目算30本(希望的観測)
間食でちょっとした寄り道はしたものの、概ね予定通りの時刻で彌彦様ご一行を城に案内することができた。しかし、ここでお役御免と思っていた屏風覗きはリリ様から続投を要求されて困惑中。
「顔知ってる子のほうが安心するもんねぇ。屏ちゃんならあたしも有難いなぁ」
との彌彦様の一言が決め手になった。もちろん白ノ国に来て間もない屏風覗きに城の案内なんて出来ないので、つまりは単なる雑談要員である。実際の案内は城門前で待ち構えていた我らがイケボキャット、白頭巾のみるく様が引き継いでくれる。
歓待の宴の前に入浴を進められた一同は、まず猩々緋に会いたいと固辞する彌彦様と側近らしい数名を残して大風呂の右の湯に向かっていった。
ここで一番偉い鬼が入らないのに下っ端が入浴するのは憚られる、的なやり取りがあったのは言うまでもない。
「おっきいお風呂に足を延ばして入ってみたいからぁ、最初はひとりで入りたいんだぁ」
そんな風に言われては部下たちも何も言えないようで、何度も頭を下げながら黒頭巾の猫(灰色、知ってる子)ちゃんに付いていった。たしかにこの巨体で何鬼も入っては白猫城が誇る右の湯と左の湯でも芋洗い状態になってしまうだろう。屏風覗きはどちらも見たことないけど。
どちらも良い風呂だがちと風情がない、と言っていた友人の話から推測すると学校プールのような武骨な長方形をしているらしい。多人数が利用する施設は美的デザインより機能優先でいいと思います。
風呂と言えば、昨夜は五右衛門風呂で足長様がはしゃいで大変だった。火傷しないと分かっていても熱そうな場所に触りそうになるたび心臓に悪くて仕方ない。
それとこの際に内臓形態は捕食だけでなく吸着もできると分かった。思い出してみれば下界の砦の城壁を登るときも吸着して登っていたわ。やっぱり溺れないと分かっていても溺れないよう体を支えていたつもりが、うっかり手が放れても屏風覗きの体に体表だけ内臓に変化させてくっ付いていた。
もう平気と言いつつも、あの感触はちょっと思い出したくない。蠢くホルモンさんである。
先頭にみるく様、最後尾にリリ様を据えて城内を歩く。屏風覗きは彌彦様のピッタリ横で、二妖怪の側近の方たちはその後ろを付いてきていた。城下のときといい、これってもしかして彼女が屏風覗きの歩幅に合わせてくれているのだろうか。足の怪我を聞いてきた事といい、まだ負傷中と思われているのか? いやまあ、足の裏はともかく他で湿布臭いけど。
なまじ分別があることで悪鬼なんて言われて冷酷に言う輩もいるようだけれど、むしろ本当の意味で善妖怪に分類される方なのだろうな。
元からいる100をしっかり救って、後から来た10をバッサリ捨てる。これは非道ではなく一種のトリアージだ。
かわいそうだからと用意もなく捨て犬を拾って、結局飼えずに捨ててしまったり死なせてしまうなんてタイプは優しくても実質的には有害でしかない。為政者として持っている手札を駆使し、何を言われようと取捨選択の正しい判断を続ける。これを非難する資格は誰にもないだろう。出来ないことは出来ないのだ。
たとえ見捨てられた10であっても、それが余所者であったなら仕方ないことだ。最初は誰だって身内からが普通だろう。
もし、それをしないで赤の他人を助けるヤツがいたら、本当に立派と言えるか?
それが世間で尊い行いだと言われようと、屏風覗きはとてつもなく気持ち悪く感じると思う。結果を出した一番を無視してドンケツを表彰するような気持ち悪さだ。たぶんそれはまともな感情を持つ生き物の発想ではないと思う。
数字しか見ない乾いた輩か、あるいは身内切りの自己犠牲に酔う異常者だ。
そう考えれば横を歩く鬼はとてもまともに感じる。たとえ大きな力を持とうとも、それをどう行使するかは当人の勝手だ。
世に数ある建国の物語では凄い人なんだから上に立て、みんなを救えなんて賢人たちが才能ある人に発破をかける。しかし、いざ立ち上がった彼らの晩年は成功してもあまり楽しそうではない。むしろ悲惨な結末も少なくない。
人生は英雄譚のように大団円めでたしめでたしでは終わらない。どれだけ才能があろうと自分で責任を取れる範囲を超えずに命を全うする、そういう背伸びしない生き方が一番真っ当で楽しい生き方なのかもしれないな。
「お力のある御方でありますれば。このように取り計らっております事、どうぞご容赦を」
ほどなく件の一見何もない畳敷きの部屋に到着した。何かしらの術によって隠されているが、ここから数歩進めば注連縄グルグル巻きの座敷牢が見えることになる。
みるく様が脇に避けて彌彦様を促すと、彼女は小さく頷いて歩を進めた。片手で屏風覗きの背中を押して。Why?
