暗・密談
誤字脱字のご指摘ありがとうございます。
本当に久々でラーメン食べに行きました。本命のコテコテラーメンより餃子のほうが美味しかったのが地味にショック。あれ、こんな味だったかなと記憶の中の味わいとの違いに困惑中。
ハゲという子供が大好きなパワーワードで仏頂面の友人にささやかな笑顔を提供していたところ、ダチんトコで油売ってないで戻ってこいやと城に呼び出された。つつつと画面レイヤーがスライドするように近づいてきたフヒッ子こと夜鳥ちゃんからの伝言である。
「お楽しみのところ申し訳ありません」
申し訳ないといいつつ眼福と言わんばかりの笑みにちょっとイラッときたが、女の子に鼻の穴が膨らんでいるぞと指摘するのもかわいそうか。プクーという擬音がピッタリの広がり具合だ。
妄想は自由。しかしとばり殿と屏風覗きは腐った妄想をするような間柄ではないぞ? だからいつもの陰のある目つきが嘘みたいに瞳をギラギラさせるんじゃない。邪悪な気配を感じたらしいとばり殿が飛びずさったのも無理ないわ。
「これは傷を見ていたのだっ、他意はないからな!?」
傷=ハゲの隠語であることは想像に難くない。屏風覗きのセンシティブな問題にマイルドな表現をしてくれる友人の優しさが頭皮に染みる思いだ。
昆布が効くのは迷信らしいけど藁にも縋っておきたい気分である。こうして人は怪しい商品に騙されるのだろうなぁ。
二妖怪のやり取りを眺めつつ、店主の小豆洗い氏を呼んで夜鳥ちゃんの分のあんみつを注文しておく。
あんみつは厳密にはみつまめ菓子の一種で、あんこ加えたことからあんみつの名がついた。この菓子の発祥時期は昭和初期であり江戸然とした幽世とは実は時代感が合わない。まあそれを言ったらみつまめも明治の代物なので時代考察する意味もないけれど。
洗屋で提供しているあんみつはかなり近代的で固形の具材として白玉、寒天、赤えんどう。これに果物として旬の枇杷と杏子、サイコロ状に切った鳳梨まで入っている。黒と黄と白、それに梅を練りこんだ白玉のピンクが可愛い一品だ。
店主由来のあんこ関連は別店にも卸すほど高品質の粒あんで、黒蜜を垂らした状態が最良の味になるよう作っている入魂の逸品である。ちなみにここまで食いしん坊情報です。
鳳梨はパイナップルの事で日本に入ってきたのは江戸時代。ただしこれは事故による偶然のエンカウントであり、栽培はそこからずっと後の昭和に入ってからになる。
南国の植物だけに栽培は年中暑い場所、確か沖縄でスタートしていたはずだ。幽世ではどこで栽培しているのやら。
すっぱいのは極端にすっぱいからシロップ漬けの缶詰ほうが好き。クソ高いのは驚くほど甘いけど驚くほどクソ高いので困る。
洗屋のパインはちょっとすっぱめではあったが、あんこと黒蜜をセットで食べるとバランスが良かった。狙ってチョイスした酸味であるなら見事という他はない。
ちなみに一杯で国の補助があってなお35文(約3500円?)の高級品である。砂糖もそうだが果物がそこそこ高いための弊害だ。
例外で林檎と桃、そして柿の三果実は建国初期から生産に力を入れているので近年は庶民でも旬に口にできるくらい安いらしい。ナイス御前ナイスビタミン。
良い果物高い問題に思いを馳せていたら隊長殿との上司と部下的やり取りが一区切りしたらしい。
屏風覗きの左手側に気負いなくちょこりと座った夜鳥ちゃんは、富士額のテカり輝く主人が持ってきたあんみつを受け取りニヤアとはにかんだ。
ニヤッではない、粘っこくニヤアである。擬音と女の子らしいリアクションが一致していないのはご愛嬌。
「頂いてよろしいのですか? 嬉しいです」
あんこも蜜もつかないよう丁寧に掬った瑞々しい枇杷を口にして、ニヤリと微笑む。五寸釘を口に含んでいるような笑みだがご愛敬である。
「屏風、城に呼ばれたのだからさっさと行け」
