殺人鬼も人でなしも、表向きだいたい普通に生活はしている
レースを終えてからそのまま下人なるガチケモ衆の手、ならぬ前足によって戸板に乗せられきつねやの一室に戻ってきた。
犬と狸はいいとして、和製ファンタジーっぽい世界に和服のアルパカとアライグマはどうなのだろう。
それと隠れ宿の狐もそうだったが、動物の骨格的におかしい動作が多々あった。このあたりが妖怪化しているということなんだろう。
きつねやに到着すると戸板は頭巾を被った多数の猫たちに引き継がれ、アルパカの面々はお大事にとか、良い勝負でしたとか、口々に気遣いや賛辞を述べて戻っていった。
完全に獣の顔なのに言葉をしゃべると人みたいな表情を浮かべているように見えて、ちょっと不気味と思ったのは失礼だろうか。
別の戸板に乗せられ同様に運ばれていたとばり殿は、到着後に別室へワッショイワッショイと運ばれていった。
戸板の上で扇子を振って音頭を取る一匹と、下で支える多数の猫の連携はとてもコミカルだ。
ただこちらと違って重傷なので、おふざけ無しで手早く手厚く治療して頂きたい。本日のMVPは間違いなくこの子なのだから。
部屋では数匹の白頭巾の猫が待っていた。爪で器用に血の乾いた足袋を脱がされ、たらいに張った草の匂いのする水で足を洗われる。
靴擦れと無茶な踏ん張りで皮が大きくペロリと剥けているのが見えて、己の足ながらギョッとしてしまう。
かなり痛い。けれど痛がる気分でないせいか、淡々と治療が続けられていく雑音のなかでぼんやりしてしまう。
やっちまった、頭の中に浮かんでくるのはこの一言だ。
キューブを使って坂を作り、相手を上から追い越す。この作戦を思いついたとき、勝負とは無関係の別の何かが脳の片隅に引っかかった気がした。その正体はキューブを設置してすぐに思い知ることになる。
ルール2:『キューブの大きさは最大サイズ3×3メートル。最小サイズ0.01×0.01リ。形は正方形のみ。。出したあとのサイズ変更不可。中は空洞。空気はその場のものを取り込むのみ。窒息注意』
先日の集落で賊をひとり、閉じ込めたままだった。
『空気はその場のものを取り込むのみ。窒息注意』この文言の通りならすでに生きてはいない。最大3メートルそこらの立方体に含まれる酸素なんて知れている。
坂のキューブを解除するとき気が付いた瞬間、血の気が引いた。
これが己で時間も財産も努力も使わず得た力の落とし穴。理解が浅い。どうしようもなく浅い。
段階を踏み、小さな失敗を繰り返して獲得した物とは根本的に心構えが違うのだ。金に例えてもいい。自分で働いて稼いだ金と、苦労なく貰った金への執着はまるで変わる。
人はどれだけの金額を出せはどんなサービスを受けられるのか、その答えに己が金を稼いだときの苦労を鑑みる。例えばこの品物は時給でいくら、何時間働いてやっと買えるなと。
苦労を考えれば財布の紐は自然と固く堅実になる。代償に見合うものでなければ不満を感じて次は気を付けるだろう。自分の頑張りが台無しになることは誰だって嫌なのだから。
だが、脈絡なく手に入れた金ならどうだろう。世の中にはこんな言葉がある。『あぶく銭』。むしろ安易に使ってしまえとさえ言われるほど軽く扱われる金。苦労知らずが手に入れたあぶく銭。そりゃ泡のように軽いだろう。
これがチート野郎。今の己だ。
足の痛みを押してリヤカーを引いたのは頑張ったわけじゃない。発作的に罰を求めた浅ましい言い訳だったと思う。痛い思いをするから許してほしい、そんな身勝手な発想から出た行動。
その身を賭して懸命に駆けた小さな戦士を称賛したのも心からの賛辞でなく、もしかしたらズルをするだけで役立たずの後ろめたさから出た言葉だったかもしれない。
応援が聞こえるたびに罪悪感が募り苦しかった。
頑張ってません。迂闊な人殺しです、ごめんなさい。そんなありきたりな謝罪の言葉がグルグルと頭を回っていた。
ワザとじゃないんです、殺す気まではなかったんです。そんな胡散臭い言い訳がグルグルと頭を回っていた。
こんな事をずっと思っているクセに、本当の本当はさして辛いと思っていない。ゲスの極み。これが掛け値なし、等身大の自分なのだろう。妖怪よりタチが悪い。
ふと顔のあたりの空気が揺れた気がした。気が付くと猫たちもおらず、部屋には明かりが灯されるほど外が暗くなっていた。いつの間にか眠っていたらしい。
「飯は食え、じゃない、お食事は食べられる、ますか?」
間際にいたのはとばり殿だった。手に持ったてぬぐいで顔を拭おうとしてくれたらしい。顔に触れると脂のじっとりした嫌な感触と粉のようなものがついていた。汗でもかいて乾いたのだろう。
そんなことよりこの子の具合はどうなのか、一番思い至るべきことに気付くのが遅れた。己の身勝手さが嫌になる。
とばり殿は治療のさいに脱いだのだろう、むき出しの足に白い包帯を巻かれた状態で屈んでいた。見た目血が滲んでいるということもなく痛がる素振りもない。結構な大けがだったと思っていたのだが。
「白玉御前様の家臣に高名な医者がいる、じゃなくております。その方にかかれば傷も病も立ちどころに治る、治ります」
ああもう、そう呟いてなぜか顔をパシパシ叩いているとばり殿に脱力した。
思った以上にこの人でなしはこの子を心配していたのだろうか。それはいいとして先ほどからとばり殿の言動がおかしい気がする。
最初はなんでもないと言い続けていたが、その間にもなんでもありませぬと言い直すこと数回。やがて観念したようで顔を背けつつ白状してくれた。
「うまく言えん、言えませんが、おまえ、お客様に丁寧に言えない、です」
そういえば最初に会ったときは下郎とか言いかけたな。しかし、きつねやの客になった後は丁寧な口調になっていた。
てっきり公私を分ける分別があるか、もしくは口数を減らしてボロが出ないようにしているのだと思っていた。
「他の客、お客様にこんな口、口は聞いたこと、ない、ありません」
ついにはあうあうとテンパり出して顔を真っ赤にする姿は不覚にもかわいい。いえ、衆道はノーセンキューです。子供がかわいらしく思えた、それだけです。
Noショタ、Noタッチ。冤罪、冤罪ですおまわりさん。いや世界観的に岡っ引きとかお役人様か。
今さっきの気分でこんなアホな考えが浮かぶ程度には人でなし。もうそれでいい。