祭りの開幕
祝日前倒し分です。
詠み上げられる祝詞の声の波。金毛様の祝詞を海の波とするなら、彌彦様の祝詞は木霊のよう。山々に響き渡る修験者の祈りのようだ。
それまで妖怪たちの喧噪まみれだった神社は静寂に清められ、たったひとりの祈りに誰もが耳を傾ける。
華山の鬼、悪鬼頭、お山様と呼ばれて恐れられつつも親しまれる黒い一本角の鬼。彌彦様の大きな腕と胸に抱擁されるような感覚の中で黙する。
神へのあいさつに始まりこの祭りを行う理由、祭り賭けに選ばれた六名の名、その異名の由来、いかに競うかを神歌として謡い上げる、らしい。
祝詞独特のリズムと発声、さらに難解な言い回しのため残念ながら屏風覗きには『言葉』として聞き取れない。たまに聞こえる固有名詞でなんとなく誰かの紹介パートに入ったなと分かるくらいだ。
謡う鬼の背中は大きい。雰囲気に飲まれての錯覚か、今この時に限って言えば5メートル近くある気がする。それだけに鈴のついた豪奢な飾りに身を包んでいても小物とのサイズがおかしなことになっている。元の物が金毛様でジャストフィットなサイズなので、彌彦様ではどうしてもミニチュアになってしまうのだ。
金毛様。やはりあの方が祝詞を読むことはなかった。黄ノ国でもお尋ね者として分身体が捕らえられ幽閉されているらしいので心配だ。
ただ白で軟禁している方は本体らしいが、この事をどう思っているのだろう。残された分身の自分が罪に問われることは分かっていたはずだ。無論、全員で覚悟の上であったのなら何も言うことはできないのだけど。
術の事などさっぱりの者からすると、分身だからとて無体はしないでほしい。夜鳥ちゃんのような例もある。分身にも個が芽生えているかもしれないのだ。便利使いするのは倫理観的に気持ちがザワザワする。
そう考えても最後は誰が本人だという話になってしまうので他人は深く突っ込めないのが歯痒いな。たぶん本人他人誰もが納得する術はない。怖い術を作ったものだ。現世でクローンに手を染める危険性が叫ばれるのも頷ける。
全員を本人とするか、全員の人権をひとつで認めるのか、死亡した端からクローンを作れば生きているといえるのか、クローンにそれまでの記憶を与えれば当人なのか。考えれば考えるほど恐ろしい結末に辿り着きそうだ。
横目にチラリと見た黄ノ国用の貴賓席では袈裟を着た狸っぽい女性たちが小さくなってる。狐がダメなら自分たち狸がとばかりに今回の進行役として手を挙げた彼女たちだったが、『九段神社に祭られている御方』に睨まれたとの事で資格無しと言われてしまい恥をかくに終わった。聞き耳を立てただけなので詳しくは分からなかったが、あの目が動く狛犬の石像の事らしい。
悪党とはいえ狐に恩を感じて神社を建立したほどの実力のある犬だったらしいので、イメージ的に狐の反対とも言える狸が我が物顔で神社を仕切るのはアウト判定を出したようだ。というかやっぱり何か憑いてるんかい。幽世でもかなり悪名高い有名犬らしいので亡くなっても何かしら力が残っているのだろうか。
九段神社所縁のいくつかある小話のなかには、罪人の自分の亡骸を引き取って供養してくれたことに感謝して、犬の幽霊が狐の枕元に立って隠し財宝の在処を伝えたというエピソードもあった。ただ代わりに仏教は嫌いだから連中と分けて祀ってくれなんて要求も言ったらしいが。
犬は仏教というより坊さんが嫌いだったらしく、訳知り顔で説教する坊さんを殴ったなんてエピソードも聞いた。なるほど、狸たちを嫌がるのも無理はないな。
そうして白羽の矢が立ったのが今回も審判も務める彌彦様。狛犬の中の『何か』も彼女は認めているようで進行が任されることになった。さすがに神事の勝手の分からない他の鬼たちでは些事について手が回らないので、会場にお越しになった高名な神社関係者の方に協力を得て妖怪手を確保したらしい。そういう意味では神事を執り行える彌彦様って実はインテリなのかな。
会場の妖怪たちの話の中に、あの方は平安の頃から存在していたという言葉があったし、その辺は信心深いお祖母ちゃん的に詳しいのかもしれない。
ただそれらよりも驚いた点として、彼女の右腕が義手だったことが判明した。肘当たりからバッサリと無いのだ。断面が黒い靄のような何かに包まれていて、祝詞を詠み上げる間は側近の黒鬼に取り外した手を預けていた。
この腕、義手と言っても本物と見紛うほどの代物で屏風覗きにはまったく判別がつかないくらい精巧だ。ただし良く出来ているというよりも、『生ものっぽい』と言ったほうがいい感じ。だって外しているのに布を敷いた盆の上でピクッと動いているんだもの。怖い。
「婆の作品なんですよ、アレ」
こちらの視線の先に気が付いたのか、小声でそう言ってきたのはひなわ嬢。なるほどあの鬼女氏の逸品か。あの方は皮職人という単語が頭を過るが、横にいるひなわ嬢の姿を見れば納得だ。
便宜上皮職人を名乗っているだけで、皮だけじゃなく肉や骨など全般で扱うのだろう。どこか自慢気なのは知り合いの作品だからか、あるいは自分も同じ匠に世話になっているからか。たぶん両方だな。
「黙ってろ馬鹿」
