鉄分は当然として、亜鉛を含むので『そっち系』の健康もサポートする伝統食品
「屏風様のご慧眼、恐れ入りましてございます」
昼食時に現れた夜鳥ちゃんに南の仔細を問うと、墨色の着物を着た禿っ子はそういって頭を下げてきた。別に責めているわけではないので頭を上げてほしい。あと情報を得られたのはたまたまである。
目の前には鯉を主役とした豪勢な昼食が並んでいる。鯉は初めてだ、あの魚は鑑賞するものというイメージしかなかった。
もっとも目を引くのは白身の奥に薄い赤が映える花のような色合いの刺身、鯉のあらい。鮮やかさこそないが鉢の中で確実に美味しいと自己主張するのは甘い煮汁でコトコトと煮込んだ、鯉のうま煮。そして揚げられて香ばしい鯉の皮にきつねや自慢の醤油たれをたっぷりとかけた、鯉南蛮。
刺身、煮物、揚げ物。どれもこれも主役級。その中で味噌汁に隠れるのは優しい色を覗かせる大根と人参と、彼らと共に顔を出した最後の鯉料理、鯉こくの味噌汁。
鯉尽くしだ。現世で食べたら一人前で軽くウン万円はしそうである。頭の隅に引っかかっている情報だとリーズナブルなお店の場合は定食で2千、3千円くらいらしいが、この料理から溢れるオーラは明らかにお札の柄が別格になる輝きを感じる。値段表の出てこないお店の料理って感じだ。怖い。
そして何より、これらの食材集めにはとばり殿とひなわ嬢も協力してくれているのだ。大自然、料理人、生産者、調達してくれる皆様に感謝して頂こう。では詳しいことは食べてからということで。これを冷ましたら罰が当たる。
追加で出してもらった空のお皿に料理を選り分ける。とばり殿から何をしていると怒られたが、一人だけ豪華な食事とかむしろ心が貧しくなるわ。
皆が同じメニューだったらこんなことはしなかったのだ。一緒に食事をするのに他の子が質素な雑炊とかこっちの精神に傷ができるわい。
別に分け与えるのが趣味というわけではない。こっちが病人食だったらむしろ漬物一品分けてと強請っていたよ。あれはとにかく塩気が無くていけない。
病人食は体の栄養こそ確かなものだろうけど、心の栄養素がローコスト過ぎると思う。美味しいと感じて次も食べようという気力の沸く、食欲を刺激する料理もまた健康には必要じゃないですかね、栄養士さん?
「ああもうっ、私がやるから怪我人が妙な事をするなっ!」
箸を引っ手繰られた。それぞれ膳を使ってひとり飯する時代感の世界なので、みんなで取り分ける事はかなりお行儀が悪いのかもしれない。
「うははっ、こりゃ豪勢だ。昼からこんなもん食ったら鼻血が出ちまいますよ」
そう言いつつも渡された刺身の乗ったお皿に笑みを浮かべるひなわ嬢。舌なめずりという言葉がピッタリの顔だ。やったこと無いけど刺身と雑炊って合うんだろうか?
「あ、ああ、わたくしがやりましたのに。恐縮です、隊長」
同じく渡された夜鳥ちゃんが畏まって受け取る。流れで上司に雑用を任せてしまい慌てている部下って感じ。黙々と仕事する上司ってこういうとき困るよね。気付いたらやってるもの。
夜鳥ちゃんはとばり殿と交代で屏風覗きの世話をしてくれている。
最初、とばり殿が屏風の世話は全部自分がやると言い出してひと悶着あった。どうやら腹の傷をとても気に病んでいたようで、立花様にお暇乞いをしてまで介護を買って出てくれた。それに助け舟を出したのが夜鳥ちゃんで、どうせ連絡員として自分も残るのだからと介護を引き受けてくれたのだ。
ちょっと意地になっていたらしいとばり殿が渋ったものの、最終的にはローテーションということで折れてくれた。
交渉材料は金毛様の事。ちょうどあの方のいる九段神社もきつねやからなら近いのだし、時間のあるうちに密度の濃い授業を受けてみたらと勧めてみたのだ。城下に戻って仕事に復帰したら頻繁に往復は出来ないだろうと。
勉学は下地が一番大事。基礎さえしっかりしていれば遠隔授業でも理解度は高い。特にとばり殿が学ぶのは苦手科目なのだから、スタートダッシュのための地ならし作業は丁寧に越したことはない。
「おまえの、この口は、たまに妙な具合にまわるから腹が立つ」
唇を箸でプリプリつままないで頂きたい。醤油とワサビを付けても食べられない小汚いお肉ですよ?
