緋・その2
「国人の道楽なワケ? 白は金持ちでいいわねっ」
屏風覗きのお取り立ては漫遊録の編纂かと、馬鹿にするというより僻みの気持ちが強い物言いをする猩々緋。
国の大きさは赤が勝っているのに、白は人を道楽目的で雇えるのかと腹を立てたようだ。
部外者がこう言っちゃなんだが、赤が貧乏になったのは経済循環が権力者の暴政で滞っているからだろう。
偉そうに言えるほど経済知識も無いけれど、利益を吸い上げるだけで下に還元しないのは土の栄養を取り上げるようなもの。どんどん作物が取れなくなって当たり前である。これは素人でも分かるぞ。
金が循環しない政策は先細りを免れない。人間なら自分の任期や寿命まで平気ならいいやで無茶苦茶しても『もう別部署だから関係ない』『高齢で服役出来ない』『既に墓の下』で権力者は飄々と逃げ切れる。
しかし、人のタイムスパンでは測れない妖怪でそうはいかない。長生きも善し悪しだな。
赤はなぜ政策を是正せず飢餓に喘ぐ者たちを放っておくのか?
心のどこかで燻っていた怒りに引き摺られてつい聞いてしまったこの質問に、猩々緋は口を一文字に結び眉を吊り上げた。
「私だって何とかしようとはしたわよ。でも、みんな言うこときいてくれないし、やっと通した策だって、あんたたちが勝っちゃったから」
怒りで発作的に発した声が徐々に萎んでいき、最後は疲れ切った人がする特有の『笑うしかない』系の口振りだった。ただし俯いた顔はまったく笑っていないし、見える目はジトリと据わっていて怖い
。
「よくもやってくれたわよ。国人が敵地に行って、恥かいて、どれだけ嗤われたか。あんたに分かる?」
思わぬところで九段峠の恨み節を聞かされた。あのレースはお祭りの催しというより国対抗の賭け試合であり、赤が勝てば無償で食料支援を、白が勝てば赤ノ国が持っている『権女を授ける権利』をいくらか渡すという取り決めだったらしい。
抵抗する連中はどこまでも自分たちが損をするのが嫌。なら他の国から奪う案なら通るだろうと考えた案だった。そして実際に案がすんなり通っているわけで、猩々緋でなくても苦い笑みしか出てこないだろう。
さらには負けて成果なし。踏んだり蹴ったりである。
しかしながら、猩々緋様は無償とか文言に入れる時点で、国としてかなりアレだということを理解していらっしゃるでしょうか?
それにもっとお行儀のよい選手とレースだったなら、負けてもお情けがちょっとは期待できたろうに。
「馬鹿天狗が全部ぶち壊したのは分かってるわよっ。本当は連れてきたくなかったんだから!」
敵対派閥に捻じ込まれてしかたなくって事か。当妖怪たちの責任は当然として、アレを妖選したアホも責任を取ったほうがいいだろう。
まあ、赤ノ国のその後を見る限り件のアホがまだまだ強い権力を持っているようだが。
「大当たり。帰ったら城に天狗だらけでびっくりしたわ」
帰国後には天狗の派閥がさらに強まっており、参加者に彌彦様がいたことで責任転嫁こそされなかったが、妖選ミスについては完全にはぐらかされたらしい。集合体の弱い面だな、ちょっとした勢力変化で協調も取り決めも意味が無くなってしまう。
さらに勝負の勝ち負けについても猩々緋の力不足を暗に言い募り、選手の責任は不問の流れを作られたのでは、そりゃこの子でなくてもキレたくもなる。
思い出し怒りでギリギリ歯を鳴らす娘は、吐き出す機会を得たとばかりに悪口が止まらない。
中でも『黒曜』という大天狗が赤の最大の癌だと騒いでいた。これが天狗派閥で一度失脚した妖怪なのだが、どういう根回しをしたのか盛り返して天狗一党の長に収まっているらしい。
その悪行の最たるものは徹底した身内贔屓。幽世の時代感を考えるとある程度しょうがないと思うが、その幽世の住人をしてやり過ぎと声を揃える滅茶苦茶ぶりなのだという。
「九段に付いてきた姉妹天狗たち、あの二羽は黒曜の姪なのよ。あああもうっ、腹立つ!!」
猩々緋は賭けで負けた責任と、交渉の足を引っ張った不始末を当人たちに問うた。当然これは姉妹の後ろにいる黒曜にこそ任命責任を追及するためのもの。
案の定、二妖怪は己が責任を問われると叔母の黒曜に泣きついた。だが、その黒曜本人は責任の所在をはぐらかすだけ。この期に及んでも姉妹と黒曜自身は責任を取る気配がまるでなかったらしい。
うん、いるよね。何を問い質しても全然関係ない話を始めてうやむやにしようとするヤツ。
しかし、さすがに猩々緋以外の多くの派閥からも批難された黒曜たちは、天狗一派が身内の不始末を預かる形で場を収め、後日改めてという流れなったらしい。
しかしなんだ、その場で断罪し切れず逃げ切られたあたり、天狗と他派閥の力関係を如実に表しているな。聞いていて嫌な予感しかしない。
だいたいの人は知っていると思うが、責任逃れの常とう手段のひとつは『日を置く』だ。普通の人の怒りは長期間持続しないので、時間を置くことでお咎めが軽くなるのを狙うせこいテクニックである。
加えて時間稼ぎの間に他派閥への根回しなんかをされたらあら残念、多数決の裁判は覆ってしまうというわけだ。
ただ完全にお咎めなしでは格好がつかないので、天狗で処罰するから手出し無用と付け加えるのがいやらしい。とは猩々緋の談。