反対側から同じく小声でとばり殿の叱責が飛ぶ。前回の祭り賭けと同じ位置にいる友人は、気のせいか以前よりも目に力を宿している気がする。ただ同時に気負い過ぎな気もする。あのときは合間にフワフワしたイベントがあったので屏風覗き的にはリラックス出来てよかったな。そのときもこの子はずいぶん高揚していたしそこまで気にすることじゃないか。テンション大事。
リラックスしているひなわ嬢と緊張しているとばり殿。ふたりに挟まれた屏風覗きはその中間というところ。
対する赤陣営は今にも噛みついてきそうに大渡、呪いめいた視線で睨みつけてくる唐墨、そしてじっと屏風覗きを見ている黒曜という様相。こっちも二名ほど不謹慎だがおまえらもガン飛ばしてないで神様に挨拶せーよ。
ほんのちょっぴり、本当にちょっぴりだが気持ちは分かるがな。一族の命運が掛かっているし、軍人姉妹からすれば雪辱戦だ。リベンジで気合が乗らないようなタイプは勝負事に向いていない。負けてもいいやでは大事なところで最後のひと踏ん張りが出来ずに勝てないものだ。
あんたらが死のうと負けてやるつもりはサラサラ無いが。過去を水に流すにはあんたらの行為は濁り過ぎている。少なくとも屏風覗きはそんな汚い水は触りたくない。遥か涅槃の先におわすお釈迦様にでも捧げてくれ。
「ではこれより、くじを行う」
いけない、馬鹿天狗たちがシッダルーダ様に滞空時間の長い回し蹴りを食らう想像をしていた間に神事が進んでいた。最後まで脳裏に引っかかっていた連戦の案はここで完全に廃棄する。選手をお披露目しておいて出さないのでは、ここに出てくれたふたりに恥をかかせてしまうし観客も馬鹿にされた気分になるだろう。
なんの話かは濁すが、ガッツリ出ているのに攻略非対象キャラとかクレーム案件である。ファンディスク商法とか完全版商法とか何とかしてくれ。後者はせめてセーブデータを共用させてくれ。また最初からスタートとか時間泥棒もいいところでしょう? やるけど。
くじはひもを引く形式のようだ。6本あるこよりを前回勝った白が最初に引き、次に赤と交互に引くらしい。
「白の屏風覗き、引けぃ!」
ピシャリと雷が鳴ったような厳しい声が響く。いつものほわほわした彌彦様からは考えられない強い発声だ。これこそが平安から生きる大妖怪、鬼の彌彦の本来の姿なのかもしれない。
しかしビックリした。勝手に階位順でとばり殿、ひなわ嬢、屏風覗きの順番だと思っていたので予想外。左手に乗せられた箱から突き出ているこよりのひとつを引く。これを広げると番号でも書いてあるのだろう。まだ広げず持っておく。
次に黒曜が呼ばれ、とばり殿、大渡、ひなわ嬢、最後に唐墨が引いてくじは終わった。
「おのおの、くじを解いて見せい!!」
合図と共に丸まったこよりを解していく。風で飛ばしてしまったら怒られそうだし慎重に。書かれている文字は墨で、墨で、なんだこれ? スタンプ? 偽造防止のためかかなり難解なデザインのマークが絵描かれていた。漢数字なら良し、最悪は中二臭い梵字でも書かれているんじゃないかと身構えてしまったよ。
「天の采配は下された!! 壱の祭り、ひなわ! 大渡!」
会場が沸く。このカードの賭けを始める声も聞こえてきた。好きだな君ら。
にやぁと、人を馬鹿にした笑みを浮かべるひなわ嬢。その目線の先には不満顔の大渡。とばり殿か屏風覗き、前回の対戦相手に当たりたかったようだ。もっともその不満顔はうちの問題児の顔を見て即座に憤怒に変わった。直近の怒りに塗り潰される辺り、やはり頭はよろしくないらしい。
「弐の祭り、唐墨! とばり!」
会場が再び沸く。こちらはホームということもあってか、とばり殿への応援がとにかく大きい。この声援がこの子に力として乗ってくれることを願う。あと一番前に陣取る夜鳥ちゃん、鼻血を拭け。
こちらは因縁の対決。とばり殿はレースの最終局面で唐墨に術で攻撃されて負傷した恨みがある。唐墨は自分の暴挙を棚に上げて階位を下げられた恨みをこちらに向けている。どちらも視線を切らずメンチを切ってる状態だ。
そして三組のうち二組が決まれば、おのずと最後の対戦カードも決まる。こちらに食いつくような視線を無視して、前ふたりがやったように屏風覗きの手にしたくじを会場の皆に見えるよう掲げた。
「参の祭り、屏風覗き! 黒曜!!」
いよいよ会場が沸く。これは黒曜のものが大きい。赤の関係者も結構入っているからだろう。ここに来れるくらい裕福ということは、黒曜に旨味を貰っているということだからな。加えてこっちは知名度の皆無の偽妖怪だ。スター選手の対戦相手が無名ではファンも戸惑うだろう。
「屏風様ー、がんばってくださーいー!」
奇声さえ上がりだした会場に間延びした声が響くと、途端に誰もがその方向に目を向ける。
え、え、え、そんな表情を作る妖怪たちにかまうことなく額にハチマキ、手に扇子を持った白毛のモコモコニャンコが三三七拍子で踊っていた。そしてその横には悟りを開いた顔の、同じくハチマキをさせられている立花様。
そして妖怪たちが波のようにひれ伏していく。あのね、もうね、学習して白雪様。この光景二回目ですよ。嬉しいけど。