懺悔は謝罪ではなく、自分のための救済だと思う
絞った手拭いで体を拭う。タライに並々と張られたお湯は隠れ宿の湯と同じ匂いがする。そりゃ近いのだから源泉が同じで当たり前か。まだきつねやの湯には入っていないけれど成分は同じだろう。
あれから隠れ宿のほうはどうなったのだろう。さすがにもう一度泊まる気は無いとはいえ、きつねやを利用できなくなったあとの事も考える必要がある。
と、思い至ってさらに頭を巡らせると不安要素があることに思い至った。
不安は幽世に渡るときに出る木戸の事。今はそれっぽく『ポータル』とでも仮称しようか。懸念はこのポータルで行き来するさい目的地が『きつねの隠れ宿』になっていた事だ。
つまり今現在お世話になっている『きつねや』ではないわけで。それならポータルの座標設定はどんな基準なのか。仮に『きつねの隠れ宿』が目印になっていたら店の廃業や休業で座標が消えてしまうかもしれない。そして最悪の場合、合わせて幽世そのものに来訪できなくなる可能性が出てくる。
即座にスマホっぽいものを確認したい衝動に駆られるものの、今は身体を清めている最中だ。さっさとしないと用意してくれたとばり殿に申し訳ない。わざわざお湯を張ったタライをふたつも持って来てくれたのだ。
傷が癒えたばかりの足でお湯込み20キロ近いであろうタライふたつを運んでもらうのは、いくらこの子が平気と言ってもこっちの罪悪感が募る。
幾度か体を拭うと後ろから別の絞った手拭い手を差し出されるので、使っていた物と交換するというやり取りを繰り返す。
近くには手拭いをタライに浸ける音と搾られて落ちる水滴の音、遠くには結構な人数の喧噪と三味線っぽい楽器の、ちょんちょんベンベンという独特の調子が庭や廊下を伝って聞こえてくる。さらに遠くからはかすかに祭り拍子。
「あの騒ぎなら祝勝会だ。主役が居らずとも酒が入ればあんなものよ。おまえはどうも具合が悪そうだと聞いてな、私と替え玉で乗り切ったのだ。席は賓客ばかり、緊張で昼は飯の味がしなかったぞ」
そう言って批難するように肩を押してくるわりに声はどこか気遣いがある。
「功績は皆の前で認められるべきだ。屏風、おまえも祝われるべきだったのだ。国の都合ゆえ仕方ない事とはいえ、待ってやれなくてすまん」
こちらとしてはお世話になっている陣営で勝ちを拾えただけで幸いだ。来賓を呼んでおいて主役がいないのでは無礼だし、むしろ体調を気遣って誤魔化してくれたことを悪く思うことはない。
そもそも人間をあまり表に出すのも問題があるという話だったはず。レースでの立場こそ立花様の力技で認めさせたが、公の場で何度も使っていい手ではないだろう。
「そうでもない。少なくとも今後、白ノ国では何日居ようと『白ノ国の屏風覗き』として振舞えるぞ。おまえはもう食われん」
背中をパシパシ叩いて自分の事のように祝ってくれるけど微妙。どうしても屏風覗き確定なのか。最初の嘘を誤魔化すためにどこまでも嘘で塗り固めるパターンじゃないですか。どうせ鵺とか中二病満載のカッコイイ系は似合わないけどさ。
景気の悪い音をさせているのはこの部屋だけだ。辛気臭い相手の世話に追われて祭りに行けない、それはとても心苦しい話。この一枚を最後にしようと差し出されかけた手拭いを断る。
「背中がまだだろう。やってやる」
返事をする前に引っ込められた手拭いが背中を撫でた。思わず変な声が出たことを笑われる。後ろなので顔は見えないが、陰のない笑い声だった。
「なあ、悩むことでもあるのか」
静かで、それでいて誤魔化しを許さないような確信のある言葉が罪人に放たれた。
ああ、ついに裁かれる時が来た、そんな心境を体が不自然な発汗という形で現してしまう程度には観念している自分がいる。罪の吐露に恐怖しながら、一方で懺悔の機会に喜んでいる。
醜いな、本当に。この子に聞かせて何になるというのか。それでも誘惑に抗えない。
随分長く語った気がする、タライのお湯が冷めるくらいには。途中から感情がよくわからなくなって叫んだかもしれない。頭が冷えた頃にはひたすら羞恥心でいっぱいになっていた。
「殺したからなんだ? 戦うなら殺されるよりよかろう」
ひとしきり語るのを黙って聞いていたとばり殿は、話が長く途切れたときそう言った。この言葉に自分でもなぜか分からないけどひどく感情的なって、メチャクチャな理論で反論したと思う。
「子を人質に取ったのだ、賊で間違いなかろう」
「倒したのは一部隊でしかなく、村は残った賊の一団の報復を恐れて、おまえを恨んだのかもな」
「巡り合わせだ。村も賊もおまえも、運悪く関わっただけだ」
そんなこちらに怒るでも呆れるでなく、とばり殿は後ろから淡々と語りかけてくる。己のしたことに怯え前後不覚になった人間が、どれだけ罪深いか、どれだけ迂闊か、どれだけ間抜けか、どれだけ人でなしか語っても揺れてくれない。
気が付けば、罪人は後ろから抱きしめられていた。
「ひとりの初陣、よく生きて戻った」
声をかみ殺し、泣いてしまった。