微妙に冷たい声質で怒られた。真面目なとばり殿にはゆっくりし過ぎに見えたようだ。
「隊長、急げとは言われておりません。これを頂いたらわたくしが送りますのでご安心を」
腰を上げようとしたら夜鳥ちゃんに袖を掴まれ止められた。東の町は偽妖怪にもかなり安全に感じるのであまり気にしていなかったが、やはりお上りさんにはまだまだ護衛がいるということだろうか。
いや監視か? 金毛様の件からこっち南の騒動に猩々緋様とのやり取りと、ちょっと外から見た立ち回りが怪しいという自覚はある。立花様からの疑いも完全に晴れたわけではないのだろう。
夜鳥ちゃんが食べ終えるまでに主人に持ち帰り用のようかんを1本包んでもらう。非常においしかったのでおみやげとしてもっと買いたいころだが、これ以上は国興院に詰めている兵士たちの分が無くなってしまうかもしれないので自制した。
大人こそ買占めは自粛すべし。お金持って張り切って店に行ったら無いときの、あの虚しさは大人でも子供でも変わらない悲しさである。
しかし今回もリサーチ不足だった。前回学習して差し入れに持ち込んだくねり屋の菓子も、この味が相手では兵士たちが喜んでくれたか微妙なところ。さすが白ノ国、ちゃんと店の実力を調べて良い店を贔屓にしているらしい。次は露店に無い変化球でも検討しよう。
それからとばり殿は夜鳥ちゃんを急かすようにずっとこちらを睨みつけていた。当の雀は上司のプレッシャーなどどこ吹く風と焦ることなく器の隅まであんみつを存分に堪能していて、なんかこっちの胃が痛くなってきたよ。
ヒラヒラと舞う金糸を使った袖の蝶。それまでの共通した禿っ子の赤い着物から一妖怪だけ墨色の着物に変えた雀、夜鳥ちゃんは道中ずっとご機嫌だ。奢ったあんみつがとてもお気に召したらしい。
確かにあの計算された緻密な味わいは職人芸だった。炭水化物で腹が膨らんだ屏風覗きでさえ、友人のお付き合いと思って頼んだあんみつをアッサリ完食できたくらいである。秘訣はフルーツに酸味の効いた杏とパインを敢えてチョイスして、あんみつの舌が怠くなりがちな甘さをスッキリ出来るところだろう。もちろん赤えんどうの粉っぽさも忘れてはいけない。粉っぽいというと悪いイメージになりがちだが、あれは昭和の喫茶店あたりのパフェに添えられたウエハースのようなもの。過剰な水気を受け止めるお腹に優しい固形物なのだ。白玉に梅を練りこんだピンク色の味替わりがひとつだけあったのも心にくい。そうめんの色付き麺のようについ特別視してしまう。定番のお抹茶は幽世ではまだまだ高級品らしく緑色の白玉が無かったのが画竜点睛で惜しまれる。出来れば現代のように甘味処で手軽に飲めるお抹茶があれば、さらに珠玉のあんみつが引き立ったろうに。でも最近の『抹茶味』って『お蚕様の糞』だからなぁ。漢方として使われてきたから問題ないんだ安全だと言い張る企業様、君らイメージ悪い自覚があるからハッキリ明記してないんだろ。成分表フワッとした物に変えたり『風味』とか書けば通ると思いやがって。
「あの、屏風様? お考えのところ申し訳ありません。少々お話をいたしたく」
辺りを舞うように歩いていた夜鳥ちゃんがいつの間にか隣にいた。屏風覗きが呼んでも返事をしなかったので袖を引いて気が付かせに来たらしい。
満腹な上に甘いものまで食べて脳に血が行っていなかったようだ。ぼちぼち運動でもしないとバナナと思って口に入れた拳銃で自分を撃ってしまいそうな体形になってしまう。
こちらの袖を掴んだまま左右に振って遊び始めた夜鳥ちゃんに話を聞いてみると、先日の南の一件がかなり大事になってきているのでお国の仕事であっても近づくときは護衛を付けて来たほうがいいとの事だった。
「みずく花月、みずくの姐さんが一応仕切っていますが砂上の楼閣です。近々抗争が起きると思います。そこで、なんですが」
この際血の気の多い連中を一掃して、屏風様が仕切りませんか?
