手を伸ばす先に、何も無くても
白雪様以下、祭り関係者を伴って離れに妖怪たちが結集した。これなんて百鬼夜行?
偉い方々に御足労頂けた理由が屏風覗きの体調がグロッキーだからなので、下っ端として感謝することしきりである。
「ああ、いい。寝ておれ」
起きようとしたところを立花様に制止される。それを受けて音も無くスススッと来た夜鳥ちゃんが起こしかけた上体を丁寧に寝かせてくれた。ありがとう。起きようとした途端に視界が暗くなって気が遠くなったよ。かなり血が減っているようだ。
過去にした献血の比ではないな。倍の800ミリリットルくらいは抜けていそうだ。
「沢山と血が出とったからのぉ。しばらく起きるのも難儀やろ」
いち早く座布団をかっさらい、白雪様の座る位置にセッティングしたろくろちゃんがうんうん頷きつつ仲居さんニャンコをエスコートしている。
無意識におかんスピリット溢れる化け傘と、心なしか過保護が迷惑そうな白雪様の対比よ。今のモコモコは仲居さんムーブ中なので、その辺りの機微を汲んだほうがいいと思います。
「思ったよりは元気そうですな。起きたとばりのやつが泡食って悲鳴上げてもまるで起きねえから、ちぃっとだけ心配して、おおっと待った待った、怪我人の前で騒いじゃいけねえよ」
とばり殿が飛び掛かりそうな気配を察し、ひなわ嬢がいち早く屏風覗きの後ろに回り込んできた。真面目な子をからかうんじゃありません。
「屏ちゃん、お見舞いに鮭持ってきたからねえ。たーんと食べるといいよぉ」
さらにのそりと巨体を入れてきたのは彌彦様。さらにさらに後ろではお付きの黒鬼と、その長い股下の間からリリ様の耳の出た白頭巾が見えた。
いやパンパンです、もう部屋パンパンです。床が抜けます。
「ですね、ならこのように」
部屋の前からお嬢様系イケボのリリ様の声が聞こえ、扇子をパンッと開いた音が響く。すると離れの一室がみるみる宴会場のような大広間になった。干物が水を吸った映像の早送りみたいな、じゅわっという広がり方である。
妖怪数に対して絶妙に大きすぎず、狭すぎないのがとても職人芸って感じがした。
「ご苦労」
最後に入ってきたリリ様を労ったのち、立花様が音頭を取ってほとんどの者が座る。夜鳥ちゃんは一礼したのち広がった部屋の端へ行き、待機するようにチョコンと座った。
屏風覗きだけが部屋の真ん中に寝ているので、必然的に妖怪たちに取り囲まれる形になっているのがちょっとシュールだ。
よもや屏風覗きで晩さん会とか言わないよね?
一抹の不安を抱えつつ待っていると夜鳥ちゃんが動いて、襖の向こうからお茶を持ってきた黒頭巾の猫たちを迎え入れていた。カワイイ。
「さて、屏風。傷が痛むだろうが大事な話だ、心して聞け」
お茶に手を付けず立花様が語り出したので屏風覗きも拝聴する。なぜ梅昆布茶? 前にもきつねやで飲んだな。流行りものだろうか。
梅の清い香りに気を取られそうになったが、とばり殿の圧のある視線を感じたので気を持ち直す。
どうも隠れ宿の狐の事を聞ける雰囲気じゃない。話が終わって時間があったらにしよう。
語られたお話を要約すると赤ノ国、正確には天狗山の黒曜一派との戦いは決着がついたらしい。
決まり手は黒曜Bの『約束破り』。自身を捕らえたキューブから脱出するため、彌彦様との『約束』を破って弱体化アイテムを外した時点でデデーンとアウト判定を食らったからだ。
仕合にも勝負にも負けて、あげく審判にまでケンカを売って神事を穢した黒曜。前回の唐墨の件といい、あいつらの血は問題児だらけのようだ。
それに加えて黒曜の本体、脳内表記は黒曜Aにでもしようか。そのAが率いた赤の軍が白ノ国を強襲して、ケチョンケチョンに返り討ちとなったらしい。
