別視点。とばりの景色1
近年の幽世において、国同士の争いや折り合いの難しい商談を賭博で解決することを『祭り賭け』と称するようになった。神前にて取り決めることで約束を神に誓うこの勝負は、もともと約束を大事にする人外たちにとって、人間の約束事など及びもつかないほど強い強制力を持つ。
別に破ったからとて神罰があるわけではない。ただし、万人から信用を失い相手にされなくなるさまは、まさに神罰に等しい。天につば吐く悪名高い山の悪鬼頭でさえ、これを破ればくびり殺して縄張りから叩き出すほどだ。
それだけに『祭り賭け』で賭けられるモノは大きい。金、物、土地、権利。あるいは、命。
国という規模で損得が生ずるこの行事。期待を担うことはまさに生涯の誉であり、今朝己が選ばれたことを告げられた一羽の若輩者、とばりは感動と不安に震えた。
ところが話は最初から混迷の気配を隠さない。大事なお役目に屏風覗きと呼ばれるようになった客人がなぜ選ばれているのか。その事をとばりは一切詮索する気はなかった。少なくとも上役に問い質すなど、組織が違えど無駄な労力になると分かっている。
祝詞が謳い上げられる中、足が痛いのか姿勢の甘い客人を盗み見るも、やはり実力のほどは判らない。柔い手、柔い体、柔い顔つきから、さぞ生温い生き方をしてきたのだなと推測するだけだ。御前がなぜこのような下賤な輩に目をかけるのか、ますます分からない。
別にあの夜もこの有象無象の身を案じたわけではない。御前が気遣う貴人が罪を犯さぬよう上に報告しただけだ。ただ一言、何気ない言葉をかけてきただけの余所者がたまたま頭に残っていただけ。
白の山車お披露目から、ひとしきり騒ぎが収まる頃にはとばりも平静を取り戻した。よもや御方から直に激励を頂けるとはカラスの身に余る光栄。必勝の決意もますます固まるというもの。
ただ御方自ら山車を転がしてきたことに関しては、立場をお考えて頂きたいと切に願う。ご自由に振舞われるのは強者の権利とはいえ、やはり偉い方には偉い方の態度があろうと愚考する次第だ。もちろん己如きでは口には出せない。側近であられる立花様にぜひぜひお諫めいただきたいと思う。
勝負を始める開始の場に山車を持っていくときに、とばりはますます感動した。己が駆る白の山車はまさに白玉御前の威光輝く傑作である。驚くほど軽く、持ち手も人が動かすことを考え操りやすい。そして特に目を引くのは両脇の黒と銀の車輪。幽世にふたつとない不可思議な形をしているそれを、とばりは遠い記憶の欠片に見たことがあった。
これは現世の道具。断片しか無い記憶のなかで、これに似た人の乗る車の事をかすかに覚えている。おそらくは御前の秘法をもっての御業であろう。
合図の太鼓を待つ傍ら、横から聞こえてきた舌打ちの主にとばりは視線を向ける気はない。
大渡と唐墨。天狗の山の一角を牛耳る大天狗の血縁にして腰巾着の双子天狗。とばりは天狗の山にいた頃からこの二羽が大嫌いだ。
修行をつけると称して下の者を気まぐれにいたぶる大渡。己に課せられた役目を下にやらせて手柄を自分の物にする唐墨。とかくこの不良天狗に泣かされた木っ端はとばりの知るだけでも数えきれない。特に現世や天狗の山の外で化生した天狗を野良と蔑み、その暴虐は死者が出たほどだ。
あのころを思い出すたび、とばりの心の奥に暗い炎が燻る。
明確な犠牲者が出たことで問題が明るみになったとき、木っ端たちはここぞとばかり、口々に双子の悪行を大天狗に伝えた。死人まで出たのだ、十分な仕置きがあろうと誰もが思っていた。
だが、大天狗は身内可愛さにあの双子をまともに罰しなかった。
後に残ったのは、告げ口に怒り狂う二羽の凶鳥。やり口はより苛烈に、より陰湿になったのは言うまでもない。
最近になって件の大天狗が失脚したとの話を聞いたとき、とばりは抑えきれない黒い爽快感にほくそ笑んだものだ。当然、双子も合わせて落ちぶれたであろうと。
だと言うのに、何がどうしてこいつらは赤ノ国の代表など出来ているのか。別の誰かに取り入ったのか? 屈辱の極みだが力はあるのだ。この凶鳥どもは。それでもこいつらを取り立てた輩は間違いなく見る目が無い。
「あッ!?」
この場でありえない、あってはならない術の突風に無様な声を上げたのは痛恨の失態だった。息吹が崩れ、途端に内丹が緩む。矮小なこの体はそれだけで足を地にねじ込む力を失わせ、立て直す間を与えずで掬い上げられてしまう。
分かっていた、誰よりも分かっていたはずなのだ。連中が野良と呼ぶ相手に尋常な勝負などしないことはッ!!
足が空中では再び内丹を込めてもどうにもならぬ。悔しくて頭がどうにかなりそうな数舜を味わったとばりは、ここで思わぬ相手から援護を得る。山車の中のお荷物が身を使い、跳ね上がった車を立て直したのだ。
やったことはそれだけ。だがこの瞬間まで、とばりは一人で競っているつもりだった。
知らず胸から湧き上がる熱に押し上げられるように息吹を重ねる。石畳に下駄がつくまでにとばりは内丹を練り上げる。この勝負を投げ出すことなど許されない。
「風扇の、術」
悔しいという苦い味のなかで記憶に浮かんだのは、とばりが覚えられなかった初歩の術。指導者に散々にこき下ろされ、口から鉄の味がするほど悔しかったあの術だ。
知らず息吹が乱れる。鎮めることのできない気持ちがぐちゃぐちゃと沸いて何もかも放り出したくなる。これは心が弱った時、未だに現れる己の悪癖。
それでも今日はなぜか足に込める力を失わない。とばりにも理由はさっぱり分からぬ。ただ、どうしても理由を見つけ出すとするなら、その心当たりがひとつだけある。
それは背後の山車から感じる怒気。卑怯者に義憤を感じ、とばりと同じく怒る者の存在。
上と下しか無いはぐれカラスの景色に、その日小さな変化が生まれた。