別視点。とばりと同僚 階位四拾壱位 野鉄砲ひなわ
ぼちぼち昼時ということもあって部屋に屏風覗きを送ったのち、自室である数人部屋に戻ってきたとばりは同室の一人と珍しい時間にかち合った。
「うはっ。いやいやいや、めかしこんだねぇ」
礼装姿を見て早々に喜色を向け、クルクルと周囲を回り回って足から頭まで嘗め回す様に眺めてくる同僚。こうなると面倒と知っているとばりは顔をしかめ、さっさと部屋の奥へと押しやる。ひょろい見た目に反して重いので思わず内丹を使いたくなるくらいだ。
長い後ろ髪を幾つかの小さな輪を書くように結い上げた痩身の同僚。名はひなわと言う。本性を見たことがないので本当のところは知らないが、立花様の話では野鉄砲と言う貉の化生が変じた妖怪だと仰っていた。
その名称に鉄砲の名を使われているせいなのか、ひなわは白ノ国でも珍しい人の鉄砲を扱える。全身に染みついた鉄と火薬の匂いはもはや彼女の代名詞と言っていい。とばりはそこまで不快に思わないものの、他の獣の化生たちからは鼻が曲がると愚痴が零れるほどらしい。
「もう脱いじまうのかい? せっかくお休みを頂いたんだ、町にでも繰り出しゃいいのに。噂の」
噂の客人とさぁ、と言い切る前に解いた帯を顔にぶつけて黙らせる。これは喋らせると延々舌が回る。どのくらい回るかと言うと、適度な所で口を直に閉じさせるのが同室連中の決まり事になっているほどだ。
「おいおい、せっかくの一張羅をぞんざいな。あたいの唾でもついたらどうすんのさ。ああっ、それともとっくに唾まみれなのかい? あの客人見た目より手が痛い痛い痛いッ」
「うるさいぞ、ひなわ」
わずかに背丈の勝るひなわの顔を正面から掴んで力を込めてやると、即降参とワタワタ手を振ってきたので離してやる。しょっちゅう行われるやり取りだけにお互い間合いは判っているのだが、今日のとばりは込める力加減が些か強かったようだ。
「顔の皮が削げちまうよもぉッ。人化術のおまえさんと違ってこっちは被り物なんだ、大事にしてくれよ」
「なら余計な勘ぐりをするな、あと私は人化術など使えん。人化呪法だ」
似たようなもんだろぉ、涙目になりながら抗議の声を上げる同僚はしきりに手で顔の皮を整えている。当然それに構わずとばりは普段の装束に着替えていく。
人の姿に変わる方法は思いのほか種類があるが、大きく分けると生臭い方法とそうでない方法のどちらかだ。ひなわの人化は取り分け生臭いものに分類される。
アレの外見は着物と大差ない。人から剥いだ皮を鬼女の秘術で整えて、文字通り化けの皮にしているのだから。いやはや、考えるまでもなく何ともおぞましい話だ。
幸いというか今の皮をいたく気に入っているらしく、幽世に来る数十年前からずっと同じ姿でいるそうだが本当かどうか疑わしい。以前酔った拍子に昔は月が一回りするたびに変えていたんだと、懐かしむようにポロリと零した輩だ。
さらに血生臭い方法として、人を全身残らず貪り食って成り代わるという外法もある。ただ、こちらはよほどの巧者でもない限り姿が人でも目つきや気配がおかしくなるうえ酷く臭うという。そのため人を食う妖怪でも食って化けるのは下の下の方法であり、知性の薄い邪妖でもない限り今はめっきり行われなくなった。
どのみち屏風には近づけないほうが無難だろう、とばりが唯一持っている桜の花を模した髪飾りを大事に化粧箱に収めたとき、小さな泡のように頭の片隅に引っかかっていた疑問がようやく浮かび上がった。
「待て、ひなわ、なんで屏風を知っている。おまえのお勤めの時間とかち合わんはずだぞ」
「おおっと飯っ、飯にしよう。今日の雑炊は色々入ってるはずだから、うまいに違いないって。急がないとさぁッ」
宴用に用意されたが使われず残った物は、験が悪いとして上の者の食事には使われなくなる。最初から日持ちする食材は備蓄庫に戻ることもあるが、大体の残り物は下の者たちの腹に収まるのが常だ。特に高級食材や珍味が使われる祝い事後の賄いはご馳走と言っていいくらい旨くなる。
「誤魔化されんぞ。吐け」
「いやぁすぐ足治ってよかったなぁッ、一日そこらで治る傷じゃなかったんだろ? でも足に包帯ってそこはかとなくいやらしい痛い痛い痛いッ!!」
即座に逃げようとしたところでとばりの手の速さからすれば止まっているも同然。拳を軽く握った形で人差し指と親指の間にひなわの鼻を捉えて引き摘まむ。
いかに鬼女の秘術でなめされた傑作であろうと鼻が丸ごと捥げれば直せまい、そう脅すとひなわの目の奥の光がジワリと妖しい艶を帯びてきた。どうやらこのあたりが同僚の仲良しごっこの限界らしい。
「ひなわ、屏風の件は御前様の預かりだ」
主人の意向があると伝えた途端にひなわの剣呑な気配は霧散した。守のお役目を賜るとばりは同僚と切った張ったしてでも問い質す権利があり、後ろに絶対権力者で恩のある主人がいるとなれば、この不良妖怪であっても黙って白旗を上げるしかないと悟ったようだ。
「いずれ正式に表に出されるようだが、今は根も葉もない軽口とて許されん。で、どこで見た」
まず鼻を放せ喋りにくい、この言葉を受けて指を緩めてやると罠にかかった獣を解き放ったような速度で距離を取られた。その場でグニグニと熱い餅を弄るように鼻を整えている。摘まんだとばりにも感触で分かった、あの皮に軟骨など無いのだろう。
「あー、えー、何だ。祭りの警備に痛いッ、だから痛いってのぉッ!」
「担当が違う。お役目放って怠けよったな?」
骨は無くとも痛みはあるらしい。これでも成果自体は出す輩なので上にどう言うべきか悩ましいが、ひとまず飯を食ってから考えよう。宴の飯は緊張で味など分からなかったのだから。
今頃は屏風も昼飯を食っているだろう。贅沢にもご馳走ばかりで腹が辛いと言っていたので、料理人に今日の昼は茶漬けでも出してやってほしいと頼んできている。他にも潰した魚で作った練り物もたくさんあるので腹は膨れるだろう。食える時は腹一杯食べるべきなのだ。