バカじゃね? いやもうバカじゃね? 手の痛みを一瞬忘れるくらいポカーンとしてしまったわ。
内容も完全な白側のワンサイドゲーム。それも瓦解した軍が散り散りになって近隣の民に迷惑をかけないよう、しっかり逃走経路を白の軍でケアしてやる余裕まで見せたらしい。
強いなぁ白は。もはや戦闘と言うより狩りの様相である。
今回の軍統括は牛坊主様で、前線を指揮したのはなんと道祖神のおっさん首。確か『裏道の大首』様だったかな。
操られたとはいえ御前の命を狙うという大失態を犯してしまった彼は、騒ぎの後で正気に戻って大人しく捕縛されていた。その後は屏風覗きとはそれっきりだったので正直忘れていたよ。
彼は汚名返上の機会をもらえたか、もしくは懲罰部隊的に戦ったのかもしれないな。いずれにせよ自分を貶めた相手に復讐となったら戦意もうなぎ上りだったろう。
ただ、それでも主だった武将の内、黒曜Aだけは取り逃したらしい。うん、絶対しぶといもんだよこういうヤツは。
どっちも馬鹿だが今回特に酷いのは『約束』を破った黒曜Bかな。幽世の妖怪たちは国を問わず約束破りが大嫌いで、破ったら国や身分を問わず村八分状態になるという話なのにヤツはその禁忌を犯した。
しかも破った相手がよりにもよって『約束破り絶対許さないウーマン』の彌彦様。
煽り抜きで正気とは思えないぞ。本当にヤツの中で何があったんだ?
「あの分身術は分かれた者同士で否応なく記憶をやり取りしますから。戦で負けが込んだ己を見て焦ったのやもしれませんね」
疑問が顔に出たらしい屏風覗きに、黒いソックスを履いているような前足で優雅に扇子を振るリリ様から注釈を頂けた。
とてもカワイイ。猫の仕草を見ているだけでだいぶ痛みが紛れる。これもまたアニマルセラピーか。
だがいくら可愛いからと言ってあまり見てはいけない。マナーが悪いと動物側がストレスを引き受けてしまうことになるので、過剰なおさわりや声掛けをしてはいけないのだ。人間だってずっと他人に見られていたらストレスで酷いことになるだろう。好きだからこそ自重せよ。
白雪様が上座でしきりに耳と尻尾をピコピコさせていらっしゃる。お痒いのでしょうか? 夏場は毛皮のある方は蒸れそうですもんね。
なぜか空気に微妙な間が開いたが、続けてあのテの術は相応に慣らしの期間がいるもので、今回のように分身してすぐ別々に動き回るのは相当に頭に負担がかり、勝手に消耗したのやもとリリ様の考察が述べられた。
普段と違う環境でストレスを感じて想像以上に消耗してしまった、という事だろうか。分身の記憶もリアルタイムで流れてくるということは単純に考えても倍の経験をすることになるしな。ストレスも倍だ。
まして秘していた乾坤一擲の一手を打ち砕かれたのでは、そりゃもう気力も萎えて判断力も低下するだろう。黒曜Bはやぶれかぶれで、観客含めて皆殺しでも狙ったのかもしれない。目撃者がいなければ、という発想だ。
いや、ちょっと立ち止まれば絶対無理筋と分かる手段だぞ。本当におかしくなったとしか思えないな。
華山の悪鬼頭は『裁定』の権女として特別な力を持つ。特定の条件に該当する者は彌彦様に絶対に勝てない。幽世の摂理としてそういうルールなのだ。
黒曜が本来の力で戦ったとしても殴り殺されるだけだろうに。訳が分からない。
「それでもぉ、勝ったのは屏ちゃんの術だからねぇ。勝ちは勝ちだよぉ?」
寝ているこちらにずいっと被さる様に覗き込んできた鬼が優しく笑う。審判時に見た厳しい顔が、今やすっかりふにゃふにゃの顔に戻っている彌彦様。
実際のところ本当の顔はどっちなのだろうね。ただ少しだけ、その優しい面差しに影がある気がする。気のせいだろうか?