工業用のプレス機のような有無を言わせぬ力で、グイッと押し出された屏風覗きの目に昨日と同じ光景が飛び込んでくる。格子の目が注連縄でほとんど埋まった座敷牢、そのわずかな隙間から見える着物の赤色。
「おっそい!! 退屈で死んじゃうわよ!!」
中にいた少女はこちらの気配にすぐ気が付いたようで、座ったまま格子の前までズザッと畳を滑ってきた。着物の膝小僧抜けるぞ。ジャージなら摩擦熱で溶けてテカテカになる。
「あんたさっさと何かおもしろいことしなさいよっ。こうして黙って閉じ込められて上げてんだから!」
犬歯が覗くほど剥かれた口からは早速の憎まれ口が飛び出している。本日も元気におクソガギであらせられるようだ。セリフがトゲだらけとはいえ、昨日のゲームの後からちょっと話してくれるようになっていた。
とりあえず、まあまあと宥めて彌彦様とご対面。おそらく注連縄で詰め物された格子越しでは見えなかったのだろう。
「やひこ!? あんたも捕まったの!?」
全体像を把握したのか部分的な視界からヒントを拾ったのか、目の前のマッチョが彌彦様だと気付いたようだ。猩々緋様は『い』を入れずに『やひこ』呼びなんだな。
「なぁにぃ、これぇ?」
全身が不意に、唐突にブルッと震える。ブツブツと毛穴が締まり全身に硬直という無意識の防御が生じていく。悪寒。
視界の隅に、鬼がいた。
「あたしはさぁ、ひいちゃんに会わせてって言ったよぉ?」
屏風覗きの狼狽が全体に広がるように、みるく様リリ様、鬼の側近たちも腰が引けていく。足はその場に留まる覚悟を、けれど上半身は誰もが『逃げたい』という本能で仰け反っていた。
その恐怖を一番間近で受けている屏風が逃げないのは、単にビビリ過ぎて足が動かないだけでしかない。
「ちょっと、あんた何怒って」
ゴンッ、という籠った音が響いた。鋼鉄のボーリング玉でもぶち当たったような勢いで、格子に鬼の拳が叩き付けられた音だった。そのたった一発で格子が差し込まれている天井と床がバキリと割れる。
術の力か格子自体は無事のようだが、もう一発入ったら格子丸ごと後ろに吹っ飛びかねない。
「ひいちゃんの声で喋るなぁっ!!」
頭がクラクラするほどの大声量。恐怖で失神しそうな頭の裏で、ちょっと前にもこんな事あったなと思い出す。鼓膜は今回は無事のようだ。またあの激痛伴う耳舐めプレイは避けたいところ。
「おまえ誰だぁ!!」
二撃目。その剛腕の振り被りに息を呑む誰かの声を聴いた屏風は、思わずその間に入ってしまった。本当に思わずだ、スマホっぽいものを弄ろうという思考の暇もなかった。
ボクシングの審判、あんたスゲーよ。殴られかねないのに体を入れるって内心恐いし嫌だろうに。
瞬間、電信柱が火薬か何かで打ち出されて縦に突っ込んでくるような錯覚を感じた。当たれば潰れるどころか円柱の形に体が削げてしまうだろうなと。
寸止め。拳の皮膚のキメがハッキリ見えるくらいギリギリの位置で手が止まる。髪の毛がいくらかハラハラと抜けたのは拳の風圧だけのせいではないだろう。
体がその拳の向こう、恐怖の権化となった鬼の気配に、圧倒的弱者が無言の悲鳴を上げているのだ。しかし、それを押しても今は口を開く。これは生きるためだ。頑張れ屏風。おまえの後ろにも命があるんだドチクショウめ。
こちらに騙す気などない。貴方様が何を感じ取られたのか分からないが、こちらは一切やましい気持ちは無い。それだけを目の前に拳に訴える。拳の向こう? 恐くて見れねえよ!!
「じゃあ、なんなのそれぇ?」
体感でどれだけの時間が経ったのか。ふっと『圧』が抜けた攻城兵器が下げられ、『鬼』から彌彦様に気配が戻られた。ここで一気に襦袢がビチョビチョになるほど汗が出てくる。
死、死だ、死を感じた。脱力した途端に喉から込み上げてきたものをグッと堪える。まだ無様は曝せない。話す価値を下げてはいけない。思わず短刀を差していた帯の辺りに手をやろうとして、拳を握りしめて耐える。
要妖怪の出迎えに際して預けているとはいえ、見る者が見れば抜刀の動作に取られかねない。屏風がド素人でも言い訳にならないだろう。短刀を貸してくれたあの子のためにも、それが不手際になるようなことは出来ない。
ふと、足元に落ちた髪の本数を数える。白ノ国ってストレスハゲに労災は下りるのだろうか。屏風覗きはそんなトンチンカンな心配ができる程度には今日も生きております。