彼女の背丈に合わせて腰を落とした屏風覗きの耳に、鈴を転がすような声で物騒な囁きが聞こえてきた。
思わずまじまじと見た雀の顔は陰気な目つきに相応しい、人肌の底なし沼のような優しくもおぞましい野心が溢れている。
一度足を入れれば抜くことも浮かぶことも出来ずにじわじわと沈んでいく、何処を向いても真っ暗な世界への誘い。
「冗談です。フヒッ」
冗談。冗談か、そういうことにしておこう。こちらの興味が薄いと判断して切り替えた立ち回りの良さは評価する。出来れば協力者の手を取る前に使い物になるか判断できる頭を持ってほしいな。
金も権力も相応の対価を払い続けて維持するものだ。
それは昼夜問わない命の危険だったり、人間関係のすり合わせみたいな面倒でストレスしかない日々だったり、身も心も疲れ切っても面子のために突っ張り続ける人生だったりと、上は上で大変なのだ。
特に欲と暴力が当然の如く表に溢れるような業界では。
どれだけの金が自由になろうとその金で息継ぎも出来ない人生は御免被る。
「姐さんから対話の仲立ちを切にお願いされております。しかし今後屏風様の力添えが無いとなると、ひと月ほどで『話も』消えるでしょうから向こうから接触を謀ってきても無視してくださいませ。わたくしもどうにか躱します」
話も、の辺りのイントネーションが不穏だった。消えるのは話が先か、あるいはってところだろう。
雀、いやらしい物言いをする。名のある妖怪が何妖怪抗争で血花を咲かせても町自体が消え去るわけではない。
消えた数だけ別の連中がタケノコみたいにポコポコ生えて、野心なり義憤なりを燃やして南に彼らなりの秩序を作ることになるだろう。
それ自体は『好きにやってくれ』で屏風は構わないんだが、今まで頭を押さえられて幕下にいたような連中では管理能力が疑わしい。
下剋上する力はあっても運営する能力はありませんとか、反乱や革命のその後でよくある話だ。現実でも植民地で奴隷解放したら逆にとてつもなく荒廃した国とかね、何十年経った現在でも麻薬に犯罪にと酷いものだ。
さて、仮にここで傍観して前の権力者『牡丹女郎』が仕切っていた頃より南の情勢が悪化したとしよう。その降板劇に少なからず加担した屏風に責任がありません、とはちょっと言い難い。
もしこのまま暗がりの社会なりに白ノ国の収益になっている南の歓楽街をダメにしてしまったら、恐らく立花様も黙っていないだろう。
それに日陰には日陰の優しさがある。本人の責任でなくとも真っ当に生きられない運命を背負わされた者や、日向には戻れないけれどその境界で踏み止まる者、暗がりの中でそれでも互いを暖め合う者たちだっている。
そんな訳あり連中を抗争の激動の中で日の光の下に引きずり出してしまうかもしれない。それは本当に『良い事』だろうか。
善人面で陽を浴びせ、どうだ暖かいだろうと小さな幸せを焼き尽くすような『良い人』。もちろんそれは『良い事』なんだろう。善意の手を払う愚か者なんて助かる価値はないと切り捨てず、その意志を無視しても無理やり助けたほうが『良い人』だろう。
誰の手も借りない、借りるくらいなら死んでもいい。そんな極小数の偏屈者以外にとってはたぶん『良い事』だ。『良い事』のはずだ。『良い事』であるべきだ。
たぶん、おそらく、そうであってほしい。泣いてる子は少ないほうがいい。
直に矢面に立つのはいい。後ろで睨みつけるくらいならいい。いちいち交渉とか、いちいち挨拶回りとか、とかく悪臭のする南の宙を手で掻いて泳ぐような面倒な日常は送りたくない。
荒事以外は全部そっち。それでいいなら話くらいは聞く。
「つまり影の支配者ってヤツですね? フヒ、フヒヒッ」
違う。それと城の前に着くまでにその邪悪な笑みを何とかしなさい。