壱と弐の隙間に生るジャガイモ
うわぁ、死んだんじゃないかアレ。そのくらい徹底的で一方的だった。
挑発で突撃を誘って射撃、命中で動きが鈍ったところに油を使って火責め、着火に怯んだところに間髪入れず物理でラッシュ。時間にして仕合い開始から30秒そこらで決着してしまった。
実力差が圧倒的だから早かった訳ではないとは分かっている。むしろ地力はひなわ嬢の方が大きく劣っていたはずだ。これがスポーツ、運動競技やクリーンな格闘技大会なら100回戦っても100回負けるだろう。
だがひなわ嬢が勝利した。惨たらしいほどにボッコボコにして。
それこそギリギリであった証だろう。徹底的であるほど、執拗であるほど、彼女の心の内が分かる。おそらくひなわ嬢の戦い方は1回で済むことが前提なのだ。同じ相手と100回戦うことなんてしない。なら初めの1回だけ勝てばいいと、次なんて無いという考え方。
だからその1回で完全に倒す。再戦などさせないように徹底的に壊す。
次は勝てないから。
そりゃあ執拗にもなるだろう。生きていれば復讐されかねないが、その相手を殺してしまえば次の心配はないのだから。やり口が凄惨になるのは自分が敗北する恐怖の裏返しだ。負けるのが恐い、痛めつけられるのが恐い。
何より死ぬのが恐いのだ。
彼女が奥の手に高値を付けたのも無理はない。文字通りの生命線だからだ。地力に劣るからこそ奇襲戦法を得手とする者は、その種が割れたら一気に弱体化してしまう。奇襲とは公の場で見せればもう成立しない戦法なのだから。
一度世に出れば最後、もしかしたら目の前の相手が種を知っているのではと疑心暗鬼になってしまう。それではいくら上手い戦法でも自信を持って使えない。
ああ、よく分かる。ひなわ嬢は屏風覗きと同じなのだ。本当は弱い。手を変え品を変えどうにか体裁を整えて戦っているに過ぎない。そんな弱者が相手に手心を加えて生かしておくなんて、恐くて出来るわけがない。お礼参りなど真っ平だ。
この戦いは危うかったのだ。一手が不発ですべてがご破算。一方的に嬲られていたのはひなわ嬢の方だったかもしれない。他人にどう見えようと、彼女にとっては己に死臭さえにおい立つギリギリの戦いだったのだ。
称える。その覚悟、その成果、その知恵を。ズルをする屏風がズルの無いひなわを。チート野郎となど恥ずかしくて比べられないほど立派な戦い。卑怯者には眩しくて、穴があったら入りたいほどに鮮烈な勝利だ。
これではどちらが貉か分からない。やはり選んでよかった。弱くて強い者、君は強かだよ。
自然と拍手をしていた。称えるために手を打つという行為は東西を問わない。人が持つ喜びの発露。
「やるやないか」
ひとつだけの拍手に加わってくれたのは、いつの間にか隣に来ていたろくろちゃん。その目は獰猛に輝いて目の前の勇者を素直に称賛している。
「ひなわ、やったか? 評判悪いやっちゃが見直したで。特にしつこく殴ったのがええ。気に入った!」
高評価の基準が駄目押しをキッチリ入れたところのあたり、この傘はどうにも武闘派である。
そこに三つ目の拍手。イケメン全開のとばり殿の手も叩かれる。
「国のために成すべきことを成した。称えるべきだ」
ちょっとだけ何か含んだ物言いなのは複雑な心境だからだろうか。過去の恨みで嫌っているとはいえ、あの有様ではね。この子は優しいので哀れと感じたのかもしれない。イケメンは心までイケメンだ。
「できれば私が引導を渡してやりたかった」
違った。獲物を取られたような気分だったか。幽世で知り合った女の子はみんな考えがマッチョ過ぎる気がします。
やがてあちこちから拍手が聞こえてきた。知恵と勇気を振り絞って懸命に戦った者への正当な称賛、これこそが本当の『評価』だ。つけられた点数だけでは見えない誰かの心を動かした証。
だからひなわ嬢、空虚な顔をせず笑えばいい。今日の君くらいは存分に。そんな半端に笑っては変顔に見えるぞ?
