十問い
誤字脱字のご指摘、いつもありがとうございます。
本屋に併設されているコーヒーショップで一休み、と思いつつサイドメニューにあった太いウィンナーを挟んだパンまで食べてしまいました。やたら美味しそうに見えるのが悪いっ
トントン、ホポン。トントン、カカン。
何処からか響く静かな小鼓と大鼓の、まるで水面に広がる波紋のような音が響いている。
等間隔にぼんやりとした明かりで照らされた廊下で、太いろうそくを刺した燭台を持って先導するのは夜鳥ちゃん。白い着物に着替えてしゃなりしゃなりと進む彼女はまるで巫女のようだ。
建造物の大きさからはありえない長さの廊下をゆっくりと歩く。最初は一歩ごとに廊下でへたり込んで突っ伏したいくらいフラフラし、それがさらに吐き気になった。
今はひたすらに眠気を感じてしょうがない。体が本格的な休憩を欲しているのだろう。それでも足は一歩一歩、屏風覗きの意思とは無関係に動いていく。
無事な右手に持った純白の京傘。付喪神のろくろちゃんに体を操ってもらうことで、どうにかこうにか歩けている。
とばり殿が十問いの行われる祭り場まで抱えていくと言ってくれたが、大勢の観客や他の国の皆様が観覧されるのに白ノ国の代表選手としてそれは恥ずかしいと断ってしまった。現在進行形で意地を張ったのを何度も後悔しているのは内緒だ。
さっきから意識は酩酊して手足は痺れが取れず、肘と膝から下は棒切れでも付いているように感覚が無い。ろくろちゃんの体を操る力が無ければ一歩たりとも歩けなかっただろう。
「にいやん、ちょっと休み? 脈が弱いのに早いわ」
ふわりと柔らかく肩に乗った傘が周囲に聞こえないよう静かに耳打ちしてくる。
屏風覗き自身そうしたくて仕方ないところだ。だけど、体からここで止まると今日はもう操られても歩けなくなりそうな気配がする。
そう告げると化け傘は一言『頑張り』と言って、再び歩かせるのに戻ってくれた。
正直、体調はボロボロだ。けれど、ボロボロと言っても屏風の周りは何妖怪もの友に支えられている。右側はとばり殿に、左はひなわ嬢に。後ろにはリリ様がもしもに備えて付いてきてくれている。立ち止まる選択肢は無い。
九段神社の境内にある神楽殿。そこにあの子たちが待っている。自分の行く末を他人に任せるしかない苦悩の中で、生殺しのまま。
歩くとも。どちらが苦しいかなど明白だ。
祭り。今の日本人にとっては騒ぐだけのイベントと言っても過言ではないだろう。露店でさして美味しくもないのに不思議と美味しいジャンクフードを買って、流行りの歌謡曲が流れる中を仲間内で騒ぐだけ。
自分たちの訪れたイベントが、ではどんな由来のお祭りなのかと聞かれたら答えられない若者ばかりではないだろうか。
ついさっきまでこの九段神社の祭りもそうだった。普段は無い店を冷やかし、催しを楽しみ、楽しく騒ぐことが妖怪たちの目的だった。
そんな神社の雰囲気は夜となってから一転し、静かに太鼓の音だけが響く荘厳な空気に包まれている。外の客の数は驚くほど多い、しかし誰一人として騒いではいない。誰もがこれから行われる神事を穢さぬよう気を静めている。
タン、タタン、トン。タン。タタン、トン。
奉納の舞が舞われる。その巨体を感じさせない軽やかな足運び、空気を乱さぬ腕の振り、指の先まで気持ちを通した鬼の舞。
それは付け焼刃のバイト巫女では決して出来ない、いっそ恐ろしいと形容したくなるほどの完成度。
何があろうと揺れることのない強靭な足腰に支えられ、何万回と繰り返した修練の証がここにある。
神事失敗の意味が現代とは比べ物にならないほど重い、神と魔と妖怪の住まう幽世社会の重圧に磨きあげられた珠玉の御業だ。
こんな誰もが息を飲む空間でひとり、夏場の犬のようにハアハア荒い呼吸をしていることが恥ずかしい。座っていてもこの調子だ。周期的に気が遠くなってはガチガチに固めて吊ってもらった左手の痛みで目が冴える。これはプラプラさせてたら失神するほど痛いだろうな。
座っていてもクタリと倒れそうなので、今は黒い頭巾を被ったとばり殿が介添えしてくれている。よく分からないが幽世の神事のルール上、すでにここは神前であり事前にお伺いを立てた者以外はいてはいけない、顔を出してはならないのだそうな。
ただ今回のような場合は特例として、無関係を表す頭巾を被れば補佐する者をつけるくらいはOKという温情措置があるらしい。厳しいのか優しいのか分からないよ。
劇の黒子みたいなものか? 客のほうもお約束としていないものとして扱うというのだから、なんとも不思議な役職だよねアレ。
国一番の鬼の声で神歌が謳われる。歌とはある意味で聞かせる相手への説明でもあり、様々な情報をやり取りするツールとなる。
