つい先ほどまで大勢が詰めていたであろう気配の残る無人の厨房にドンブリを返して、さあ戻ろうと振り返ったら十字路に立っていたせいだ。今どこにいるのかさえまるで分からない。再び厨房側を見てもそこは余熱の残る窯も無ければ、生け簀の魚や吊られた野菜の青臭い香りもしてこないただの廊下になっていた。いやホント、何処よココ。
現在位置こそ分からないが一旦分かる範囲で情報を詰めていこう。まず宿泊していた部屋は降りた階段の数から3階だと考えている。このきつねやという宿、横にも長いが縦にも長く3階より遥かに上の階まであるとんでもない規模を誇っていて迷路でもないのに迷いそうだとは思ってはいた。
それでも別に方向音痴でもないので行き戻り程度なら問題ないと考え、最初にとばり殿が足の治療に連れてきてくれたときチラッと見えた厨房までどうにか首尾よく行けたのだ。
もうね、宿の中まで術で迷わせるとか人間思考の範疇外です。
木造でこれだけの大きさと高さとか、絶対何か物理的な法則を歪めているに違いないとは思っていたけどさ。お昼過ぎの快晴といえそこは古き良き日本建築。天井や廊下の隅は影が染みついているように微妙に暗く少し恐い。明るいうちからコレでは夜中はどうなるのだろう。
十字路の先は部屋も無くいずれも同じようなT字路で迷わせる気満々。というかこの十字路自体が迷わせる目的のためだけに造られているのだろう。じゃなきゃ意味ないもの、こんな嫌な合流地点。
ここでの選択肢はふたつ、行くか留まるか。違いを判別できないのでどの廊下を行くかは関係ない。せめて匂いなり外の景色が見えるなり判断材料があれば良かったのに。
大人として情けない極みになるが、後者なら高いところに登って降りられなくなった猫のように助けを求めることも出来たのだけど。いっそ飛び降りてもいい。縁に掴まってぶら下がり、地面との高さを削ればさして大怪我もしないだろう。
人間は自分の身長と同じ高さまでは飛び降りても怪我をしないらしいし、場所を選べばなんとか。無理か、骨折しそう。
ふと、生臭い臭いがした気がした。日の下に置いた魚というか、物騒な例えをするなら腐臭というヤツだ。年季を感じる見た目に反して真新しい木の香りの残る廊下で嗅いでいい臭気ではない。
<自動防御すますか? YEす/nおー 12H拝借1000ポイント>
タップと水音は僅差だった。微妙な固形物を含む大量の液体を床にまき散らした音、下品な例えをするなら吐しゃ物の嘔吐音が間近で聞こえて辺りが粘膜色に染まる。ビタビタと赤い水袋があちこちに転がっては裂けていく。
臓物。どう見ても臓物。狩猟した獲物の腹から掻き出した、生きとし生けるものが持っているおぞましくも必要な命の器官。ビニールチューブ紐のような腸、剥き出しで力強い脈動を繰り返す心臓、裏返り泡のように拡がる肺胞。それら残らず体液でテラテラと輝いている。
おぞましい物体に絶叫しなかったのは、単に驚き過ぎて思考が停止したからでしかない。
「う?」
どこからか幼い子供の声が聞こえた気がした。思わず右左を見回しても目を背けたくなる生臭いパーツだけで子供などいない。硬直した体の周りは壁も廊下も血まみれで、ギリギリ己が入る半径だけがきれいな廊下のままだ。これが自動防御の半径なのか。ある意味、驚きで感情が仮死状態になったおかげでなんとか落ち着いていられる。
そんな哀れな獲物に気を悪くしたわけでもないだろうに。ひとりでにウゾウゾとにじり寄ってくる臓物たちが、いよいよ本格的に粘り気のある音を立てて近づいてきた。
「あう?」
また聞こえた。幼児が物を考えていた拍子に思わず出たような声。発声の方向を見、ああ見なきゃよかったよもうッ。肝臓と思しき内臓の表面に半開きの唇が見えた。なんだコレ、なんだこの妖怪。というか妖怪で合ってるのか? この臓物。
臓物はこちらに張り付こうとしているようだが自動防御に阻まれ、狐の隠れ宿であった石畳が削げた出来事のように張り付いた端から削られ血を噴き出しては離れるを繰り返している。例の声もたたびたび聞こえるが特に痛痒は感じていないようだ。
そして自動防御に削られるということは、こちらを害そうとしているという事。この事実に気が付いたときようやく麻痺していた全身の毛穴がブワリと泡立った。
逃げなければならない。幸い自動防御は間に合った、この場を離れるだけなら難しいことではない。問題は何処に行けばいいのかだ。だが、それ以上に問題があるとすれば内臓が追ってきた場合だ。安全であるはずの人たちにまで危険にしてしまう可能性がある。得体のしれないナニかに憑り憑かれた迂闊な犠牲者が逃げ惑い、更なる厄災を呼び込むパターンは避けなくてはいけない。
キューブ設置で隔離出来るか? 無理だ、自身を閉じ込めず行うには一度引き剥がす必要がある。いっそ切断を試してもいいがその場合この臓物はどうなる? 切るほど増殖する妖怪ってたしかいたぞ。
妖怪は人間と違って倒すのに決まり事のある逸話を持つ存在がチラホラいる。効かない程度ならまだしも取り返しのつかない悪手になりかねない。だからってどうすればいい? なまじ時間があることでむしろ迷いが振り切れない。
「うは、これはこれは足長様足長様! おいちいおいちい竹輪食いませんかい?」
ちくわ? 聞いたことのない声が廊下の奥から聞こえた。血で濡れていない曲がり角の向こうからちくわを振る手だけが見える。
そこからが早かった。纏わりついていた臓物も血液もビチャビチャ液体音を立てながらちくわ目指してあっと言う間に離れていく。あれだけ濡れていた廊下にも血の染みひとつ無い。
「おいちいですかねぇ?」
「ちい」
臓物がじわじわと形を変えていく。組み立てられていくと言ったほうがいいかもしれない。骨の一切無い臓物だけの人体模型みたいな姿が組み上がり、そこから血の赤に替わって青い体液が滲んで皮膚や頭髪に変わっていく。
後に残ったのはくすんだ青銅色の肌をした童女。見間違いでなければ着ている作務衣のような衣装も青い体液で形作られていたように見えた。
ちくわを渡した手に撫でられている髪だけはキラキラと輝くような金髪。無邪気にちくわを両手で掴んでムシャムシャ食べている姿に先ほどの生臭い内臓の存在など何処にもない。
「さあさあ、竹輪持って手長様のところに行きましょうね。みんなで食べましょうや」
「あい」
促されるままに童女はちくわを持っていた手を片方離し、頭を撫でていた手と自分の手を繋いだ。角から現れたその手の持ち主はやはり見たことのない。とばり殿より少し年上っぽいが痩せっぽちで、後ろで揺れる髪はどう結ったのか四つの輪っかになっていて、なんとも珍しい独特の髪形をしている。
その人物がもう片方の手で手招きしているのは何の冗談だろう。ついてこいとでも?
どの道ここにいてもしかたない。安いプライドを満たすために愚かにも同行することにした。意地悪そうな笑みを見せるその子に、ちょっと馬鹿にされた気がしたというのもある。
これチンピラ役の死亡フラグっぽいなと、頭の裏で考えながら。
<実績解除 DEADSPACEへようこにょ 3000ポイント>