被害を被った彼女を蚊帳の外にして天狗で進めてしまうとか、完全にナメられている。
これで本当に妥当な処罰を加えたならまだ溜飲も下がろうが、そこはやはりお天狗様である。どんなケジメを取らせたのか問えば、言い回しを小難しくして煙に巻いた物言いを解読するかぎり、平たく言って口で叱っただけだった。実質的にお咎めなしである。
国益を特大で損なって口頭注意で済ませるとか、どんなお役所だよ。本当にひどいな。やりたい放題である。
ただ、唯一の慰めと言える事もあった。二羽のうち口数の少なかったほう、唐墨という天狗は祭り賭けを汚したとして彌彦様によって階位を大きく下げられたという。これは傲慢な天狗でも無視できない、力を背景にした強権であったので大人しく罰を受けている。
あのルール違反の事、彌彦様もアウト判定だったか。うやむやになっていたかと思っていた。しかし、本来なら処刑の判決だったのに黒曜必死の泣きつきによって華山への献上品と引き換えに降格で済んでしまった、という結末はちと業腹だ。
黒曜という大天狗め、怒った鬼相手に己の要求を飲ませるとか大したものだ。その粘り腰が謎の復権の秘密かもしれないな。腹が立つだけで褒める気はまるでしないけどなッ。
こっちは鬼を止めるだけで毛根を犠牲にしたと言うのに。
さっき触ったら後頭部の一部、きれいに親指の先端くらいの面積ゴッソリ抜けてたわっ。
屏風覗きの頭髪はどうでもよくないがどうでもいい。一番腹が立つのは反則で怪我をさせられたとばり殿の事だ。痛い思いをして丸損じゃないか。
この辺が鬼と狐の個人的な温情からくる査定なのだとしたら酷い審判もあったもんだ。ある程度は国同士のバランス調整、白の独り勝ち状態の牽制のためもあるだろうけどさ。調整に使われた下っ端はたまったものじゃないぞ。
あの鬼にはルールにもう少し公正で厳格なイメージがあったのに。華山とて所詮は他国か。
そりゃ自国の利益のため、上に立つ者として清濁併せ含む面もあるのだろうさ。ゆるふわ系の顔して尊敬するよ、悪い意味でな。
どれだけ聞いていただろう。長い長い愚痴が途切れた。格子の向こうの目は充血も治まり、陰のあった顔はだいぶスッキリした顔になっている。自国で吐き出せない鬱憤がようやく吐き出せたようで少しは気が晴れたのだろう。
聞いてる側は地味にストレスが溜まったわ。これも情報収集の対価と割り切ろう。
「膳を変えて頂戴。お腹減ったわ」
オメーの飯はそれだバカタレ。汁くらいは温め直してやるからぶっかけて食えっ。こっちなんて汁が無いからカチカチおにぎりだぞ。
気力が戻ったらおクソガキ様復活で大変やかましかった。ちょっと食い物のありがたみを語っただけで、あーうるさいうるさいと聞きゃしない。同じ顔の茜丸氏のほうは無知でも黙って聞く可愛げがあったのに。
温め直して全部食わせたけどな。油ギットリの天ぷらで胃もたれになってしまえ。食後にお茶飲んどけばだいたい大丈夫だ。
こちらも汁物の椀持って台所まで往復するの結構恥ずかしかったよ。会う妖怪が残らず『なんだコイツ?』って思ってる気がして。
そんな中で黒頭巾の猫(灰色のシンガプーラ。三度目のエンカウント)が一緒に来てくれたのは心強かった。代わりに運んでくると言われたが、これは屏風覗きが引き受けたことだと固辞させてもらった。
ただでさえ宴を欠席して不義理をしているのだ、引き受けたことくらいはやらねばならない。
それにあの子と食事をするのなら、食事がどうやって手元にくるかを実践して見せてやりたいという気持ちもある。食材も料理も誰かが作っているから存在して、誰かが運んできたから手元にくるのだ。切株にウサギがセルフストライクするのは童話だけだぞと。
労力に対価を払い感謝をする。これが自然と出来て初めて『人の食事』だと、屏風覗きなどは思っている。金払えばどうしてもいいとか、それが仕事なんだから感謝しなくていいとか、そんな貧しい感性で人生を病んでほしくない。
具体的には冷めた飯でもすぐ取り換えるとか捨てるとか考えず、温め直すとかお茶漬けにする発想ができる子になってほしいですな。
屏風覗きの教育理念はともかく、こうまでして彼女と向き合い食事を取った事で分かったこともある。ほつれた糸を見つけた程度の物だけど。
彼女は何気ない動作で茜丸と同じ仕草をすることが極めて多かった。物を聞くとき『ねえ』の前置きから入るなど『癖』という共通点がとても多い。無意識に染みついている仕草に見える。
もちろん変装のプロが本気で模倣するなら仕草も口調も研究するだろうし、素人が見抜けるほど稚拙ではないだろう。しかし、彼女と会って日の浅い屏風覗きだからこそ客観的に判断できることもある。
例えば茜丸を巡って言い争いをしていた金毛様と彌彦様の、妖怪の見分けの根拠は『におい』だった。嗅ぎ慣れた『におい』をさせていたほうを『本物』と判断している。
逆に、『におい』に頼り過ぎてそれ以外の面を軽視している感があると感じた。
今の茜丸は色々と欠落している状態で多少の不自然さは見過ごされている。反対に猩々緋は『におい』以外は完全なのに偽物扱い。
妖怪にとって『におい』とはそこまで決定打なのか? 『術』のある幽世でも模倣できないのか?
何故だろう。偽物とか本物とか、そんな白黒の考え方では正解に辿り着けない気がする。