「ひなわ、良くやった」
立花様から確かなお褒めの言葉にひなわ嬢が跪く。すでに返り血で汚れているので衣装の心配はしないでいいだろう。
「景気付けにええ戦いやった。褒めたる」
うんうんとしきりに頷く化け傘も褒めている。ひなわ嬢の話術や技巧の駆け引きなんて脇に置いて、ひたすら殴りまくった詰めの徹底ぶりを称賛している。恐い。
怪我もなく自分の足で戻ってきたひなわ嬢に対して、土と炭に汚れた血達磨の物体は彌彦様の連れてきた鬼によって会場から運び出され赤の陣に入っていった。
敵とはいえ女性がボロボロにされた姿は気分の良いものじゃないな。世の中にはそういう頭のおかしい性癖の持ち主もいるらしいが屏風覗きはノーセンキューだ。女の悲鳴とか悲惨なだけだろうに。
幸か不幸か、軍人姉妹の姉のほうである大渡は瀕死だがまだ生きているらしい。てっきり殺傷で決着したかと思っていた。
決まり手は相手のギブアップ。屏風覗きには聞こえなかったが、彌彦様が仕合を止めたのはノックアウトでもテクニカルダウンでもなく『まいった』の声が聞こえたから、らしい。これはとばり殿もかすかに聞こえたと言っているので本当だろう。
この仕合形式の決着は相手に『まいった』と言わせるか、殺すかのみ。失神するなどして声を出せなくなれば止めを刺されると考えた方がいい。わざわざ起こしてギブアップを宣言させるような甘い事はないだろう。
そういう意味では虫の息になった大渡の声を聴き分けた審判は頼もしいな。ある程度は保険になる。
つまり白側は最悪ギブアップすれば選手の命は助かるということだ。逆に赤にとって敗北は死刑台に立たされるカウントダウンであり、無駄に苦しむ時間が増える可能性が高い。耐えかねてギブアップした大渡も、ここで生き残ったところで賭けに負ければ黒曜の一派として獄門台行きとなる。
それだけ賭けの本番、十問いの難度に自信があるのかもしれない。これさえクリアされなければあいつも生き残れるからな。どれだけ見苦しくても生き残りに賭けるのは生者の犯し難い権利だ。笑ったりはしない。
たとえ無様だろうと恥で腹掻っ捌くほうがよほど頭おかしい、無様な行為だと屏風は思う。江戸時代の武士という生き物は一体誰と戦っていたんだか。
まあ屏風覗きは死んでもギブアップできないけどな。一切の言い訳ができない発案者だもの。責任から逃げ回ったらそれこそ恥ずかしい生き物だ。
それでも次に戦うとばり殿の、もしものために審判の彌彦様の耳が良いのはありがたい。
お願いだから意地を張って死なないでほしい。もう半分は獲ったも同然なのだから。残りの権利より君のほうがはるかに大事。
ひなわ嬢に賭けられていた質問権は3つ。これで無条件のひとつを加えて4つの質問ができることになった。等分で3,3,3で分けたからな。残りのとばり殿と屏風覗きも賭けた質問権は同じく3つ。10のうち4なんだからほぼ半分と言っていいだろう。
ちなみに最初は4、4、1。もしくは3、5、1くらいを恥ずかしながら提案したのだけど、これは全員から却下されている。連戦という傲慢を反省して勝ちの固いオッズに突っ込むことを考えたのに。
それでも現状を見るにこれで正解なんだろう。賭けられた質問権が多いほど参加者へのプレッシャーも大きくなるわけだし。責任も等分のほうが公平でいい。年上の言うことは聞いておくものだな。
だから危なくなったら棄権してほしい。後は何とかするから。
最初は屏風が当たる黒曜の分身体の実力が未知数であることを考慮すると、賭け金は最小であるべきと思ったんだがなぁ。勝負事は蓋を開けるまで分からないものと痛感する。
「馬鹿屏風っ。少ないからと負けていいわけはないぞ。それにおそらく、どの勝負も負けたら死ぬ」
唐墨は弱くない。そう言って己の右拳を左手で包むとばり殿。同じ天狗としてこの子が一番相手の技量を理解しているだろう。その勇ましい姿は気合を入れているのか、恐れを隠しているのか。
不意に嫌な予想が頭を過る。姉が悲惨な事になったことで、報復とばかりにことさら残酷に痛めつけにくる敵の姿を。もしそうなったらどうすればいい? 鬼の目を盗めるか? それとも直球で妨害するか?