祝詞もまた神様に向けて『こうさせてください』とお許しを乞うたり、『お助けください』と願うために謳われるものだ。もちろん例によって謳われる内容は無学の身にはさっぱりである。
貴賓席では正装に着替えた立花様とろくろちゃん、そしてリリ様が御簾の向こうにおわすであろう我らが白玉御前をお守りしている。
ひなわ嬢と夜鳥ちゃんは白側の一般観客、その手前にイベントのスタッフや警備員のように立っていた。さすがに神前ともなればアクの強いふたりも険しい表情で押し黙っている。
チラチラこちらに視線が来ている気がするのは気のせいだろうか。心配してくれているとしたらありがたい。
大丈夫大丈夫、まだ平気だ。なにせ屏風覗きの正体は宇宙で一番生き汚い生物『人間』なので。そのしぶとさは折り紙付きである。
そして黄ノ国の貴賓席の前には縛られた金毛様も座っている。
彼女は一度だけこちらを見て拘束された体の許す限り頭を下げ、再び顔を上げた後はもう視線を向けなかった。
誰よりも静かな顔と態度に、すべての行く末を見届ける覚悟を感じた。
ここまではいい。
もう片方の貴賓席だった場所にはいくつもの檻がずらりと並んでいる。無論、入っているのは赤の天狗たちだ。
七つ並ぶ竹製の檻。その罪人用の籠に縛られた状態で入っている中には大渡と思わしき顔の腫れ上がった女と、屏風より顔色の悪い唐墨の姿もある。
偽善だけど、善悪恨みのあるなしに関わらず、ちょっと見ていられないくらい悲惨な姿だ。
そして一番前には木製で金属補強されたより厳重な檻。1メートルほどの空間に鎖で縛られ、体を畳む様に押し込められているのは大天狗黒曜。たぶんBのほう。
ヤツとの仕合の後、キューブを解除したところで真っ先に彌彦様によってボコボコにされたらしい黒曜Bも酷い有様だ。腕とか足とか、明らかに変な方向に向いている。
あれが負けるという結末。
ほんの半日前まで赤ノ国の頂点として踏ん反り返っていた者たちが、今は死刑執行までの時間を震えて過ごしている。
白雪様は正しい。勝てばこそ無理は通るのだ。そして通してきた無理が多ければ多いほど負けた時の反動は大きい。彼女たち天狗山の天狗たちがもっと大人しい政をしていたなら、ここに助命嘆願してくれる誰かがひとりふたりくらいは現れただろうに。
視線を切る。屏風覗きには何もできない。
白と赤。二枚の札のどちらも取るリスクを冒すほど彼女たちに思い入れは無く、そんな半端な気持ちでは、どちらの札も善人気取りの愚か者の手をすり抜けるだろう。
そして選び取るひとつは最初から決まっている。
夏なのに寒ささえ感じるこの体を支え、小さな体でずっと体温を分けてくれているこの子は白ノ国の天狗。
ならば屏風もまた、白ノ国の屏風覗きなのだから。
「これより十問いを執り行う。問う者は前に」
仕合と違って審判の下される声は静か。それで十分通るほど世界もまた静寂の中にある。布ずれの音さえうるさく思える空間で立ち上がり、決められた位置で再び座る。
無様に倒れずにすんだ。足にうまく力が入らない中で、黒子のとばり殿が的確に支えてくれている。ありがとう。
この場では『いない者』なので口には出せないが、感謝のために顔を向けると頭巾の薄い布地の向こうで友は小さく頷いてくれた。その頷きから激励を感じて、少しだけ手足に熱が戻ってきた気がする。
「答える者を、これに」
神楽殿にふたつあった御簾のうち、正面に下げられていた幕がスルスルと上がる。
その先にはふたつの檻。
方や円形でお札と注連縄だらけ。まるで忌物を封じたような代物。もう一方は紐と竹棒で四角に組んだ、申し訳程度の虫籠のような檻。
檻に座るはふたりの赤しゃぐま。名は猩々緋、茜丸。呼び名は違えど姿形は瓜二つ。
十問い。それは仕合で勝ち取った10の質問権を使い指定された者の正体を言い当てるゲーム。
そして今回当てるのは猩々緋の正体。
ではなぜゲームに関係しない茜丸がここにいるのか? それは屏風覗きが望んだからだ。このゲームに必要で、このふたりに必要で、彌彦様や金毛様にも必要だと思ったから。
1時間前、彌彦様とふたりになるという願いは叶わなかった。
クイズゲームの前に答えを知っている審判とふたりになるなど公平性を欠く行為。そう言われたらグウの音も出ない。
仰る通りだ。正解を諸に聞かないまでも会話の反応であたりをつけ、回答範囲を狭めるのは黒に近いグレーだろう。そんなことに思いが行かないくらい頭が働いていなかった。
それでもひとつだけお願いを通した。茜丸と金毛の同席を。彼女たちもまた今回の争いに無関係ではない。茜丸にいたっては猩々緋と絶対に関係がある。
あるはずだ。
実のところ言葉で説明できる根拠は何も無い。でも、これまで知った知識と感じてきた気持ちが『必要』だと言っている気がするのだ。
でもこの場に座った今この時でさえ、まだ『答え』は見えてこない。