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またね

「ねえ、あんた大丈夫?」「ねえ、大丈夫?」


 同時にかけられた声は差異はあれど同じ内容。その言葉に頷いて答える。


「黙られよ。問いへの答えとしての是か否かのみを認める。神前であることを忘れぬように」


 冷たい声でそう制され、食ってかかりそうな顔で彌彦(いやひこ)様を睨む猩々緋(しょうじょうひ)様と、ムッとした顔をした茜丸氏。

 傍観すると何か余計な事を言いそうだったので、胸元で右手を下に振って『抑えて』とアピールしてみる。


 こちらも迂闊に口を開くと質問としてカウントされかねないと考え、頷いただけにしたのはよくなかったな。心配してくれたのに。


 いかにも『ここは我慢してやる』といった態度で鬼から視線を切った猩々緋(しょうじょうひ)様は、こちらの吊られている手を見て痛ましそうに顔を顰めた。


 反抗期に叱られた子供のようにむくれていた茜丸氏。よそ見をしたところで縛られている金毛様を見つけて、こちらと交互に見た後は一層『不満がある』という顔をした。


 鬼の強い視線がゆっくりと動き、神楽殿の全体、ふたりの赤しゃぐま、そして屏風覗きで止まる。


「白ノ国の屏風覗き。始めよ」


 その言葉によってデンッ、と太鼓が叩かれた。これが開始の合図なのだろう。気持ちを静める。やれることはもうやった。


 たぶん、やれたことはもっとあったはず。


 けど、これが屏風覗きの精一杯だ。





 問います。貴方は赤ノ国の頭目、猩々緋(しょうじょうひ)『である』。


「是」


 ひとつ。


 問います。貴方は赤しゃぐまの茜丸『であった』。


「? 否」


 ふたつ。わずかに客たちの中から訝しむ声が漏れる。


 知っている者は知っている。ひとつめと矛盾する答え。しかし審判の彌彦(いやひこ)様は動かない。


 問います。貴方は赤しゃぐまの茜丸『である』。


「ぜ」


 みっつ。再び客たちから声が漏れる。


 問うべき相手が違うだろうと。しかし審判の彌彦(いやひこ)様は動かない。


 問います。貴方は赤ノ国の頭目、茜丸『ではない』。


「ぜ」


 よっつ。こちらを見る茜丸の目は少しだけ嬉しそうだ。


 こんなヤツの質問程度で嬉しく思ってしまうくらい寂しかったのだろう。こんな狭いところに押し込められて窮屈だろうに。いつからここに入らされていたのだろう。金毛様とも離されて。ひとりぼっちで。


 問います。貴方は猩々緋(しょうじょうひ)『である』。


「いな」


 五つ。


 問います。貴方は茜丸『である』。


「否」


 六つ。猩々緋(しょうじょうひ)の目には困惑がある。何を当たり前のことに質問を使っているのかと訝しんでいるかもしれない。わずかな隙間からは包帯を巻いた左手に変わらず視線が注がれている。


「静まれ」


 ざわつきの大きくなった観客に鬼の叱責が飛んだ。再び無音になった場に、ハアハアという無様な己の呼吸音だけが聞こえる。


 分身、替え玉、姉妹、親類。どれでもない同じ者。


 力のある者と無力な者。記憶のある者と無垢な者。


 ここにいるのは本当に『ふたり』なのか? 本当に『どちらか』が本物なのか? 猩々緋(しょうじょうひ)とは、茜丸とは『誰』の事だ?