ああ、なんでこんな自分自分の、身勝手で卑怯なことばかり考えてしまうのか。信じて見守るしかないのに。そう決めたのに。
最悪、鬼に殴り殺されてもこの子が生き残ればいいやと思ってしまって。
だからつい、ふたりが勝てば自分が負けて死んでも大丈夫なんて口走ってしまった。
途端に脳天に衝撃が来て蹲る。痛みの直前、視界の端に傘を振りかぶってジャンピングサーブみたいに飛び上がったろくろちゃんの白い褌が見えた気がした。やっぱり短いって、なんとかしなさい。
さらに打撃、とばり殿が拳骨を掲げて仁王立ちしている。三度目の痛み、鉄の拳骨を持つ立花様。そういやまだハチマキしてるんですね。四度目、意外と固い扇子で白雪様。五度目、ぺちっと平手を乗せるように夜鳥ちゃん。
そして屏風のこめかみを拳で挟んで、いわゆる梅干しなんて言われるグリグリをしてくるひなわ嬢。痛い痛い痛い。
「いけやせんねぇ。旦那に死なれたら金はどうなるんですか? 約束破るなら骸は埋葬しませんぜ」
あの約束は今回の次でしょ。だから痛いタイムタイムタイムっ。
「これは国の威信を賭けて行う祭りだ。ひとつとて負けが許されると思っているのか馬鹿屏風」
もう思っていないので拳に息をかけて二撃目の準備はやめてください。
「死ぬなら勝って死ね」
ウッス。
「戦う前から気持ちで負けてはなりませんー」
御身足が汚れるので正座でのお説教はお止め下さい。ハチマキ似合ってますな。学ラン来たツッパリ猫を思い出しました。
「ええっと、特に申し上げることは無かったのですが、つい流れで」
痛くなかったのでOKです。音は出るけど痛くないツッコミは古典漫才師の必須技能らしいですよ?
ひなわ嬢を引き剥がしてしばし、やっと痛みが治まってきた。幽世で過ごしているとそのうち頭がジャガイモみたいになりそうだ。
「この、ドアホッ!」
最初の折檻の主が腕組みしながら見下ろしてくる。説教の前に正座させるとばり殿と違って、こっちは自分からジャンプしてでも頭を殴ってくるタイプらしい。そういや垂直でもメートル単位で跳べる子だったな。
「おどれが死んだら十問いはどうすんねん。あ゛?」
こいつら取った勝ち分、みんなにいやんに渡すつもりやで? そんな聞いていない事を言われて目が点になった。あと語尾の威嚇がとても恐い。
「頭を使うのは勘弁でさ」
死闘を終えたばかりのひなわ嬢が、せっかく勝ち取った物を触りたくないというように頭を振った。ふたつの拳がまた顔に近づいてきたので両手で止める。くそぉ、思った以上に力が強いぞ。
「たぶんだが、おまえしか答えに辿り着かんと思う」
次に戦いに挑むとばり殿が、こちらにすべてを託すと言って首肯する。ついでに夜鳥ちゃんと一緒にひなわ嬢を引き剥がしてくれた。その期待は中身ペラペラの屏風にはとても重い。
だが抱えて進むしかない。
どれだけ勝っても問いに答えられなければ無意味。それでもひとつでもチャンスを増やすことが今は大事か。だからこそとばり殿に向き直り、改めてお願いする。
君も五体満足で生きて帰り、勝ってきてほしいと。
「任せておけ」
おまえの番にまた世迷言を言うならこうして叩いてやる。友はそう言って小さく笑った。