「さあグイッと、思い切りよくいきやしょう」
手渡された湯呑みには生臭い赤い液体。あったかいので余計臭い。
すっぽんの生き血、それを熱燗の焼酎で割った物である。臭っさ。
これでもだいぶマイルドになったのだ。初めは湯呑みにまんまブラッドをストレートで出されたからな。それでは旦那にゃ飲み辛いだろうと、ひなわ嬢が一計を案じて温めたお酒で割ったのがこれである。臭っさ。
もちろんわざわざ捕ってきてくれたのだから飲まないわけはいかない。色々と諦めて息を止めて飲む。焼酎を一気したくないけど味を感じたらもう飲めない気がするのでゴクゴクいく。
「あらあら、良い飲みっぷり」
夜鳥ちゃんが茶化す。この子は南のいかがわしいお店のお姉さん方と交流があるので、こういうお水なやり取りも知っているのだろうね。
飲み干したはいいがお腹に入った熱があっという間に血を巡って、頭にも高熱がブワッと入っていく感じでクラクラする。サウナに入った気分だ。
鮮度が大事と言われて急かされるままに飲んだけど、この状態で南の話を聞くのは大変だぞコレ。
口直しのぬる目の前茶を頂き一息。改めて夜鳥ちゃんの話を聞く。
「みずくの姐さんが焦っているのは本当です。大駒相当の手下の何人かに離反されて、己の手足が半分もがれたような状況ですから」
南の勢力分布に新たに台頭したのは4派閥。これにみずく花月の高級娼館『水月屋』を中心とした勢力を加えると、ほんの二週間そこらの短期間で5大勢力になってしまったらしい。言っては悪いが求心力無いな、みずく。
「女郎の女どもなんて大抵そんなもんですよ。身内同士でもバチバチやってるんだ、機会と見たら後ろから刺してくるでしょうさ」
クックックッと、本当におかしそうに笑うひなわ嬢。それを見てちょっとムッと来たのか夜鳥ちゃんの顔が険しくなる。
「みな店の約定と仁義は守っています。これはみずくの姐さんが下手を打っただけです」
あの人は悪い方ではないのですが、昔から詰めが甘いので。誰に言うでもなくボソリと愚痴を零した少女はお茶を飲んで場の白けた雰囲気を誤魔化した。
姐さんではなくお水業界全体を庇うあたり、だいぶ残念なお姉さんと夜鳥ちゃんも思っているんだろうなぁ。外では着飾っていても自室は汚部屋になっていそうなタイプと見た。
屏風覗きもほんのわずかな顔合わせでそれはちょっと感じていた。詰めが甘いというか、行動力はあるが細部に目が行かずとっ散らかるタイプなのだろう。
こういうタイプは相応に実力というパワーがあれば障害物も跳ね飛ばせるが、本人が根本的に小物だと足の小指を強打したがごとく人生で悶絶することになる。
大駒の手下というのは昔からつるんでいた女郎仲間だろうか? 彼女の能力を知っているとすれば、人柄は悪くないが神輿として軽すぎると判断されたのかもしれない。いくら友人の船でも遠い大海原だけを見て間近の岩礁に突っ込んでいく難破船には乗りたくなかったのだろう。
「屏風、これは骨が折れるぞ。やめておけ」
音頭を取った者が身内からも評価が低いのでは変に関わると大火傷をするぞ、そう言って四個目の酒蒸し饅頭を頬張るとばり殿。
現世ではすっかり小さくなったおまんじゅうも、幽世では昔ながらのサイズなのでかなりボリューミーなのにモリモリ食べている。あの量がこの子の細くて小さい胴体のどこに消えていくのだろう。焼却炉でも搭載しているのだろうか?