ともあれ、忘れないうちに彌彦様にお礼を言っておく。審判としての立場を逸脱しない、ギリギリの境界線で味方してくれた事を感謝しますと。
妖怪達からお山様と呼ばれる一角の大鬼は、屏風覗きの言葉に言葉では応えず、ただニッコリと笑った。
あの時、短刀を持ち出すのを待ってくれた事。抜いた短刀で手を貫き、その動揺が黒曜Bから消えぬうちに仕合を始めてくれた事。あれは間違いなく屏風側の援護になった。
いくら相手を動揺させてもその心の揺れは何秒も持たない。本当に小手先の脅しでしかなかった。その数秒を生かしてもらえた事が最大の勝因だ。
屏風覗きの勝利はひとりで掴んだものではない。手の自傷はひなわ嬢からヒントを貰った、天狗の事はとばり殿から情報を得られた。ろくろちゃんに仲間に任せる信頼を学んだ、立花様から勝って死ぬ覚悟を説かれ、白雪様から勝利の絶対性を諭され、夜鳥ちゃんから分身の能力を測れた。
そして、こうして生きていられるのはリリ様の治療のお陰である。屏風は様々な後押しの先端にいた、小さな駒ひとつに過ぎないのだ。
みんなみんなありがたくて、大妖怪を屏風覗きが下したなどと思えやしない。
「妙な菩薩顔をするな、気味の悪い」
ひとりで感極まっているところにバッサリ。刀の付喪神様は言葉の切れ味も一級品であらせられる。
改めて上司のお言葉が続く。国の決着はついたがそれはそれ。祭りは神事として執り行っているので十問いは予定通り行うとの事だった。
「まあ気楽に行け。外しても、もうどうということはないのだ」
確かに。賠償を毟り取る相手の天狗たちは筆頭の片割れまで囚われて死に体。十問いに答えても答えられなくても、祭りが終わったら天狗山に軍で踏み込んで宝物庫でも何でも暴けばいいだろう。懸念材料はひとりで逃げた黒曜Aくらい。
国にとってはもう終わったのだ。この祭りは。
だが個人では終わっていない者たちもいる。ここで終わらせるにはあんまりな知り合いがいる。
屏風覗きは挑まなければならない。十問いに? いいや、別の難問にだ。
ここで終わってはふたりの赤しゃぐまと、友情のために奔走した狐の末路が暗い。これこそ屏風覗きはなんとかしなければならない事。
そして彌彦様の顔に影が差す理由が分かった。彼女は審判、答えを知っているのだ。
恐らくは、どんな答えを出そうともハッピーエンドに向かえない結末を。
赤の天狗は倒れ、白ノ国はもうどんな終わり方でも痛くも痒くもなくなった。恐らく華山の悪鬼頭と敵対するようなことも無くなったのだろう。立花様が気楽に行けというくらい、他人事になったのだ。
周りを囲む妖怪たちは白の者ばかり。すべてをやり遂げ弛緩した空気さえ漂う部屋で、大きな体でボツリと座る一角の鬼がとても小さく感じた。
「それでは半刻の後、十問いを行うとしましょう。お山殿、かように屏風は弱っておりますれば補佐をつけることをお許し願いたい」
静かに頷いて了承した彌彦様は、まるで死を観念したかのように薄く笑っていた。その顔に締め付けられるような気分になって、立花様と彌彦様にお願いをする。
お山様とふたりで話させてほしいと。それで何が変わるわけではないけれど、何かしないと後悔しそうな気がした。
既に敷かれたレールは終着点。その場に何があるかはもう決まっているのかもしれない。
でも、どうにかこのお芝居の良い落とし処はないものか。
喜怒哀楽。人はプラスでもマイナスでも、とにかく心を動かす物語を『良い作品』と称する。たとえ読み手の心を抉るような展開でも、それが物語であるかぎりは『良い作品』だ。登場人物の不幸も、死も、みんなエンターテイメントでしかない。
みんな幸せでひたすら平坦な物語はメリハリが無い、起承転結の無い駄作。ああ、ああ、そうともその通りなんだろう。
だけど、屏風覗きはバッドエンドなんて大嫌いだ。大嫌いなんだよ。お山様。