参の祭り最終オッズ『黒曜1.2倍』『屏風18.8倍』
きつねやに逗留して七日目。腹の傷は思ったよりも早く癒えて既に抜糸も済んだ。この調子なら手の傷も案外早いかと思ったら、そううまくいくものでもないらしい。
「あの短刀はな、簡単なものだが呪いを掛けていた物なのだ」
血もある程度戻ってきて座れるようになった屏風覗きの横で、しょりしょりと瓜を剥くのはとばり殿。ここしばらく付きっきりでお世話をしてくれている。ありがとう。
献血したとき暇潰しに渡されたチラシ程度の知識だが、赤血球の回復は2週間強かかるらしい。だとすれば完全復活まであと半分といったところか。なら普通に動きまわれるようになるのはそれよりも早いだろう。今も立ち眩みがする程度で歩行くらいなら問題ないし。
「あの時はもう、おまえが血塗れで真っ青な顔でいたから驚いたぞ」
この子から貸してもらっていた短刀には傷を深刻にする呪いが掛けられており、手傷を負わされた相手は出血が止まり難くなるのだという。
相手を苦しめるというより、流れ続ける出血で追跡を容易にすることを狙った非常に防衛部隊らしい理由からだ。暴れる気力のあるうちに無理やり捕縛するより、出血で弱って倒れているのを拾うほうが手間も無いもんね。
野生動物みたいな理論だけど安全を考えたら無理をすることはないし、組織の力はこういうときに出すものだ。包囲して持久戦に持ち込んだり、人員を交代して追い続ければどんな体力自慢だって逃げられない。
なるほど、手の出血がやたらと多かったのはこの呪いの影響もあったのだろう。
とばり殿が目を覚ました時、出血で青ざめた屏風覗きの景気の悪い顔が横にあったから相当びっくりしたらしい。死んだのかと思ったそうな。
「呪いの事を伝えそびれていた。よもや自分に使うとは思わなかったから」
そんな申し訳なさそうにしなくてもいいです。もっともな話だ。まさか他の誰を差し置いて自分に刃を突き立てるなど思いもしないだろう。
「ん」
手渡された瓜をありがたく頂く。果物の甘い水分はとても染み渡る気がするな。同じく瓜を口にしたとばり殿は甘味に嬉しそうな気配を出した。
こうして今もふたりで一緒にいられることが屏風覗きの何よりの報酬だ。あの祭りはどちらが死んでもおかしくなかったのだから。
いくつかの雑談のあと、とばり殿は人化術の師に金毛様がつくことになったと話してくれた。
結局、金毛様は黄ノ国に戻れなかった。
友情のために国を危険にさらす者などにとても役職は任せられない、それが黄ノ国の総意となったようだ。客観的に判断すれば反論の余地はない。
己のために、友ひとりのために国のすべてを賭場の台に叩きつけたのだから。心情的に同情の余地はあってもそれは個人の感傷でしかないだろう。
そんな金毛様とその分身体は追放という形で国を追われて、今は九段神社にいる。暫定的に白ノ国で身柄を引き受けた状態だ。ここで禰宜の座を返上し、下積みからやり直すのだという。
それが彼女なりの黄ノ国の者たちへの贖罪なのだろう。
穿った見方をするなら防御か。公には罪なしとしても事情を知っている者は知っている。頭を高くしては大衆に影から咎められるだろう。それを躱すためかもしれない。
なんて意地の悪い想像もしてみる。そのくらいには迷惑をかけられたしな。密入国騒動からしばらく、内通を疑ったらしい立花様の目のキツさったらなかったよ。
同じような境遇でひっそり暮らす城のプルプル犬は元気だろうか。ぼちぼち報告が聞けると思うのだが、やはり待つというのはじれったい。
ともあれ、狐である彼女にとって稲荷神社である九段はそう悪い場所ではないだろう。彼女と初めて会った場所のせいか、むしろあの場所のほうが三尾狐の居場所として頭の中でしっくりくるくらいだ。
とばり殿は彼女に師事するのか、悪くないと思う。金毛様は多数の弟子を持つほど高名な術者であり、術者としての実力はもちろん師としても名が通っている方のようだしな。
何せ彼女は分身を持つ身。生徒の情報を共有する優秀な教師が何人もいるというひとり教師陣状態なわけで、弟子ひとりひとりにさぞ濃密で容赦のない教鞭を取ってくれるだろう。
とばり殿が術を習得し、新しい姿を見せてくれる日も近いかもしれないな。
「はいはい、御免なさいよ」