友のお腹への興味は尽きないがそれは置いておいて、みずく花月が具体的にどんな下手を打ったのかというと、自分の言動で空手形を切ってしまったのがバレたのだ。
まず、牡丹女郎へのカチコミで屏風覗きを後ろ盾にしていることを匂わせる作戦が失敗した。これで信用を落としていたところに夜鳥ちゃんに頼んで屏風覗きへのアポイントメントをお願いする工作が、どうも本人が口を滑らせる形でバレたらしい。
というのも、屏風覗きはあくまで後ろ盾のひとりであり、他にも別の後ろ盾はいるとにおわせて周囲の探りを躱していた矢先だったのだ。
その結果、最悪のタイミングで頼みの綱が張子の虎と発覚したみずく花月の派閥は、それはもう瞬く間に空中分解することになってしまったらしい。
大事な急所をボロっと漏らすお水のお姉さん。うん、それは信用ゼロになるわ。
実際にどうかは置いといて、ああいった業界は客の秘話を漏らしてはいけないし、自分たちの弱みも見せてはいけない。弱いものなりの自衛手段として外には沈黙を盾にする業界なのに。
そりゃ人が離れるよ、次は何を漏らすか分かったものじゃない。とばり殿の言う通りこれは骨が折れそうだ。屋台骨がひ弱すぎる。
屏風覗きは大嫌いだが、前任の牡丹女郎はその辺うまくやっていたんだろうな。運営に不運が重なっただけで、組織のトップとしての手腕は間違いなくあいつの方が上だったのだろう。
頭痛い。お酒のせいだけじゃないなこの頭痛は。
では新しく南に出たタケノコの皆様はどんな面々なのか。頭は? 派閥の性質は?
今は派閥に分かれていても、ここから2つ3つが合体したら手が付けられなくなるぞ。協定を結ぶなり手打ちにできるのはパワーバランスが近いうちだけだ。時勢に乗り遅れるとみずく花月の勢力は吸収されるか、自然消滅か、最悪は捻り潰されてしまうだろう。
「およそを書き出した物がこちらに」
夜鳥ちゃんが帯から取り出した和紙が布団の上に広げられる。
紙から広がった香りだろうか、妙に淫靡な香りがするな。書いているときに焚かれたお香の香りが移ったのだろうか。もしかしたら女郎屋さんの使っている部屋の一室で書いたのかねえ。
男女のアレをおっ始める時に焚くような代物だったら嫌だなぁ、教育に悪い。いや、この場のみんな実年齢的にはそういう段階は過ぎてると分かっているのだけど。どうも見た目に引っ張られて心配してしまう。
気を取り直して、まず紙面に書かれた勢力の名称を頭に叩きこもう。
『両替商の文鎮堂・秤』参。
『賭場の山本組・浦衛門』参。
『女郎屋の水月屋・みずく花月』弐。
『飲み屋連盟・十手八丁』壱。
『女郎屋の椿屋・後家女郎』壱。
店の後ろは代表の名前で、後ろの漢数字は南の全勢力を10とした場合の対比。
いや、もう半分以上押し込まれてんじゃん。上のふたつが組んだらアウトじゃねーか。しかも両替商と賭場って相性抜群でしょ。うわぁ、開店前からもう店仕舞いしたくなってきた。
「うーわ、嫌な名前がありやがる」
覗き込んだひなわ嬢が渋面を作る。思ったより細く繊細な指で指さされた名前は秤。
「金貸しもやってる悪党ですよ。あー、もうダメだこりゃ。みずくってヤツの命だけ助けて終わりにしましょうぜ」
早々にギブアップ宣言を勧める彼女は思いのほか真剣にそう言った。