別視点。立花と主と部下
御前の退室からしばらく待ち、誰もいない一室で立花は深いため息をついた。
よもや叱責されることになるとは。己が下手を打った自覚があるだけに、このお叱りは立花の胸に深く食い込んで自責の念に堪えない。これは自身の考えに囚われて軽々と事を進め過ぎたのが原因だ。人の世、人の社会形態を見てきた付喪神として、下人ひとり召し抱える程度の事で御前の手を煩わせるまでもない。そう考えて場を仕切ったのが傲慢の極みであった。
今の現世は立花のよく知る武家社会や身分制度が絶対のものではなくなっている。そこに至る移り変わりの時代も経験しているはずなのに、知識として知ってはいても実感が伴っていなかった。言い訳が許されるなら、古い付喪神であり太刀という正真正銘の武具であるという、当人にもどうにもならぬ存在の本質が失態の原因とでも言おうか。
国が召し抱える話を流浪の平民が渋るとは思いもしなかった。
信を置く側近を叱責というには静かで、それだけに重い意味を込めて諭す白玉御前の心中は如何ばかりか。自身も部下を持つ身であるから分かる。さぞ情けないだろう。
「あれではかの者の腕を買うのでなくー、己はいらんが武具だけは貰い受けたいと思われたであろー。立花ー、おまえは己を握る主がそう言われたらどう思うー」
間違いなく腸が煮えくり返る。無礼者を只では置かぬだろう。
このお言葉で立花もようやく得心した。これは武家に限った話ではないことだ。
平民とて平民なりに意地がある。かつての主たちとて領地の支配は平穏太平な道行きばかりではなかった。幾人かの失態を目の当たりにし、物言えぬ武具なりに歯がゆく苦い思いをしたこともある。
他者から見たら流せと諭されようと、人は絶対に引けぬ事もあるのだ。
そして人は一度でも心象を悪くすると相手をそうそう信用しなくなる。事ある事に痛む指の逆剥けのように何を言っても心のどこかに引っ掛かりを覚えてしまう生き物だ。当分の間、あの人間は何を言ってもこちらの思惑を勘繰るだろう。
おまえは言葉が足りぬ。以前から言われている事で失態を犯してしまったことも情けない。これでは今朝の烏も、どの口が叱れるというのか。
「屏風の心の病ですが、問題は無いかと」
早朝に報告に来た烏はそれだけ言って黙し、立花の言葉を待っている。あの鉄の丸太、もとい『おうとどくたあ』によって治療された足は完治したようで姿勢に歪みはない。
対外的には家臣としているが、アレは魂魄の無い完全な物だ。時折決まった言葉を喋るが特定の会話以外には返事を返さず、ただ完璧な治療を行うだけ。立花も幾度かアレが治療する様子を見たことがあるものの、気持ち悪くてしかたなかった。同じく物の化生である立花からすると『おうとどくたあ』は命の宿らぬのに動く死人のような印象があって、どうも好きになれない。
「では、根拠を聞かせよ。何をもって問題ないと思った?」
聞き返されると思っていなかったのか、一見すると身じろぎひとつしない烏から焦った気配が漏れる。
こやつはどうも報告や相談を飛ばして、自分ひとりで判断し先行するきらいがある。あの夜もそうだ、こちらへの報告もそこそこに単騎ですっ飛んで行ってしまった。
他の部下がそれなりの手勢を用意した頃には事件は終わったという報告が一言だけ。運んできた客人を御前に拝謁させるため有耶無耶になったが、あの後で拳骨のひとつでもくれてやるべきだったかもしれない。
「あれは初陣の者が患う病です。仲間が気にかけてやればすぐ治まるかと」
申し付け頂ければ私が、そう締めくくった烏に内心渋面を作る。こやつ存外アレが気に入ったらしい。祭り賭けで共に戦ったことですっかり仲間意識を持ったようだ。こちらの命令を待つ態度を示しながら、すでに己の中では面倒を見る気になっている。
御前の拾ったこの木っ端カラス、この不愛想な顔でいてどうにも情が深いらしく下の者の面倒見がいい。天狗らしく上下ははっきり分けるが下の者の話でもよく聞き、無体はしないと隠れ者たちからたびたび聞いていた通りの性格。
危うい。こやつはどうも危うい。肝心な時に情で目が曇る手合いと感じる。上に立つものは多を生かすために少を切り捨てる覚悟を持たねばならない。慈悲をかけるなというわけではなく、これは本質を定めよという話。
武家であれば家の存続や面子は何が何でも守らねばならない。それで家族を別陣営に別けようと、血が残りさえすれば親子で敵対してもかまわないと考える。主人の前であれば肉親を切り捨てることさえ肯定する。それで多くの領民と家臣家来を食わせてやれるなら、武家にとってはそれで正しいのだ。
内心でどれだけ涙を流そうと、家の取り潰しに巻き込み路頭に迷わせるよりはいい。立花の見てきた一族とて決して平坦な道行きではなかったのだから。
だから聞かねばならない。誓わせねばならない。それが酷であるほど口に出した責任は重いと立花は断言する。
「つまり、いざという時はおまえが殺せるのだな? とばり」
殺せます。
うまく平坦な声を出して当人は誤魔化せたと思っているだろう。その努めて平静を装う態度が誰を庇っているのか分からぬほど耄碌はしていない。わずかな言葉の遅れが、空気の震えが、瞳の変化が烏の内面の絶叫を必死に伝えてくる。あるいは今の本人に自覚は無いのかもしれない。
歴代の主と共にしばしば見たあの光景。立花には目に浮かぶようだ。もしその時が来たなら、この考えが浅く情の深い烏は約束を破って地に伏せるだろう。
殺せません、お許しくださいと。
「いや、ちと言い方が雑だったな。アレを裏切らぬよう仕込めるか」
年若い天狗の目が意外なものを見たように見開かれ、即座に承知の返事と共に平伏した。先ほどとの煙った気配とは段違いの気合が籠っていることに内心苦笑する。部下がやる気を出して何よりの事だ。
考えてみれば簡単な事。任せてうまくいけば良し、うまくいかねば我が首を刎ねれば良いだけの話。その首の数がひとつかふたつか、あるいは我の首も加わるかは御前の沙汰を待てばよい。道具は振るわれるまま主の為したいことを助ければよいのだ。
このような主任せの考えが言葉が足らぬと言われる理由なのだろう。道具生まれの付喪神に、使うというのは難しい。