廊下からドスドスと足音を隠さずやってきたのはひなわ嬢。実は足音が聞こえてくる前からとばり殿が微妙に嫌そうな雰囲気を出したので来訪は分かっていた。
どうもこのふたり、口で言い表し辛い感じに微妙に仲が悪いんだよなぁ。
こちらと挨拶を交わすとニィッと笑ったひなわ嬢は座布団を引っ手繰って屏風覗きの隣に座り、手前の皿に残っていた瓜を楊枝ごと口に放り込んだ。
豪快、じゃなくて危ないからやめなさい。間違って飲んだら大事だぞ。
こちらの言葉に、まあまあと言って取り合ってくれない。そりゃその体の喉の奥には本体である貉の経立がいるんだろうけどさ。もしかして腹の中で本体が楊枝を摘まんで瓜をシャクシャク食べているのだろうか? だとしたら余計な事か。
「先日のお役目もしかとやり遂げましたぜ? 屏風の旦那」
はいはいお疲れさん。とばり殿と同様にこの子も居残りしたひとりだ。
祭りで活躍したことへのご褒美も兼ねて、この子は国のお金できつねやのちょっと良い部屋に泊まって骨休めしている。
ただこの辺りは湯治するくらいしか娯楽の無いところなので、早々に飽きたひなわ嬢は屏風覗きの頼み事を聞く、という形で城下ときつねやを往復しているのである。世話をする相手に頼まれて行くのだから、これなら国に咎められないという論法だ。
そのせいでひとり分の労力が減り、屏風覗きの世話に余計に時間を取られるとばり殿たちはヒドイとばっちりである。ホントすいません。介護ほど大変な仕事も無いよね。
今回お願いしたものは城下の離れにいるプルプル犬こと、家政婦をしている『犬の経立の秋雨』氏や屏風覗きの扶養家族である松ちゃん、鞍の付喪神の『馬の松』の様子を見てくることだ。
様子を見るだけなら夜鳥ちゃんでも他の雀経由で可能なのだが、預けた金銭の受け渡しは往復する配達員がいる。そこで城下に遊びに行きたいひなわ嬢と利害が一致したというわけだ。
借金大王であるこの子にお金を預けるのは不安があるものの、そこはしっかり約束させているので妖怪として信用している。いかにこの子でも端金を持ち逃げしてすべての国から追われたくはないだろう。
初日に給金を払ったきりで雇い主が不在では今後が不安だろうと思い、せめて追加の給金を渡してもうしばらくお茶を濁しておくという姑息な雇用延命法である。
松も頑張ってくれたのにいまいち相手をしていられなかったからな。お世話をしてくれているおサルに追加金を払って、果物などを食べさせてもらうことにしたのだ。
そのうちふたりから、会わずにお年玉だけくれればいいウザい親戚みたいな扱いになりそうで怖い。もうちょっと構って。
先日は手長様と足長様にお土産気分できつねやの酒蒸し饅頭を送ってもらったし、次はどんな理由を捻り出そうかな。
黒曜戦の賭けで突っ込んだお金が18両(日本円で720万?)ちょいになったのでまあまあ色々送れるのだ。黒曜に大枚賭けた赤の客ども、ごっつぁんです。
このお金で城に設けられた売店である酒保の蜘蛛さんの店に、ひなわ嬢経由でお願いしてお返し用の高級酒も注文してみた。
妖怪は大抵お酒が大好きということで、以前から困っていた頂物のお返しはお酒が無難という話に飛びついた次第。
酒保の蜘蛛さん曰く、偉い方なら頂いた物と同額程度の物。それで足りないなら量で帳尻を合わせるのが習わしらしい。おかげさまで手にした泡銭もあっさりスッテンテンである。
「いやあ疲れた疲れた。町で小煩い連中に纏わりつかれて参りやしたよ」
ペラペラと滑りよく語り出したひなわ嬢の話は、南の町の裏勢力たちによる争いに動きがあったと思わせるものだった。
今現在の時点で町の裏を牛耳っている勢力は、最近みずく花月が興した高級店『水月屋』を中心とした派閥。しかし、そこが切り崩されてじわじわ別勢力に流れていく状況なのだという。それもすでに無視できない規模で4派閥が台頭しているようだ。
この事に焦りを覚えたみずく花月は今日まで梨の礫の屏風覗きと接触するため、屏風と交流のあるひなわ嬢経由で『早く来てくれ』と打診してきたというわけだ。
それはまたなんとも、この子に頼むって相当焦ってるんだな。
一応聞いとくけど仲介料取ってないだろうねキミ? 取ってたら金銭分マジでマネージャー的に働いてもらうからね? オイ、コッチを向け。みずく花月に聞いたら一発だぞ?