 金毛様と幽世に来る前から友人だった『茜丸』。幽世に来てから親交を持った彌彦(いやひこ)様と『猩々緋(しょうじょうひ)』。


 赤ノ国の頭目にまで上り詰めた茜丸。それは金毛様のため。


 いつか現世から来る友のために、新参が少しでも過ごしやすいように地位を上げて待っていた。


 金毛様が黄ノ国の重鎮にまで上り詰めたのは茜丸のため。友人が過ごしやすいように地位を上げて探していた。


 では、いつから茜丸は猩々緋(しょうじょうひ)と名乗るようになった? 名を変えれば捜索が困難になることくらい分かっていたはずだ。


 だが二つ目の質問で確定した。今ここにいる(・・・・・・)猩々緋(しょうじょうひ)は、己の旧名を『知らない』。


 もし知っていれば『であった』に『是』と答えるはず。それに茜丸と名乗る隣の子を知った時点で憤怒しただろう。偽物が旧名を語っていると。


 それなのに猩々緋(しょうじょうひ)は頓着しなかった。聞き覚えがないとさえ言わんばかりに。


 いつからだ? 猩々緋(しょうじょうひ)が茜丸である事を忘れた(・・・)のは。


 恐らくはごく最近、九段神社のレース以降ではないだろうか。


 対して茜丸。この子は自分の記憶が無い。日常生活に必要な基本的な知識さえポロポロと歯抜けになっている。


 団子を平気で鷲掴みにし、洗えばすむ汚れた手の扱いさえ持て余していた。とても厳しい幽世の、まして赤ノ国でやっていけたとは思えない。


 そんな茜丸を『におい』で『本人』と判断する鬼と狐。それだけがふたりの、友の答えなのか?


「問いを続けよ」


 遠くで審判の催促の声が聞こえる。


 屏風(これ)の中を漂っていた糸のようなものが頭の中で結わえられていく。


 それぞれは一本の線でしかなく、真っすぐ伸びるかぎりはどれとも引っかかることなどない。


 そんな糸がたわんで絡まり、いくつもの糸が歪にひとつとして結ばれていく。


 それは『ヒントの糸』を万人に説明できる形に寄り合わせた『一本の解答()』とは程遠い。


 誰に伝えても納得される、そんなきれいな『解答』と呼べる代物じゃなく、まるで糸の絡まった醜い団子のような代物。


 どれだけ説明しようとしても、言語化できない己の中だけの『閃き』。


 閃光。


 問います。猩々緋(しょうじょうひ)は過去の名を『思い出せない』。


 六つ。息を呑む音が聞こえた。目を見開き、こちらを、自分を、横を、鬼を、狐を、周りを、視線が泳ぐ。授業で運悪く教師に当てられ、回答できない答えを探す子供のように。


「答えよ」


 鬼の無情な言葉が猩々緋(しょうじょうひ)へと飛ぶ。その冷たさは誰に向けての冷たさなのだろうか。


「是」


 たった一言が震えていた。何よりも雄弁に答えていた。過去は覚えている、覚えているから動揺している。


 あったはず(・・・・・)の名前が思い出せないと。


 屏風覗きから見た猩々緋(しょうじょうひ)は、物言いがクソガキで、態度が偉そうで、目つきが意地悪そうで。


 だけど思ったよりずっと真面目な子。


 黒曜(こくよう)たちに蝕まれた赤ノ国を、この子なりに立て直そうと頑張っていた。


 頼りない自分の派閥を引っ張り、天狗山に対抗し、白ノ国に勝負をしかけて援助を勝ち取ろうと身の安全さえ顧みず、頭目自ら赤を恨んでいる国に乗り込んでくるくらいに。


 辛かったはずだ。


 どんな案を出しても己の派閥さえ協力的ではなく、上の者が身を切るような政策は全員から潰される。捻り出した他国から利益を勝ち取る案さえ黒曜たちの利権争いに使われて。


 そして負けた。残されたのは敗者への嘲笑と責任だけ。本当に責任をとるべき天狗たちは派閥の力で無罪放免。真面目な彼女だけが苦しんだ。


 辛かったはずだ。


 不真面目な連中が自分を棚に上げて批難してくる事が。味方さえ守ってくれない事が。頂点のはずの自分に誰も従ってくれない事が。


 それでも逃げ出すことができない損な真面目さを持つ事が。


 そんな地位、責任をおっ被るだけの罰ゲームでしかない。


 君は真面目だったのだ。赤ノ国の階位五位三権女、赤しゃぐまの猩々火(しょうじょうひ)は。自分で思うよりもずっと。


 問います。貴方は猩々緋(しょうじょうひ)の記憶と力を持つが、本人『ではない』。


「い、否!! 否ぁッ!!」


 七つ。泣かせてごめんなさい。


 問います。貴方は赤ノ国の頭目、猩々緋(しょうじょうひ)という『立場から逃げたかった』。


 涙を零し、歯を食い縛り、言葉を突き付ける屏風覗きを殺すような目で睨んでくる。ごめんなさい。


「っっっ、是っ!」


 八つ。誰だってそうだ。欲しいのは得であって、断じて責任だけなんて欲しくない。


 何も無くても楽しかった頃があったなら猶の事。鉛のように重い今なんて捨てて、親しい友達と無邪気に笑えていた頃に戻れたら。


 問います。


「もうやめてぇ!!」


 頭を抱え、耳を覆い、蹲るこの子に屏風(これ)は続ける。ごめんなさい。


 貴方は赤の頭目の地位を持ち続けた()猩々緋(しょうじょうひ)だ。


 しばしの無音。再び口を開こうとした彌彦(いやひこ)様に視線を向ける。もう少し、もう少しだけ。待たせてほしい。


 しばし、それでもずっと早く掠れた声が聞こえた。是と。


 ああ、やはり君は真面目だよ。損な事ばっかりのほうの。うまく逃げていく要領の良い連中に文句を言って、周りに当たり散らして、それでも投げ出せない真面目な子だ。


 九つ。これで問える言葉はあとひとつ。


 だけど、最後の質問は別の事に使わせてほしい。


 問います。


 いつかまた、屏風覗きと遊んでくれますか?