決してこちらと目を合わせようとしないとは怪しすぎる。ならばと横腹をちょいちょいと突こうとしたらものすごい速さで逃げられた。さすが勘の良い子だ。
しかし、夜鳥ちゃん情報によって町の様子はほぼリアルタイムで知れるのだけどそれは聞いてないな。
「夜鳥なりの気遣いだろう。その傷ではな。おまえを煩わせないよう黙っていたのだろうよ」
訝しむ屏風覗きにとばり殿がそう補足してくれる。なるほど、床でうんうん唸っている相手に町まで荒事しに行ってきてくれとは言い辛いだろうな。だとしたら知り合いの姐さんにせっつかれて、相当困っているだろうに。
気のせいか、とばり殿の目付きがちょっと恐い。恐らくこの後の展開を読んだのだろうね。うん、それで当たりです。
夜鳥ちゃん、ありがたいが水臭い話だ。
「おい。無茶する気なら殴ってでも止めるぞ馬鹿屏風」
「ですな。頭にタンコブこさえたくなきゃ大人しくしててくださいな。うはっ」
そんな両方から頭をガッチリ固定しなくても。右側はとばり殿、左側はひなわ嬢の手の平に挟まれてしまった。このまま万力みたいに圧し潰されそう。漫画でヤ〇ザが万力で頭を挟む拷問法で情報聞き出すエピソード思い出したよ。
うーん、といって屏風覗きは夜鳥ちゃん経由ですでに南への介入を約束している。モタモタしているうちにみずく花月が倒れたら約束破りになってしまうのだ。
妖怪の屏風覗きとして幽世に顔を出した以上、それは許されない事だ。
だからふたりに問うてみる。傷があるからと勝手に解釈して出てこないのは約束した妖怪として不誠実ではないのかと。
両方からとても嫌そうな顔をされた。
とばり殿は屁理屈を捏ねる生意気な生徒を見る教師のような目。ひなわ嬢はクソ真面目でノリの悪い相手に調子を狂わされた陽キャみたいな顔で。
「まず仔細を問い質す。それからでよかろう」
「そうそう、旦那に話を通すために盛ってるかもしれませんしな。雀に聞くのが一番でしょう」
となればまずは飯の支度だ。というよく分からない理論でふたりがテキパキと動き出す。ちょっと仲悪い感じなのに息はピッタリなんだよね、この子たち。
「もう動けるというなら昼はたっぷり食えるだろう? ご、んんっ、白雪様よりおまえが復調したら食べさせろという献立をいくつも預かっているぞ」
Oh。平穏な日常にいたはずなのに、不用意な一言で地獄の白い窯を開けてしまった。
「ええとぉ? おお、こりゃ豪勢だ。このスッポンの生き血は良いのが心当たりがある。あたいが持ってくらぁ」
待って。そのレピシちょって見せて! 待ってぇ!!