 妖怪は死んでも長い月日の先にまた幽世に戻る。ふたりでご飯を食べながら話してくれた貴方はそう言った。


 それはきっと、貴方(・・)もそう。いつかまた逢える。


 屏風覗きも、これで結構長生きしてみせますから。


 鼻が勝手にツンとする。そんな資格無いのに。刃を突き込むヤツが突き込まれた相手に何を言っているのか。それでも溢れるものが止まらない。世界が滲む。


 ―――ねえ、死んでたら、絶対許さないから。


 是という言葉は聞こえなかった。その代わりのように、彼女らしい言葉を残して猩々緋(しょうじょうひ)の入っていた檻は無人となった。


 まるで最初から誰もいなかったように。


「問いは果たされた。白の屏風覗き、かの者の正体を答えよ」


 鼻声。それでも自らの役目を果たして鬼が問う。目からは滝のような涙が流れていた。


 答えます。


 この者は赤しゃぐまの猩々緋(しょうじょうひ)。旧名、茜丸。


「? あたり。あた、あ、あ」


 もうひとりの自分に預けていた重荷を、再び自らに戻した彼女は急に泣き出した。


 その涙の意味も分からずに。




 妖怪の力も術もさっぱりの屏風覗きには方法は分からない。けれど猩々緋(しょうじょうひ)は何かしらの方法で望みを実現したのだろう。


 金毛様と現世にいた頃みたいに、何も患うことのない自分に戻りたかった。ちょっと効きすぎて一般常識まで忘れてしまったけれど。


 苦しみを知らない、誰かに(すが)られるほど強くも無い。無垢で弱い茜丸になった。


 そしてもうひとつの『裏の望み』も叶えてしまった。責任を投げ捨てられない真面目な頭目として、変わらず苦労する姿を。


 地位を守り、大妖としてのプライドを持つ。記憶の途切れた猩々緋(しょうじょうひ)となった。


 彼女はどちらも欲しかった、あるいは捨て切れなかったのだ。良い事でも嫌な事でも責任があると。真面目な子だったから。


 屏風覗きはこんな結末を望んでいなかった。


 けれどいくつもの知りえた話が頭の中で収束し、最後はとばり殿の分かれる手裏剣を思い出して、なんとなく思ったのだ。


 ああ、この子たちはふたつでひとつなのだなと。


 あの手裏剣は単品では意味が無い。合わさった物が『離れて』初めて奇襲になる造り。


 あの技は離れる前の『合わさった形態』こそが欺瞞の原点、騙す本命なのだ。


 彼女たちもまた同じ、分かれた単品で見ては正解(騙し)に辿り着けなかったのだ。完全には分かれられていない存在、ふたつ合わさって初めて本人なのだから。


 ダメだ、口で説明するのは難しい。やはり屏風覗きは馬鹿屏風になんて言われるくらいに頭が悪い。


 無味乾燥な結末だけを並べれば、ふたつに分かれて『本人でも本人じゃない』存在になっていた赤しゃぐまを統合して、無くなっていた『正解』に戻してから『本人』だと『答え』を当てた。とでも言おうか。


 ふたりが統合されていなければ、たとえどんなに言葉を並べても正解には当たらない。


 『正解が在るのに多すぎて無い』状態だったのだ。


 クローン問題。


 片方は力と記憶。片方はそれを失った抜け殻。第三者がこれを質問として突きつけられたとき、どちらを本人とは言い難いだろう。聞く人によって解釈が違うのではないだろうか。


 記憶があるほうが本人。記憶が無くても体がそうなら本人。どちらもあって初めて本人。どちらも別人。万人の納得する答え、解答欄に書かれるたったひとつの正解はたぶん無い。


 個人的な価値観だけで強弁すれば、抜け殻のほうが本人と言えなくもない。


 そして、あの(・・)猩々緋(しょうじょうひ)は屏風覗きと同じ価値観で自分を判断したのだ。


 屏風(これ)が、そうさせてしまったのだ。言葉を含めて。


 無理やり決めるなら、自分が偽物だと。


 だから彼女が消え、茜丸が残った。


 現象そのものの絡繰りはまるで分らない。術に詳しい方さえ首を捻るほどだ、二人に分かれた方法は詳しく調べる必要があるだろう。


 なんとなく、タイミング的に赤ノ国に帰って数日のうちと考えると黒曜たちが関わっている気がする。あの紫の月のような従来の幽世のルールに反するらしい強力な術の事といい、連中かそれに近しい何者かが彼女に仕掛けたのではないだろうか。


 これは当てずっぽうの推測だ。情報が何もない段階で考えても間違った方向に労力を浪費するだけだろう。この考えを立花様に伝えて処刑前に黒曜たちを尋問してもらえるといいのだが。


 しかし、今考えるべきはそうじゃない。


 大事なことはたったひとつ。泣いている子を放っていてはいけないということ。


 力を取り戻し、周囲に人の目にさえ見えるほど何か(・・)が溢れ、檻さえ吹き飛ばして泣く子がいる。屏風(これ)が出来る事といえば、言う事をきかないひ弱な体で這い寄って、泣き止むまで抱きしめてやるくらいのもの。


 視界が暗くなり、耳が遠くなり、ああ、それでもこれだけは口にしておきたい。


 前に呼んで怒られたあの愛称、実はまったく懲りてないんだ。


 またね、猩ちゃん。


 君は間違いなくここにいる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の問いはとても秀逸。 きゅーんときちゃうよ本当。 真・猩々緋になったけど、猩ちゃんと茜丸であったころの記憶は持ち越しされない感じ? 屏風の前にまた猩ちゃんと茜丸が戻ってくる「約束」が果…
[良い点] 十問いを行い、正解の形へと持っていく為とはいえ、辛い問いを続けた屏風様。 屏風様は出来ることを全力で行い、猩々緋ちゃんの心を最後の最後で救ったと思います。 屏風様、本当にお疲れ様でした、…
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